第2話  説得法廷

回るサイレン、縦横無尽に動き回るサーチライトの光、身を低くして、そのサーチライトにあたらないようにする。サーチライトの光は、オレたち頭の上をかすめた。目の前の優香の顔にはすすがつき、目だけが、強い光でオレを見つめる。そんな優香にオレは弱音を吐く。

「もうだめだ」

「弱音を吐かないで。あなたはゾンビにはならない。あたしが守るから」どこかで聞いたセルフだけれど、その目力で見つめられると信じたくなる。

「次にサーチライトの光が行ったら、全力で走って」

「優香は?」

「あたしが、ゾンビどもを引きつけるから」

「そんなわけにいくか」

「いいから、走って。今よ」

「いや優香」サーチライトが頭の上をかすめた、次に光が来るまで時間がある。

「走れ。絶対に捕まらないで」

そこでオレは目が覚めた。

また同じ夢だ。


「起きろ。食事だ」看守は小さな窓から、食事を差し入れる。ゾンビはこんな物食べないから、オレのために用意した物だった。

美味しく食べるために、餌を与え、太らせようと言う事か。こんなもの誰が食うかとも思うが、抵抗するためには、栄養が必要だ。

食べてやるかとオレは上から目線で、出された物を平らげた。

看守が食器を片付けに来ると、

「一時間後に、今日の説得法廷だ」と言った。

「しるか」


中央に座るおじさんがトンカチをトントンと二回叩いて、

「開廷する」と言うと横の事務官が、立ち上がり、

「開廷」と大きな声で宣言する。

「えー、今回で、もうすでに九回を数える説得面談だけれど、そろそろ覚悟を決めたらどうだね」中央のおじさんが重々しく言う。

「説得官、覚悟というのはちょっと」と横の事務官が耳打ちをする。

「何で?」

「その言い方では、ゾンビになることに覚悟がいるように聞こえます。ゾンビになることは、救いであり。救済なんですから」

「ああ、失敬。確かにその通りだ」中央のおじさんは居住まいを正した。

耳打ちになっていない、オレには丸聞こえだった。

「そもそも何が問題なのかな。すでにこの世界はみんなゾンビになっていて、人間は数えるほどしかいない。人間でいる方が不便この上ないと思うが」

「そういう問題じゃない。人間としての尊厳というか、プライドというか」

「そんな、何の役にも立たない物のために、ここに拘束されて、毎日こんな面談をされてイヤじゃないかね」

「オレはそんな、化け物になんてなりたくないんだ」

「君、化け物って」若い事務官が急に声を荒げた。

「法廷侮辱罪で、訴追するぞ」

「ああすればいいさ。ゾンビに訴追されたって怖かねーや」

「何だと」

「まあまあ。君も事務官なんだから、人間の挑発に乗ってどうするの」

「すみません」

「君もね、少し損得で考えようよ。事務官や私を怒らせても何のメリットもないよ。それどころか心証が悪くなる一方だからね」

「だったら早いところ、食うなり、煮るなりすれば良いだろう」

「いや、我々は、君にゾンビになる事を十分理解してもらい訳。分かるかな」

「わからねーよ」

「ああゾンビになりたいな、ゾンビは素敵、ゾンビは最高、ゾンビアズ、ナンバーワン」自分の言葉に酔った説得官は法服のまま立ち上がると、人差し指を高く掲げた。

「説得官、説得官。法廷の品位が」事務官がオロオロしながらおじさんに言う。

「あっ、ああ、すまん」と言いながら気まずそうに咳払いをして、もう一度席に座った。

「とにかく、合意の元でゾンビになって欲しいの。分かる?」

「わかんねーよ。損得、そんな物くそ食らえだ。殺せよ。今すぐ食い散らかして、オレを殺せよ」オレはわめき散らした。おじさんは机にひれ伏して、頭を抱えた。そして横のトンカチをトントンと叩いた。

