「紙」の価値


「例えば、私がこの紙に、今『レッドフォード商会 金貨一枚券』と書きます。当商会にお越しいただければ、金貨一枚分のお買い物をしていただけます。この金券が金貨一枚分の価値を持つ条件を考えてみてください」


 ルーカスは、紙にペンを走らせる。たちまち、『金貨一枚券』が出来上がる。それを渡されたウルリカは、しげしげとそれを見つめた。


――まるで肩たたき券ね。


 微笑ましいほど下手な字である。その点には目をつぶるとして――。


「そうね……貴方が金貨一枚分の商品を用意していることかしら」

「そうでしょうか? ぐへへへ、良い商品を取りそろえておりますぜ」

「……破り捨てますわ。そのような態度では信用できませんもの」

「しかし、殿下が御用達の商会ならどうですか?」

「もちろん店に参りますわ。これまで積み重ねた信用がありますもの」

「では、その金券の額面が金貨五千枚だったなら?」

「……それは、さすがに怪しみますわね。つまり、こう仰りたいのね。信用には上限がある。だからこそ希少性があると」

「そういうことです」


 ウルリカの脳裏に疑問が過る。希少性が鍵だというのならば――。


「では、愛ではいけませんの?」


 ルーカスとアンナはポカンと口を開ける。


「は? あっ、いえ、どういうことでしょう?」

「『真実の愛』は貴重で稀少ですわ」


 すると、アンナが取り繕うようにルーカスに言う。


「申し訳ございません、ミスター・レッドフォード。殿下はそういうお年頃なのでございます」

「アンナ、余計なことを言わないで頂戴」


 体感年齢では二十六歳よ、と言いかけて口をつぐむ。


 ルーカスはしばらく考え込んでから、口を開いた。


「確かに、それは面白い考えです。善行を行った少年に金券を配る商人もいます。しかし、愛とは善行に限られないのではないでしょうか」

「……確かに家族への愛故に盗みに手を染めた者を知っておりますわ」


 すると、アンナは鼻で笑いながら、こう言った。


「殿下のご両親も愛の権化です。例えば、殿下がキスの回数をカウントして、一回ごとに金貨一枚の金券を発行してはいかがでしょう」


 ウルリカは、昨日の夕食中に三十回以上見た気がするわね、と溜息をつく。


「そんなことをすれば、我が家は金券で溢れてしまいますわ」


 ルーカスは頷く。


「愛情というものは多様です。確かに希少性という意味では、金を採掘する代わりに、それなりに希少な善行や愛情表現の回数で金券を発行するという擬似的な採掘マイニング方法はあり得ます。しかし、それだけを愛だとすると、愛というものが歪められてしまうのではないでしょうか」

「なるほど。古来より、愛と金を結びつけてはいけないといいますものね」


――もっとも、それはレイクロフト家を除く貴族社会においては奇麗事に過ぎないのだけれど。


「信用を裏付けとした場合、愛を裏付けとするよりも便利なことが一つあります。それは、発行上限の目安を数値化できるということです」

「上限を数値化、ですの?」

「ええ。思い出してください。私が発行したこの金券の債務は、金貨一枚です。金券を一枚、殿下に渡せば、ある意味で私は殿下に対して金貨一枚分の債務を負ったことになります。何枚まで発行できるかは、私の与信枠という形で数値化できます」

「なるほど。けれど、貴方が貴方自身を査定した与信枠は信用できまして? 査定が甘ければ無限に金券を発行できてしまいますわよ」

「素晴らしい! そう、そこなんですよ」


 ルーカスが予想外に食いついたので、ウルリカは面食らう。


「……つまり、第三者が査定する必要があるということですの?」

「その通り。むしろ査定だけでなく、金券発行まで第三者機関が行えばその問題は解決するんです。例えば、私が金貸しから借金をして、金貨の代わりに金券を受け取る。これなら、私が金券を発行するよりは遙かに信用できます」

「なるほど。金貸しは返して貰えそうな金額しか貸しませんものね」


 ルーカスが身を乗り出す。


「そして、ここからが重要なポイントです。その金貸しの経済圏が充分な規模まで広がれば、金貸しには元手の金銀は必要なくなるのです。なぜなら、その経済圏の中で、金券が通貨の代わりとして通用するようになるからです」

「……どういうことですの?」

「金貸し自身も、身の回りの支払いに金券が使えるようになるのです。そうなれば、金銀はもう必要ありません」

「確かに。けれど、なんだか詐欺の臭いがしますわね」

「ええ、それは金貸しという一人の商人が行っているからです。商人は利潤を追求します。自らの利益のために金券をどんどん発行するかもしれません。利益を吸い取り尽くした後で、破綻させることもできてしまいます」

「そうですわよね。それは王とて同じことですわ」

「では、もし国に対して金を貸す、裁判所のように独立した公的機関があるとすればどうでしょう?」


 ウルリカは少し考える。領地や王都内の事件については領主や王に裁判権があるが、それとは別に裁判所がある。裁判所は、貴族間の紛争に対して仲裁を行い、王族に対して弾劾を行える唯一の公的機関であった。この国では貴族間の紛争が国家の存亡に直結するため、「最後の仲裁者」として裁判所の権威が発達したのである。裁判官には高潔さが求められ、私利私欲に走った裁判官は厳しく処罰される。


「それならば一定の公正さは保たれますわね」

「そうです。そして、公的機関故に、経済圏は国中に広がります。その機関が国を査定して、国に金券を貸し付けるとすれば、その金券こそが通貨になり得ると思いませんか?」

「ええ。希少性も信用も、公正性も保たれますわね。けれど、その与信枠はどうやって決めますの?」

「試しに殿下がその機関の査定担当として国の与信枠を査定してみてください。国に貸せるお金の金額は?」

「……きっと国の豊かさが上限ですわね。それを表すのは、まずは税収ですわ。そして、豊かさには資産も含まれますわね。けれど、国の資産だけでは足りない気がするわ。きっと、民間の資産を合計した金額までは貸せますわ。けれど、民間の資産を数値化するのは難しいですわね。調査に正直に答える者は少ないですもの」

「大切なのは、そうやって、様々な数値から決めていくことができるということです」

「なるほど。その査定が公正で妥当性がある限り、金や銀がなくても通貨を作り出せるという理屈は理解しましたわ」

「はい。私からの提案をまとめると、まず、紙幣を発行する特別な機関として『スムサーリン中央銀行』を作り、国庫の金はすべて穀物の輸入に充てるということです。いかがでしょうか」


「さすが、新進気鋭の商人ね。面白いわ。アンナ、わたくし、これを試してみる価値があると思うの。貴女はどう思いまして?」


 アンナは溜息をつく。


「どう思うも何も、常識です。異世界ではもう誰も金貨、銀貨なんて使っていませんよ。ついでにいえば、そのマヨネーズという商品も異世界では普通に出回っていたものですし、有給休暇も当たり前です。実態はともかく」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る