第2話 ドラゴン辺境伯

 縁談が決まってから2日後、私は執事とメイドに見送られ、連れのメイドも付けずにたった一人で馬車に乗りり込み出発した。高位貴族と縁さえできれば私の行く末など興味のない父母と、今さら見送るような間柄でもない兄と、既に結婚して家を離れてしまった妹との、最後の別れはこんなものだった。


 ハンドラーク辺境伯領はここから東の果て、他領をいくつも渡った国境にある。四方は険しい山に覆われ、気温も低く農作がし辛い土地となっている。


 国境は他国からの脅威だけでなく、モンスターなどが入り込みやすく、その時の領主によって防衛力が左右されてしまう。


 ドラゴン退治による功績を讃え信頼の証として国境を任せる、というのは建前で、しばらくはドラゴンを倒すほどの逸材に守ってもらいたいということだ。

 

 通常の領主ならば、土地は広いものの扱いづらい領地を嫌がるのだが、元々騎士であるドラゴン辺境伯は国を守るためと言われれば応じざるを得ず、体良くこの辺鄙な土地を押し付けられたのだった。 


 ようやく馬車からでも見えるくらい近づいたハンドラーク辺境伯領は外壁が異様に高く、外から来るものを拒んでいるように見えた。実際外壁の上にも門にも衛兵がそこかしこにおり、外からの侵入を警戒しているのがわかる。


 壁の中は田舎の男爵領と違って、人々が多く行き交い賑わっていた。行商人や旅人が国境を越えて最初に訪れる街として、あちこちに見たことのない珍しい商品がお店に並んでいた。道行く人も北方の白人から南方の黒人、東方の人間以外にも狼や虎、トカゲの姿をした獣人や、少ないがエルフやノームの姿まで見かけた。


 ハンドラーク辺境伯邸は北にある険しい山を背にして、私たちが入ってきた西門と南門の中間あたりに位置していた。邸宅までの道は曲がりくねっており、簡単には辿り着けないようになっている。


 辺境伯邸に着くと門の前で執事とメイドが横一列に並んで待っていた。そしてその執事たちを背にして、鋭い眼光でこちらを睨みつけてくるドラゴン辺境伯が立っていた。


 彼がドラゴン辺境伯だとすぐに分かったのは、顔の右半分が焼け爛れていたからだ。仮面も付けず、赤黒く泡立った皮膚と白く濁った右目をそのまま晒している。


 あれがドラゴン辺境伯ーー。

 

 確かに初めて見ると怯んでしまう顔だ。しかし怖さは感じなかった。それはたぶん前世の記憶を思い出したからだ。


 保険営業という仕事上、顔に火傷を負った人や、片足を失くした人、半身が不随するような大怪我をして一命を取り留めた人などいろんな人と会い、見慣れていた。

 それにそうでなくともドラゴン辺境伯の傷跡は、その通称の通りドラゴンを打ち倒すという偉業を成したからこそ出来たもの。前世を思い出す前ならともかく、今の私には恐れるよりも尊敬が先に来るのだった。


 馬車から降りると、自分より背の高いドラゴン辺境伯とできる限り目線を合わせようと、ピンと背筋を伸ばす。


「お初にお目に掛かります。私、グレイグ・ド・ドーレン男爵が長女、アイリア・ド・ドーレンと申します」


 そして自分が辺境伯に相応しい存在であると示すように堂々と、しかし礼儀を持って頭を下げた。

 しばらく沈黙とともに、下を向いていてもわかるようなドラゴン辺境伯からの見定めるような鋭い視線を感じた。

 そして口を開く音が聞こえて、


「逃げるなら今のうちだ。支援もしよう」

 とドラゴン辺境伯は告げた。


 私は驚いて頭を上げる。


「何故そのような……私のことが気に入らなかったでしょうか」


 ドーレン男爵家の令嬢として何か失態を犯してしまったのかと不安が押し寄せる。


「この顔を見て怯まなかったところは認めよう。しかし我慢するだけ時間の無駄だ。家のことで帰れない事情もあるだろうが、こちらとしてもいなくなる者に構う時間はない。ドーレン男爵家にも損がないようにしてやる」


