第4話 夫婦として初めての

 あれから7日が経ち、結婚式当日となった。

 ユリウス辺境伯とは仲良くなるどころ、ほとんど顔を合わせていない。

 それでも結婚式の準備は進んでいき、政略結婚だというのに豪華なウェディングドレスを着ると、どうしようもなく胸が高鳴った。


 これで愛し合う2人だったなら……と叶わない夢を鏡越しに見た。


 親族控室を訪れると、私の父、グレイグ・ド・ドーレン男爵とユリウス辺境伯の父、ハンス・フォン・ハンドラーク侯爵が握手を交わしていた。ドーレン男爵はこの上なく嬉しそうな顔している。


「お噂はかねがね聞いております。ご子息も素晴らしい御方で!」


 と、まだ話したこともないユリウス辺境伯を褒めちぎっている。

 私の隣で新郎席に座っているユリウス辺境伯は、いつもの素っ気ない仮面と違い、装飾の付いた黒い仮面を付けて押し黙っている。

 私の方も見ず、どこを見ているのか真っ直ぐと前を向いている。


「息子と結婚してくださるだけでも、我々にとっては有り難いことです。ドーレン家をこれから充分に支援していきましょう」


 ハンス侯爵の社交辞令とも本心とも取れる言葉に、父と無駄遣いが大好きな母は顔を見合わせて喜んだ。

 ユリウス辺境伯も聞こえているだろうに、それでもなお彼は何も聞こえていないように無表情に徹していた。


 控室には兄のヴィリアムと妹のエステラも来ており、兄は自分でドーレン家を立て直す目標があるためか、積極的にユリウス辺境伯の兄、フレデリック・フォン・ハンドラーク伯爵と話している。

 妹のエステラは夫であり今回の立役者である、ステファン・フォン・サンストロン伯爵の隣を離れずじっとしている。

 時折エステラと目が合っても、すぐ目を逸らされてしまう。私にマイナスな感情は持っていないはずだけれど、きっと今更何を話せば良いかわからないのだろう。 


 結婚式は本人たちの心を置いて粛々と執り行われた。


 私はティアラから垂れるヴェールで頭全体を覆い隠し、父に伴われてヴァージンロードを進む。

 歩くにつれて、ひそひそと参列席からの視線と声を感じる。

「不幸」、「気の毒」、「生贄」等、微かに聞こえてくる。


 その先にいるユリウス辺境伯は顔色一つ変えず、騎士隊長然として立っている。

 紺色の隊服に、表地は黒く裏地が赤いマントを左肩に纏い、左胸には数々の武勲を称えたバッジ、右胸には一回り大きなドラゴンの形をしたプラチナのバッジが付いていた。腰には擦れてくすんだ鞘の剣を帯剣している。

 顔の右半分は装飾の付いた黒い仮面で隠れているが、もう半分だけ見えている整った顔立ちと威風堂々とした佇まいで、その場にいる人たちを惹き付けていた。


 ユリウス辺境伯まで辿り着くと、私達は女神エンデルの像の前で結婚の許しを請う。

 講壇に立つ司祭が誓いの言葉を述べる。


「新郎、ユリウス・フォン・ハンドラークよ。汝、病める時も健やかなる時も、常にこの者を愛し、守り、慈しみ、支え合うことを誓いますか」


 司祭の穏やかな声が教会中に響き渡る。誰も声には出さないけれど、本当に誓うのかと、聞き耳を立て息を飲んでいるのがわかる。


「はい、誓います」


 言い終わる前に悲鳴のような歓声が参列席から聞こえた。

 横目で盗み見たユリウス辺境伯の表情は凛としていて、まるで騎士として主君に忠誠を誓うように、とても嘘を吐いてるようには見えなかった。


「新婦、アイリア・ド・ドーレンよ。汝、病める時も健やかなる時も、常にこの者を愛し、守り、慈しみ、支え合うことを誓いますか」


 まったく同じ言葉を司祭から尋ねられる。先程よりも参列者がもどかしくしている空気を感じる。

 心無しかユリウス辺境伯からも視線を感じている気がした。

 

