第一章 決意
二周目の人生
「おはようございます、お嬢様。今日は入学式です。身支度をいたしましょう」
目を覚ますと、アンナがそこにいた。
――ここは、わたくしの部屋ね。どうしてかしら
ウルリカは困惑した。
既に屋敷は引き払ったはずだった。ならば、どうしてここにいるのか。売り払われた調度品までもが戻ってきている。夢なのかしらと、手の甲を抓ってみるが、当然のように痛みを感じるのであった。
ハッとして、頭の髪飾りを手で探る。
「ない!」
ベッドから飛び降り、素足で鏡台に駆け寄る。その引き出しを探すが、そこにも髪飾りが見つからなかった。殿下に頂いた大切なものなのに。
「髪飾りはどこ?」
「……お探しの、
「どうして」
ふと姿見に目を遣ると、そこに映っていたのは、あどけないウルリカの姿だった。
「お嬢様、どうなさいましたか?」
「アンナ、今年は何年?」
「イングヴェイ王の統治の第三十年でございます」
「……三十年。十年前だわ」
「今日は入学式です。早く支度を始めなければ遅刻してしまいます」
「そうでしたわね。今日は『霧の結晶』の髪飾りにするわ」
ウルリカは鏡台の椅子に力なく腰掛けた。
「霧の結晶」とはレイクロフト公爵領の宝石鉱山から採掘される無色透明の宝石である。しかし透明度は低く、脆いため、輸出での価値はそれほど高くない。ただ、国名の由来である霧を連想させることから、国内では昔から国宝として珍重されている。ウルリカが身に着ける装飾品にも「霧の結晶」が多くあしらわれていた。
――霧。
今日も窓の外は霧に包まれている。そういえば、あの入学式もこんな秋の日だった。
スムサーリン王国は小さな島国である。「霧」と「島」の語源のとおり、盆地にある王都はよく雲海に包まれる。その幻想的な光景は、「霧の都」と呼ばれている。
学園の一年は九月から十二月の秋学期に始まり、一月から六月までの春学期で終わる。季節の変わり目であるこの時期は特に霧に包まれやすく、入学と卒業、出会いと別れの象徴となっていた。
殿下の婚約者として、王宮の塔から見下ろしたあの雲海を思い出して、胸の奥がズキズキと痛む。
しかし、雲海も中に入ってみればただの濃霧である。
――今ならもう一度やり直せるわ。
学園に向かう馬車の中で思いを巡らす。
殿下の心はいつ離れてしまったのだろうか。心当たりはない。婚約した後は、毎日のように恋文を書いたし、デートでは必ず愛を伝えた。けれど、もう少し恋の駆け引きを演出するべきだったのかもしれない。しかし、ウルリカはそんな器用な人間ではなかった。愛している人に対して、愛していると素直に伝えるだけで一杯一杯だった。
まあ、これは、両親のストレートな愛情表現を見て育ったからでもある。使用人の目も、娘の目すらも憚らず四六時中いちゃついている残念な両親。しかし、ウルリカにとっての理想の愛の形は、この残念な両親なのである。
とにかく、今は、殿下との出会いを再現するしかない。たとえ同じ結末に至るとしても、せめて、あの楽しかった日々をもう一度!
――今度こそ、真実の愛を手に入れてみせますわ。
馬車を降りたウルリカは、自然と駆け足となった。
殿下との出会いは、学園の校門から校舎に向かう石畳の通路であった。霧に包まれ神秘的な雰囲気が漂う校庭――。
背後から殿下の麗しい声が近づいてくる。
ゆっくりと歩みを進めると、霧の中から噴水が現れた。あの時は、噴水の美しさに見とれて、足を止めてしまったのだった。すぐ後ろに殿下がいるとは気付かずに。
胸が弾む。いよいよだ。
――ここだわ!
ウルリカは足を――。
……。
…………。
止めなかった。
その瞬間、脳裏を婚約破棄後の七年間が駆け巡ったからだ。そして、最後まで忠誠を尽くしてくれたアンナ達の涙を思い出した。
――同じ結末でも良い?
――今度こそ真実の愛を?
――わたくしは、なんて恥知らずなのかしら。
使用人たちの忠義に報いずして、ただ自分のために色恋に耽るのは恥である。
ウルリカはそのまま足を早め、霧に紛れて大粒の涙を流した。人気のない農業科の校舎の裏に駆け込む。
「お慕いしておりましたわ、殿下」
ウルリカは、喉が枯れるまで、大声を上げて号泣した。
涙は止まらないけれど、頭は冷静だった。
人生をやり直す機会を与えられたことには意味があるはずだ。それは国の危機を救うためなのか、それとも身近な人々を救うためなのか。
――少なくとも、自分を救うためにこの機会を使うなんて恥知らずだわ。
ウルリカは二度と恋をしないと心に決め、拳を握りしめた。
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