第5話 保険制度

 今日から領政の補佐としての仕事が始まる。主書斎でユリウスとカイン副官から領地の報告を受ける。


「――街道近くの洞窟にゴブリンが棲み着いたようで、街道を通る行商人や旅人に被害が出ています。また農耕ですが、今年は日照り続きで作物が育たず、予定されていた収穫量を下回るようです。以上の理由から前年より税収が少なくなると見込まれます」


 カインの報告を聞き終わると、ユリウスは難しい顔をして悩んでいた。


「ゴブリンは早急に排除するとして……あとは不作だな。アイリア、君はどう思う?」


 急に名前を呼ばれて戸惑いを覚える。結婚式から一夜明けて今までの素っ気ない態度は消え、ずいぶん打ち解けたように思う。


「そうですね……、天候による不作は今後も起こることと思いますので、人工的に雨や日照りを起こせる魔法道具を手配するのはいかがでしょう」


 振られたからにはなんとか良い返答をしようと緊張しながら答える。


「ふむ、やはりその辺りになるか……。とすると、それをするために新たな税を課すしかないか……」


 ユリウスは資料を見ながら溜息混じりに苦笑する。


「すみません。この程度のことしか言えず……」

 私は思わず赤面して俯いた。


「いや、そんなことはない。何度かその提案を受けたこともある。しかし税収が下がってる今、どこからその費用を捻出するかが問題でな……」


「設置費用はこちらが出して、その後魔法道具使用税として徴収するのはいかがでしょう」


 私に助け船を出すようにカインが提案する。


「その場合は、それぞれの農地から敷地と作物に見合う魔法道具を提出してもらって審査する必要がある。また既に困窮している農家などは使用税を上乗せしたらそのまま払えずに潰れてしまうかもしれない」


「しかしそういった農家はそのままでも不作で潰れてしまうのではないでしょうか」

「ならば――」


 ユリウスとカインは真剣に意見を交わし合う。私は二人の話に付いていくのが精一杯だった。


「この件はまた詳しく調べてからだな」


「すみません、その、よくわからずに提案してしまって」


「構わない。何事も案が無ければ前へ進めない」


「アイリア様は他に領で気になったことなどありませんか?」


 カインが優しく微笑み私にも意見を促してくれる。


「……その、孤児が多いことが気になっています」


 最初に思いついたのは、先日の子どもたちに囲まれて日傘を盗まれたことだった。


「孤児か。それもまた改善すべき問題だな……」


 ユリウスは悩ましそうに眉間に皺を寄せる。


「場所柄、モンスターに出会うことも多く、運悪く襲われた一般人や我々騎士隊で犠牲になった者もいる。その子どもたちが路頭に迷うことがよくあるのだ」


「今回のゴブリンによってまた一人孤児が出たと報告されています」


 カインは書類をめくりながら報告する。


 予想はついていたものの、やはり子どもたちの境遇を思うといたたまれない気持ちになる。


「先日、東門の外壁付近で子どもたちに盗みを働かれました」


「なんだと?」


 ユリウスが急に怒りの籠もった声を出す。


「幸いにも盗まれたものは日傘やハンカチ程度でしたが、年端もいかない子どもたちが数人で協力して盗みをしなければいけないのには心が痛みます」


ユリウスの表情に気圧されながらも、なんとか自分の意見を言い切る。


「彼らには我々も手を焼いていてな……。しかし、このまま孤児が増えるのは領としても良くない。治安は悪くなり、孤児たちを利用した悪人どもが出始める。既に何人か行方不明者も出ている」


 ヒュッと血の気が引くような心地がした。治安が悪いということは犯罪に巻き込まれることもあるだろうと予想はついていたのに、実際に起こっているとわかると気分が悪くなる。


「こちらとしましても、教会に孤児院を作ったりいろいろ手は打っているのですが、やはり元を断たない限りは永遠に無くならないでしょう」


 カインが資料をさらっと確認する。


「元、というのは……?」


「魔物や事故による両親の死です。これを無くすことは不可能です」


 当たり前のことなのに、次々と頭を打ち付けられているような気持ちになる。あの孤児たちには全員親がいないのだ。彼らも好きで孤児をしているわけではない。住むところも稼ぐところもなく、やむなく孤児になってしまっているのだ。


「あの東門の子どもたちは教会にも入れてないということなのでしょうか」


「そういった子どもたちもおります。教会、というより大人自体を信用せず街で盗みを働いている子どもたち、家はあるけれども働くところがなく盗みをしている子どもなど、様々ですね」


 孤児の資料もあるのか、カインは手元を見ながら丁寧に教えてくれた。


「教会の孤児院は保護を強化するとして、問題は東門付近の盗みだな。おかげであの辺りには何の施設も建てられん」


 ユリウスは大きなため息を吐く。私は何か良いアイデアは無いかと今世だけでなく前世の記憶まで思い返す。――そうだ。


「保険制度、なんていうのはどうでしょうか」

「保険制度……?」


 聞き慣れない言葉にカインだけでなくユリウスまでもが首を傾げる。


「保険制度といいますのは、制度を利用する人たちで少しずつお金を出し合い、魔物や事故で負った損害を補い合う仕組みです。例えば、魔物に襲われてケガをしたり、家が火事で焼けてしまったりした場合に、その治療、修復に掛かった費用を提供します」