 今が逃げ出す最後のチャンスなのだろう。そして、それをユリウス辺境伯も期待している。

 まだ何が自分らしくが何かはわからない。けれど、先日の視察で気になることができてしまった。

 だから、私はーー。


「はい、誓います」 


 

 結婚式が終わると、私の寝室は同じ棟の3階、ユリウス辺境伯の寝室と渡り廊下を挟んでちょうど反対側にある部屋へと移った。

 そこが、本来妻となる人に与えられる部屋だった。

 私はようやくハンドラーク辺境伯家の一員となったのだ。


 そしてその夜、私はユリウス辺境伯の寝室でネグリジェに着替え、寝支度を整えていた。


 妻として初めての務めが始まる。

 今世ではもちろん前世でも恋愛には疎かったため、そういった経験は全く無く、どうしようもなくベッドの上で浮足立ってしまう。

 ユリウス辺境伯は湯浴み中で、部屋の奥から聞こえてくる水音に、不安と緊張がさらに増していく。


 しばらくしてユリウス辺境伯が濡れた髪を拭きながら、ガウン姿で現れた。

 仮面は外しており、赤黒い火傷痕が水に濡れてより一層赤く広がっているように見えた。


「どうした、震えているのか」


 ユリウス辺境伯はゆっくりとベッドに近づいてきた。

 思わず緊張で後退ってしまう。


「今さら後悔しても遅いぞ。お前は女神の前で誓ったのだ。もう俺のものだ」


 と、嘲笑いながら押し倒すように身体ごと覆い被さり、顔を近づけてきた。

 キスをされるのかと思い、咄嗟にぎゅっと目をつぶった。

 すると、しばらく経っても何もなく、恐る恐る目を開けると冷たい目で私を見下ろしているユリウス辺境伯と目が合った。


「はっ、やはりお前も避けているじゃないか。威勢良かったのは最初だけか」


 ユリウス辺境伯は失望したかのように鼻で笑い、静かに私から身体を離した。

 呆然としながら身を起こして、言われた意味を考えていると、ようやく私が出会って最初に言った、


「その傷がドラゴンによるものでなくても、忌避するつもりはない」という言葉を確かめていたのだと気が付いた。


 それがわかると、視線を逸らして溜息を吐いているユリウス辺境伯の姿が、急に不貞腐れている子どものように見えて可愛く思えてきた。


「ふふっ」と思わず笑みがこぼれてしまった。


「急になんだ」


 ユリウス辺境伯はそれを聞き逃さず、すぐに高圧的な態度を取る。


「すみません、いえ、可愛らしいところもあるのだと思いまして……」


 私の返答が気に入らなかったのか、言い切らない内にユリウス辺境伯は勢い任せに私の身体を押し倒した。

 ベッドとはいえ衝撃の強さにうめき声が出る。


「可愛いだと? 得意の見栄か? 今さら取り繕っても意味は無いぞ」

 怒気を含んだ声が顔に降りかかる。


「違います。私は本当に……」


「本当に? 本当にこの顔を可愛いと思ったのか? ずいぶん悪趣味じゃないか。こんな爛れた顔を可愛いなどと」


 嘲るように笑いながら右手で見えない仮面でも外すように火傷痕を掴んでいる。

 痛そうな仕草に私は思わず手を伸ばす。しかし、その手を拒むように掴まれる。


「ならば、この顔で抱かれても文句はないな! 先程震えて小さくなっていたにも関わらず、可愛いなどと虚勢を張れる余裕があるのだからな!」 


 痛いほど手を握られ、憎々しそうな顔で怒声を浴びせられる。

 つい勢いに負けてしまい、本当にこのまま抱かれてしまうのではないかと焦りと怯えで震え出してしまう。


 私のその様子を見て、彼は勝ち誇ったように鼻で笑った。

 瞬間、私は無性に腹が立った。


「ですから! 違います!」

 私は勢いよく起き上がり肩を突き飛ばした。


