備蓄
「お疲れ様でした、殿下」
「ありがとう」
ウルリカは、執務室の椅子に腰掛け、大きな伸びをした。
しかし、根本的な問題は解決されていない。最大の問題はこの国の孤立である。
アウヴィネン侯爵領は、この国の玄関口である。金貨の量という意味では王都よりも恵まれていた。しかし、本当に恵まれていれば、港湾の運営に注力すればよいのであって、鉱山の権益を直接確保することに魅力に感じるはずがない。つまり、この街は衰退期にあった。貿易を支えていた商業都市同盟のビュンドニス同盟は衰退期に入り、昔ほどの貿易量を確保できなくなった。そして、友好国のアルビオン王国の関心も遠くの国に移ってしまった。隣国のクストランド帝国とは関係が悪く、定期航路を開設して開拓を試みてはいるが、やはり貿易量は伸び悩んでいる。
スムサーリン王国は元々クストランド帝国の東部領の離島であったが、度々、セヴェルナヤ大帝国との戦場になることに嫌気がさし、アルビオン王国の手を借りて独立したという歴史がある。そのため、クストランド帝国からは「裏切り者」と呼ばれ、潜在的にはセヴェルナヤ大帝国とも敵対している。頼みの綱は、アルビオン王国であったが、
こうして、スムサーリン王国は政治的にも貿易的にも、徐々に孤立を深めているのである。
一方、内政はどうか。
これもまた問題山積みである。基本的に自給自足を達成していることになっているが、元々寒冷な気候で農業の生産性は限られる。その上、ここ百年、穀類の納税量は徐々に減少傾向にある。とはいえ、納税量が保たれているということはまだ深刻な問題ではないのかもしれない。しかし、穀物商が店を畳んだという事実には何か引っかかる。仮に問題があったとしても、これまでの王政は「農民の自己責任であり、農民の自助による解決を」と無策だった。王室には充分な資料がない。
――飢饉まであと五年ね。何とかしなければ……。
ウルリカは身を起こす。
「ねえ、アンナ」
「はい」
「備蓄食糧の照合は済んだのかしら」
「いえ、まだ報告は上がっていません」
「良い機会よ、倉庫を見に行きたいわ」
「では参りましょう」
寒々しい王宮の廊下を脇に入り、地下への階段を降りていく。倉庫に近づくにつれ、さらに気温が下がっていく。どれだけ階段を降りただろうか。ようやく倉庫にたどり着く。
まるで古代神殿のような広大な空間に、天井の高さまで積まれた木樽が、倉庫一杯に並んでいた。
「穀物はこれだけあるのね」
同行していた近衛分隊長が久々に口を開く。
「発言をお許しください、殿下」
「以後一々許可を求めなくてもよろしくてよ」
「はっ。こちらは食糧庫ではなく火薬庫であります」
「地図では食糧庫となってますよ?」
アンナが反論するが、分隊長は木樽の一つを開けて見せる。
「黒色火薬であります。少し前から火薬庫に転用されているのであります」
「警備が手薄なのはよろしいのかしら」
「よろしくないでありますが、信頼できない近衛兵に火薬庫の存在を知られる方がよろしくないであります」
「……この際何も言わないわ。それで、備蓄食糧はどこにありますの?」
「こちらであります」
分隊長に案内されて行き着いたのは、下級使用人の部屋ほどの小さな倉庫だった。そして、部屋の隅に申し訳のように麻袋が数個積まれているだけであった。袋を開けると、中には脱穀すらされていないカビの生えた小麦が入っていた。
「こちらは小麦です」
「他にも備蓄はありますわよね」
「いえ、これだけであります」
「……たったこれだけですの!? 有事の際、民どころか王宮の食糧も確保できませんわ!」
アンナは近衛兵に尋ねる。
「王都には備蓄倉庫が他にもあるはずですよね」
「……一応ご覧になるでありますか?」
王都の備蓄倉庫はすべて国防軍が警備し、物々しい雰囲気に包まれていた。抜き打ち査察の体で中に入ると、そこにあったのはもちろん火薬であった。
あの倉庫も、この倉庫も。
すべて火薬である。
「……国庫には備蓄食糧がないということですわね。分隊長、少し外してくださるかしら」
「はっ」
ウルリカはアンナに囁く。
「一周目で備蓄放出がなかったのはこういうことでしたのね」
「……そうみたいですね」
「なぜ貴女が知らないの」
「この世界は、精密な自律シミュレーションの世界なので、私でもすべては把握していないんです。シナリオと設定である程度は誘導できるだけで、後は辻褄合わせで世界が作られていきます」
「まあいいわ。その開発者コンソールとやらで、穀物を補充して頂戴」
「それは無理です。この世界にないものを出すことは仕様上できませんので」
「例えば、魔法が使える『設定』にすればよろしいのではなくて?」
「無理ですね。超常現象は量子シミュレーションで再現できないので。特にプレイヤーの観測範囲は量子レベルでシミュレーションされているので、超常的な方法で介入するのは無理です。まあ、量子シミュレーションライブラリーに手を入れる開発スキルが私にあれば別ですが、できるなら既にやっています」
アンナは無表情のまま「生成スキル『小麦の舞い』……ボフッ」と言って、生成したフリをしてみせる。アンナは光に包まれるが、しかしその手には何も現れない。
「……では打つ手はないのね」
「厳密には、プレイヤーの観測範囲外は改ざんできますし、あの『立太子』のように別のベースシナリオで世界を再構築したりもできますが、まぁ、『立太子』以上に酷いことがおきますよ」
「結局、五年後の飢饉を回避するには、わたくしが努力するしかないということね」
「そうなります。面白くなってきましたね」
「貴女は気楽でいいわね」
「まあ、物は持ち込めませんが、知識は持ち込めるので、がんばりましょう。まあ、この世界の技術水準では役に立つものは作れませんけど」
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