 ドラゴン辺境伯は有無を言わさぬ威圧感で言い切ると、そのままその場を離れるように身を動かした。


「わ、私は逃げるつもりなどありません!」


 慌てて引き止めようと声を上げる。彼は動きを止め、ゆっくりと向き直った。


「虚勢はいらん。直にこの顔が我慢できなくなるだろう。ならばここを去るのは早い方が良い」


 私は顔の傷跡のせいで卑屈になっているという、ドラゴン辺境伯の噂を思い出した。幾度も婚約を断られ、今言っていたように婚約に訪れた女性が顔のせいで逃げていったこともあるのだろう。


 私は同情心が募ると同時に覚悟を決め、より一層背筋を伸ばした。


「私はあなたの顔を恐ろしく思いません。その傷はドラゴンを倒す際に受けたもの。騎士にとって勇敢な証ではありませんか。たとえドラゴンによるものでなかったとしても、私はあなたを忌避するつもりはありません!」


 信じてもらえるようにユリウス辺境伯の眼を真っ直ぐに見つめた。


 ドーレン家の令嬢としてではなく、本心からの言葉だった。

 前世ではいろんな傷跡のある人たちと触れ合ってきた。それぞれに傷跡による苦しみがあり、それぞれに周りの反応による悩みがあった。

 それを知っているからこそ、寄り添うことはあっても疎むことなどあり得ない。


 私はあなたの力になりたい。

 あなたを怖がらない人が一人でもいると知ってもらいたい。


 ユリウス辺境伯はしばらく何も言わなかった。


「……カイン、後を頼む」


 静かにそばにいた副官に声を掛けると、マントを翻して邸宅の中へ入っていった。


「お初にお目に掛かります。副官のカインと申します。この度は遠方からご足労頂きありがとうございます。お疲れでしょうから、一先ずは屋敷にお入り下さい」


 カイン副官は丁寧に挨拶をし、私と後ろの馬車を招き入れた。


 私が門を通ると、彼の後ろに控えていた執事やメイドたちが馬車の荷物を取りに行く。私が乗ってきた馬車は屋敷には入らず、ドーレン男爵家へと戻っていった。


 これで、ここへ残ったのは私たった一人となった。


 ユリウス辺境伯邸は3階建てで、正面玄関の尖った屋根を含めて真正面から見るとほぼ左右対称の長方形の形をしていた。どっしりとした重厚感があり、壁や柱の色も使われた石そのままのような灰色を基調としている。建物を支える円柱だけがかろうじて丸みがあった。今日は晴れているのに、辺り一面がまるで曇っているかのようだった。 

 通された先の玄関ホールは全体的にシックな色合いで、また両脇には左右対称に配置された暗い茶色の螺旋階段があった。床を埋める柔らかい絨毯は階段よりもやや赤みのある茶色で、全体を少し暖かみのあるものにしている。


 1階の奥、螺旋階段の間にある扉を通り、中庭を抜けた先にある棟の客室が私の部屋として案内された。

 まだ正式に婚姻していないためただの客人として扱われた。

 ユリウス辺境伯の主寝室はこの棟の3階にあるらしい。


「結婚式は7日後を予定しております。期日が迫っても支度代などを請求することはありません。今後のことをゆっくりとお考えください」


 カイン副官はそう言うと、礼儀正しく去っていった。

 私は急に身体の力が抜けて、その場に座り込んだ。

 副官の言い方からも、逃げ出すことを前提としているのがわかる。


 今世は自分らしく生きようと決意したけれど、このままここに残るのと、ドーレン家に帰るのと、どちらが自分らしいのかはまだわからない。

 まずは自分の気持ちをはっきりさせよう。まだ7日あるのだから。

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