「あなたの顔が怖くて震えてたんじゃありません!」


 彼は一瞬呆気に取られていたが、すぐに睨み返し、


「じゃあ何だというのだ」


 と何を言われても納得しなさそうな威圧的な態度を取った。


「それは……」


 否定はしたものの、理由を言う心の準備はしていなかった。

 初夜に緊張していたなど、淑女として口に出すのはさすがに恥ずかしい。

 しかし、急に言い淀んだ私をまたユリウス辺境伯は鼻で笑ったのがわかった。

 私はまた腹が立ち、どうしても鼻を明かしたくなった。そしてここで黙っては、この先もう何を言っても顔に怖がっていないことを信じてもらうことはできなくなるだろう。

 私は意を決した。


「は、初めてだったからです……」


 自分にとっても思いの外、小さな声が出た。


「え?」


 聞こえたのか聞こえなかったのか、ユリウス辺境伯は素っ頓狂な声を出した。


「ですから! 男性とこういったことをするのが! 初めてだったからです!」


 もはや自棄になって叫んでいた。

 恐る恐る彼の方を見ると、呆然とこちらを見て固まっていた。


「いや、すまない……その……」


 ユリウス辺境伯は自分が何を強要したのか理解したようで、なんとか謝罪しつつも絶句していた。


「本当に、すまない……」


「いえ、大丈夫です……」


 こちらとしても予想外に狼狽えているので、大丈夫と言う他無かった。


「すまない……その……そこまで気が回っていなかった」


 全く予想していなかった返答なのだろう。

 あまりにも申し訳無さそうに謝るので気の毒になってしまう。

 本来のユリウス辺境伯は、きっと真面目で優しい人なのだろうと察せられた。


「本当に大丈夫ですよ。なんだか、ようやくユリウス様とお話できた気がします」


 ユリウス辺境伯は目を見開くと、バツが悪そうに口を押さえた。


「本当に俺は……君にはたくさん申し訳ないことをしているな……」


 まるで憑き物が落ちたように、項垂れて困ったような顔をしている。

 それがまた母性をくすぐるような可愛さがあったので、またつい、ふふっと笑みを漏らしてしまった。

 それを見たユリウス辺境伯は、今度は怒らずに苦笑した。


「本当に俺は自分のことばかりだった。君はこの土地に一人で来て不安だったろうに。緊張で震えるのも当然だ」


「わかって頂けたなら良かったです」


 本当にホッとして、ようやく一息が吐けた。


「君が嫌なら無理に抱くことはない。安心してほしい」


 先程とは打って変わって別人のように心配してくれている。


「すみません、嫌というわけではないのですが……どうしても緊張してしまって……」


 説明しているとまた気恥ずかしくなってくる。


「今日ゆっくり寝ると良い。結婚式もあって疲れただろう」


 このまま優しさに甘えてしまうのも申し訳ない気持ちになり、咄嗟に、


「それでは、あの、仲直りの印にキスだけでもしませんか?」

 と引き止めた。


 なんとか一つだけでも夫婦らしいことをしようと思っただけなのだが、彼をひどく驚いた顔をした。


「本当に良いのか……?」


「はい。その、ユリウス様がお嫌でなければ……」


 言いながら、どんどん恥ずかしくなってくる。

 ユリウス辺境伯は、恥ずかしいというより戸惑いが強いように見えた。

 私にはまたその様子が可愛く見え、ゆっくりと手を彼の右頬に触れた。

 彼は目を見開いていたが拒絶することはなく、しばらくすると同じように私の頬に手を添えて、そのままゆっくりと顔を近づけ、優しく唇に触れたのだった。

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