「被害に遭った者に見舞金を出すということか」


「もちろんそれも一つの保険かと思いますが、私が今回ご提案したいのは、基金を立ち上げ、領民が自分たちで資金を出し合い、その積み立てた資金から必要な時に補償すると言ったものです」


「自分たちで?」


 ユリウスは怪訝な顔をしているものの、興味深そうに聞いている。


「そうです。領民全員が毎月少額ずつお金を出し合い、その資金を一つの基金として管理します。この基金は領民の代表によって運営されます」


「何故領主ではダメなんだ?」


「その時の領主に左右されずに透明性を高めるためです。もちろん領民が管理した場合でも不正を防ぐために監査を行います」


 私が話し終わった後、ユリウスはしばらく考え込んだ。


「制度自体は良いのだろうが……あまり良い案には思えないな……」


 ユリウスの渋い顔つきに、私は自分が説明した内容が何か間違っていなかったか何度も思い返す。その間にユリウスは申し訳無さそうに口を開いた。


「つまりは他人のケガや損害のために自分たちの金を出し合うということだろう? 誰しもがそんなお人好しではなく、自分のためで精一杯だ。とても資金が集まるとは思えない」


 ユリウスの説明を聞いて、まだ弁解できるチャンスがあるとホッとする。


「失礼しました。私の説明が誤解を生んだようです。保険は自分の将来ために備える制度です」


「ほう、それはどういう……」


「そうですね……では医療保険を例に上げるとしましょう。現在ハンドラーク辺境伯領では、ただの風邪でも1万前後の医療費が掛かります。大きな病気では100万以上掛かることも珍しくありません。ですので、その備えとして月々1万ずつ貯金したとします。しかし1年も経たない内に大きな病気に掛かった場合、手元にあるのはその貯金したわずかなお金です。ですが――」


「保険に入っていれば、その医療費である100万が補償される……」


 カインがようやく理解したように頷く。


「はい、その通りです。費用は他の制度利用者たちが積み立てた資金から補償されます」


 私はユリウスとカインとそれぞれ目を合わせながら頷いた。


「そのおかげでこの方は医療を受けられ、生きながらえることができます。そしてその結果、孤児を生まずに済みます」


「なるほど、そこに繋がるのか……」


 ユリウスはようやく理解したように考え込む。


「そんな制度があるのか……いやしかし、そう上手く人が集まるだろうか。民にとっては結局税を徴収するのと同じこと。広まるには時間が掛かる」


「はい。やはり最初は補償する資金を寄付などの支援に頼らざるを得ないと思います。確かに時間は掛かりますが、今回だけの一時凌ぎではなく、長期的に領の孤児を減らし働き手を安定させる案だと思います」


 ユリウスは聞こえているのだろうが返事は無く、難しそうな顔をして黙り込んでいる。私は内心気が気じゃなく、ユリウスの返答を待ちきれず、


「そこへ我々貴族が多額の寄付をして、さらに領民が主体で管理することを伝えれば、ハンドラーク辺境伯は領民のことを一番に考える領主だとアピールできるのではないでしょうか!」


 と思わず力を込めて発言していた。ユリウスはそれを聞いてフッ、と笑みを漏らした。


「ずいぶんとその保険制度を推すんだな」


 突然笑みをこぼされて、急に恥ずかしさが込み上げた。


「申し訳ありません。熱くなってしまいました」


 何故ここまで保険制度に詳しく、こだわっているか不審がられただろうか。頬を押さえながら緊張が走る。


「カインはどう思う?」


 ずっと黙っていたカインの方を見ると、私たちのことを微笑ましく見守っていたらしく、話を振られて焦っている様子が見えた。


「そうですね。実際孤児を減らすとなりますと、父母が死なない、または父母に代わる生活費が必須となりますので、保険制度はこの2つを満たせているとは思います」


「ふむ」


「ただ……」


 カインはユリウスの相槌に被せるように続けた。


「それを優先的に進めていくかというと、それはまた考えていかねばならないと思います」


「というのは?」


「まずはやはり費用です。集めるのには他者の協力が必要ですし、領民主体とはいえ先導しているのは我々ですから、ユリウス様が仰ったように民にとってはやはり税を徴収されるのと同じです。でしたら、例えば不作なので減税をしたり、孤児を減らすのであれば、子どもを雇用できるようにしたり、もしくは父母の賃金を増やす政策を作ったりする方が先決かと思います」


「ふむ……」


 カインの言葉にまたユリウスは顎を触りながら考え込んでいる。私もカインの指摘に納得してしまい、前世の記憶に引きずられて保険制度にこだわりすぎてしまったかもしれない、と反省した。


「そうだな……」


 ユリウスがおもむろに口を開く。やはり却下されるのだろうかと緊張が走る。


「では、並行して取り組もう。カインは減税できそうなところのリストアップを、アイリアは保険制度の素案を作ってくれ」


 思ってもみなかった言葉に私は呆気に取られてすぐには反応ができなかった。


「よ、よろしいのですか……?」


「案自体は悪くない。すぐには効果は出ないだろうが、長期的に考えれば医療に安定して掛かれるというのは孤児だけでなく領としても大きな利を生み出すだろう」


 ユリウスに微笑まれ、どうしようもなく嬉しさが込み上げた。


「ただやはり俺には馴染みがない制度だ。すまないが君が先頭になって進めていってほしい」


「もちろんです! ありがとうございます」


 まるで前世で初めて契約を取った時のような、上司に初めて褒められた時のような、そんな心地がした。

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