「はい、今日の所は閉廷。また明日十時に」

横の事務官が立ち上がると、大声で

「閉廷―」と叫ぶと。刑務官がオレの両脇をつかんで法廷から連れ出した。


世界に人間はほとんど残っていない。

初めのうちは散々食い散らかしたくせに、人間の数が減ると、今度は急に合意なんて言い出した。

ふざけんな。

オレはゾンビに捕まり、ゾンビになるための矯正施設に入れられた。

ここで毎日、ゾンビになる事を要求される。

大方の人間が折れて、ゾンビへと転向していった。

でもオレは、絶対にゾンビなんかにならない。

それは優香のとの約束だったから。

優香はその命をかけて、オレを助けた。

優香とオレは恋人同士。二人でゾンビの手から逃げまわった。

でもあの時。

捕まりそうになったとき、優香はオレを逃がした。

それから優香がどうなったか分らなかった。でも、最後の瞬間優香は言った。絶対にゾンビなんかにならないでって。

だからオレはたとえ殺されても、ゾンビなんかにはならない。

優香に会いたい。

優香は無事なんだろうか。

ちゃんと逃げられたか。

いやもしかしたら、オレと同じように、どこかの矯正施設で、こんな転向面談を受けさせられているかもしれない。

でも優香なら絶対に転ばない。

絶対に優香なら、たとえ殺されてもゾンビなんかにならないはずだ。

だからオレも絶対に転ばない。

どんなことがあろうと、拷問されようと、殺されようと、ぜったにゾンビなんかに、あんな化け物になんてならない。


夕食のあと、テレビを見ていた。

テレビの内容は、何も変わっていない。

ただ出ているのがみんな人間ではなく、ゾンビになっている事だけだ。

世界は何も変わっていない。

そうなると、俺たち人間は、そのゾンビの世界から見れば本当に一握りの、めんどくさい不穏分子という事になるのだろうか。

「いやいや」とオレは頭を振る。

この世界は人間の物なんだ。

決してゾンビの物ではない。

オレはいつか必ず、一匹残らずゾンビを殺して、もう一度人間の世界を作る。

その時、スピーカーからオレを呼ぶ声がした。

「面会だ」面会?


面会室は普通の応接室だった。

中に入ると、そこにいたのは。

優香!

「優香」オレは優香を抱きしめようとして 優香に近づいた。

でも違和感が。

「優香、お前」

「良かった。収容施設にいるって言うから、探したよ。無事で良かった」そう言って優香はオレに抱きつこうとした。

そんな優香をオレは突き飛ばした。

優香は、ゾンビになっていたのだ。

「やだ、なんで突き飛ばすのよ」

「おまえ」

「ええ」

「なんで。なんであれほど。オレにだって言ったじゃないじゃか。ゾンビになんて、なるなって」

「もうそんなこと言っていられる状態じゃないの。この世界に人間は、何人残っているか知っている。三百五十人よ、日本ではあなたを含めて、二十五人しかいない」

「そんな話をしに来たのか」

「そうだよ。あなたが心配で」

「心配。ゾンビなんかに心配してもらわなくていい」

「時代は変わったの、この新しい世界で、一緒に幸せに暮らそう。お願い」

「帰れ。そしてもうここには来るな。顔も見たくない」ゾンビの優香は悲しそうにオレを見つめたかと思うと、蔑んだような顔になった。この世界で人間でいることがどれほど愚かなことか。なんで分からないんだと言われているようだった。

「そう、わかった。今日の所は帰る。でもまた来る」

「来なくていい」

「いえ来る。あなたがゾンビになってくれるまで」

「だれがゾンビなんかに」

「じゃあね、また来る」

「もう来るな」



中央のおじさんが、横のトンカチをトントンした。

「開廷する」そう言うと。横の若い事務官が大声で

「開廷」と叫んだ

「えー、今回で二十五回目ですが・・・」説得官のおじさんの言葉をオレはさえぎった。

「説得官。よろしいでしょうか」

「なにか言いたいことが?、結構ですよ」

「私、決めました」

「そうですか。ではじっくりお聞きしますよ」そして法廷は五分で結審した。

退廷するオレにもう刑務官は付かなかった。


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