ゾンビ、ゾンビ、ゾンビ
帆尊歩
第1話 君といつまでも
妻の郁美がゾンビになって、もうすぐ一週間が経つ。
見た目は今のところさほど変わらない。
顔の表情が堅くなった位だ。
「ねえタカ」郁美が言う、少しだけロレツが回っていない。
「うん」
「あたし、なんか臭くない」と言って、郁美は腕を上げて、脇を見せてきた。
「嗅げってか」
「いやー。なんかさ、汗臭いとイヤだなって思っていたけど、匂いが、汗じゃないんだよね」
「じゃあ、何?」
「腐敗臭」
「はあ?」
「なんか腐敗臭なんだよね」無理もない。郁美は遺体なんだから。
「ああ、まあでも。まだ、防腐剤とスーパー匂い消しを使うほどじゃないから」ゾンビ用の防腐剤とスーパー臭い消しをもらっていたが、これはあくまでも、我慢が出来なくなったら使うように言われている。
「ゾンビになる前は、汗臭いの嫌だなって思って、デオドラントとかに気はつかったけど、腐敗臭から見れば、可愛い物よね。生きてるって感じだし」なんと答えたら良いんだ。
十日前の事だ。
妻の郁美は、自動車事故に遭った。
そしてあっけなく、死んでしまった。
「ご臨終です」その言葉にオレは泣き叫んだ。
そして、車で郁美をはねた男に掴み掛かろうとした。
イヤ実際につかみかかり、手も出した。男はなんの抵抗もせず、されるがままだった。でもそんなんでオレの悲しい気持ちが晴れるわけもなく、そして郁美が戻ってくるわけでもない。そんな時されるがままになっていた男が、オレを見つめた。
「お怒りはごもっともですが、奥様を生き返らせませんか」
「えっ」
「時間がありません。十分以内に、処理をすれば奥様は生き返ります」
「えっ」
「ただし、ゾンビとして」
話はこうだ。
この男はゾンビ研究の第一人者で、死後十分以内に特殊な処理をすれば、ゾンビとして生き返らせることが出来るという。
ただし莫大な金は掛かるが。
そして、ゾンビとしてもどれくらい生きられるか分からないと言う。
今回は、事故を起こした責任をとって、費用は全額持つ、法的なこともしてくれると言う。そしてオレは、何の躊躇もなく、郁美ゾンビ計画に同意した。
郁美がゾンビになって二日目のことだ。
夜中、オレの腕に何かが当たった。
か、噛まれている?
よく郁美はオレの腕に甘噛みして甘えてきた。
「郁美しょうがないな。あまり痛くするなよ、と言いながら、目を開けると、目を血走らせた郁美がオレの腕に噛みついていた。
それは甘噛みと言うより、ゾンビが食いついているその物だった。
「ああ、待て、待て、郁美、噛むな。噛まないで。オレもゾンビになっちゃう」と叫んだら、郁美が我にかえった。
腕には、くっきり歯形が残っていた。
これ以上噛まれていたら、大変な事になっていたかもしれない。
「ごねんなさい。お腹が空いて」
「それは分かるけどさ。オレ食べちゃったら、まずいでしょう」
「タカって不味いの?」
「違う、不味いじゃなくて、ダメでしょと言う意味」
次の日から、寝るときは噛みつかないように、郁美の口に猿ぐつわをつけた。
なんかそんなアニメがあったような、なかったような。
八日目の朝、起きると布団に郁美の体がくっきり残った。
その日くらいまでは、オレは郁美と一緒に寝ていた。腐敗が進み体液が流れ出し始めたようだった。
どうも体液が漏れ出し始めたようだ。
まずはその布団に水をたっぷり吸わせて、水に濡れたことにして、廃棄した。
時間が経つと、腐敗臭が出てきてしまう。
次の日、オレは新しい布団の上に防水シートを置いた。さすがに、もう一緒には寝られなくなった。
これで大丈夫と思ったのも束の間、今度は郁美の寝ている形で体液が防水シートにたまるようになった。
朝は、雑巾で郁美の体液を拭き取ることが、オレの日課になった。
一つ助かるのは、体液というのは臭いと思われがちだが、実際にはそれが腐敗すると臭くなるので、早いうちに処理すれば、そこまで臭くならない。
