泥棒


 その事件が起きたのは、女王の即位から一週間経った頃であった。


「泥棒ですって?」

「はい。このところ、調理場からパンや食材が盗まれております。当面、殿下には近衛兵の一個分隊を警護に当たらせますが、充分に警戒なさってください」


 報告するアンナの装いは、侍女の制服である。


 本来であれば王女付き女官の彼女は、ウルリカの品位を保つためにも、ウルリカと同等の装いをしなければならない。しかし、貴族ではない彼女には費用負担が大きい上に、例え貸与するとしても、侍女も兼ねる彼女の作業性への配慮から、普段は侍女の制服を着せているのである。


 いずれ、アンナにも相応の装いをさせてあげたいと思いながら、ウルリカは書類に目を落とした。


「……警備が相当手薄になっているのね」

「はい。近衛兵にも信頼できる者が少なく、身辺警護のためにレイクロフト家の護衛騎士を近衛兵に編入しましたが、手が全く足りておりません」

「国家憲兵を王宮の出入口の警護に当たらせるのはどうかしら」


 すると、置物に徹していた近衛兵の分隊長が、突然口を開く。


「失礼ながら殿下、発言をお許しください」

「自由に発言して頂戴」

「国家憲兵を王宮に踏み入れさせるおつもりでありますか?」

「今は仕方有りませんわ。政治情勢が流動的な今、唯一信頼できるのは各勢力に中立的な兵力だけではなくて? それは、国家憲兵と国防軍のみですわよね? けれど、今、国防軍の兵力を削るわけにはいかないわ」

「……しかし、彼らの多くは平民。せめて王宮外部のみに限定するべきであります」

「懸念は尤もですわ。アンナ、王宮外周の警備を国家憲兵に任せ、近衛兵は身辺警護と内部警備に集中するよう、陛下を通じて近衛隊長に伝えて頂戴」

「承知いたしました」


 こうして、ただの食材泥棒のために、王宮内には戦時のような厳戒態勢が敷かれた。


――なんて滑稽なのかしら。


 近衛兵は基本的に貴族出身者で構成される。そのため、基本的に王家と友好的な家の者しか登用されない。レイクロフト家の支持基盤が流動的な今、登用したところで、少し情勢が動くだけですぐ解任となってしまう。今の近衛兵は、レイクロフト家との利害関係のない下級貴族が中心だった。この分隊長は男爵家の出身の最下級の近衛兵であったが、この混乱により四階級特進を果たしたのである。


「貴方も大変ね、分隊長」

「これが自分の使命でありますので」


 そう言うと、分隊長は再び置物と化した。


 泥棒が捕縛されたのは、数日後のことだった。犯人は薄汚れた身なりの平民だった。


 犯人は女王陛下の前に引き出される。


「この平民は、王宮内に侵入し、女王陛下の財産である食材を窃盗した。これは反逆罪である故、示しをつけるためにも、公開処刑が適切かと」


 陛下は手を挙げて制した。


「申し開きはあるのかしら?」


 しかし、平民は食ってかかる。


「こっちは今日のパンにも困ってるんですよ! お国は何をしてくれたって言うんだ!」


 しかし、陛下は首をかしげる。


「パンがないなら、おスウィーツ❤️を食べればいいじゃない。ねぇ、貴方もそう思わなくて?」


 すると、犯人は大声を上げ、近衛兵を振り払った。そして、王座に駆け上がろうとする。


「良いか! 子供たちが! 子供たちがなぁ!」


 その寸前で近衛兵が取り押さえ、引き摺り下ろした。近衛隊長が剣を抜く。


 国王に害をなそうとした。法律上はこの場で死刑を執行できる。


「お待ちになって!」


 ウルリカが叫んだ。


「陛下! 近衛隊長! わたくしたちは、この男の事情を知りませんわ。すべての事情を汲んだ上で、刑罰をご検討くださいませ。この一件、わたくしが調査いたします。それまで執行をお待ちいただけませんか」


 しかし近衛隊長が怒りにプルプルと顔を震わせる。


「殿下、それでは示しがつきませぬぞ!」


 ウルリカは、冷静な口調で続けた。


「近衛隊長、もしこの男が言っていることが正しければ、処刑によって民の暴動が起きかねませんわ。今の警備体制で陛下をお守りできますの?」

「……それは」


 女王陛下はウルリカに顔を向ける。


「それなら、ウルリカ、貴女に任せるわ。それでよろしくて? 近衛隊長」 

「やむを得ませんな。しかし、必ず罰しなければなりませんぞ」


 ウルリカは毅然と答える。


「当然ですわ。それまでこの男は地下牢へ勾留してくださいませ。それでは陛下、わたくしは調査をして参ります。御代に栄光と繁栄があらんことを」

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