さらにうちは一軒家なので、ごまかしがしやすい。
体液が流れ出したことで、郁美の体型が変化していった。
「タカ。大変二の腕の肉が取れた」
「まあ、郁美、二の腕のぷるぷる肉が邪魔だって言っていたから、ちょうど良いんじゃないの」
何の慰めにもなっていないことは、百も承知だった。
「そうなんだよね。二の腕のぷるぷる肉がイヤだったけれど。なくなって見るとね、寂しいな」その程度かと、危うく突っ込みそうになった。
さすがに家の中に腐敗臭が充満してきたので、男にもらった、ゾンビ用の防腐剤と、スーパー匂い消しを使う。
人間、慣れとは恐ろしい物である。
匂いも慣れると、さほど気にならなくなる。でもそれは次の日に起こった。
「タカー。タカー、大変」
「どうした」
「鼻が取れた」郁美の鼻が溶けて、落ちてしまっていた。
そういえば下唇も堅くなっている。下の歯と歯茎が丸見えになっている。
「タカ、イヤだ。あたしの顔見ないで」
「そんな事、言ってもな」とオレは腕を組んで、考えた。そして思い出した。
「あっじゃあ、これかぶってなよ」オレは何年か前に二人でいった縁日で冗談で買った、プラスチックのお面を出してきた。そして耳にかけてやる。
その日から郁美は美少女戦士になった。
それから三日後の夜、郁美は二階のベランダから月を眺めていた
「何だよ、月に代ってお仕置きしちゃうのか」そんな軽口に郁美は乗ってこない。だからオレはちょっと心配になる。
「どうした?」
「あたし、これからどうなるの」
「えっ、それは聞いてみないと分からないけど。でもゾンビは死なないから、ずっと一緒にいられるんじゃないかな」男が言うにはデーターがないから、何処まで生きられるか分からないと言っていた。でもそんな事、郁美には言えない。
「そんな事出来ないよ」
「どうして」
「だって、あたしの体あっちこっち溶け出しているし。片目取れてるし。耳だって、昨日取れた」
「えっ、でもお面、顔についているじゃん」お面のゴム紐は耳に引っかける。
「これ耳で止めてるわけじゃないから。もう顔の肉が溶け出して、お面が張り付いているの」
ああ、そういうことかとオレは思った。
「でも、ずっと一緒だろ」
「ゾンビ、死なないって言うけれど、肉は溶け出しているし、あたし骸骨になって生き続けるの、そんなのイヤだ。タカだってイヤでしょ」
「嫌なもんか。オレは郁美がどんな姿になっても構わない。そのために、お前をゾンビにしてもらったんだから」
「タカが、私をゾンビにしてくれたことは感謝している。だってあのまま死んでいたら、タカに、さよならが言えなかった。
今までありがとうって言えなかった。
結婚してくれてありがとうって言えなかった。
楽しかったよって言えなかった。
私のことなんか忘れて幸せになってねって言えなかった」
「ふざけんなよ。お前をゾンビにしたのは、お前からさよならなんて、言ってもらうためじゃない。
ありがとう。なんて言われたいわけじゃない。
お前と。
郁美と、これからもずーっと一緒に暮らしていくためだよ。おまえがどんな姿になろうと関係ない。ミイラになろうが、骸骨になろうが関係ない、ずっとオレの側で。オレの横で悪態をついてくれてれば、それだけで良いんだよ。それだけで良いんだ」そんなオレの言葉に嘘はなかった。それは郁美も分かってくれた。郁美は嬉しそうに、微笑んでありがとうと言った。誓って言う、微笑んだのは美少女戦士ではない、お面の下の郁美の顔だ。
結局郁美はゾンビを辞めた。
そして、正式に死亡届けが出され、郁美は死んだ。
郁美は最後の最後まで、オレに、再婚しろとうるさく言っていた。
オレは郁美の頼みだったら、何でも聞いてやるつもりだったけれど。
これだけは、聞く気がない。
だって、郁美はいまだにオレの心の中にいるんだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます