異世界生保レディ

鼓動

第1話 今世でも私は

 今世でも私は自分らしく生きていないことに気が付いた。


 その日は久しぶりに父、グレイグ・ド・ドーレン男爵に書斎に来るよう呼び出された。内容のおおよその予想は付いている。ついにこの日がやってきたのだ。

 書斎の扉を深呼吸してからノックする。

「アイリアです」

「おおっ、入れ!」

 扉からでもわかる浮かれた低い声が聞こえてくる。 

「失礼します」

 部屋に入ると、父、ドーレン男爵がそわそわと窓際の書斎机から立ち上がる。

「喜べ、お前の縁談が決まったぞ!」

 父はおもむろに手を広げると、芝居じみた動きで近づいて来る。

「相手はあのハンドラーク侯爵の息子、ドラゴン辺境伯だ!」

 全身からこの上ない幸運を示す父とは対照的に、私はドラゴン辺境伯という名前を聞いて思わず固まってしまう。

 縁談に付いてはある程度予想していたものの、相手のことは予想外だった。

 ドラゴン辺境伯というのは通称で、本名はユリウス・フォン・ハンドラーク辺境伯という。王国でも有力な高位貴族であるハンス・フォン・ハンドラーク侯爵の次男で、王立騎士団に所属している。5年前25歳の時のドラゴン退治で多大な活躍をし、その功績が称えられ国王から領地と辺境伯爵位を与えられた。

 しかし不幸にもドラゴン退治の際、顔面に大きな火傷を負ってしまい、その醜い傷痕を見た周囲からドラゴンの呪いを受けた、と気味悪がられ敬遠されていた。

 ドラゴン辺境伯自身もその境遇に耐えられず、 誇り高く精悍だった青年は、厭世的で卑屈な人間になってしまったと噂されている。

 しかし、父は今私がその噂に怯えていることなど少しも気付いていない。今も目を輝かせて、ドラゴン辺境伯がどんなに素晴らしい人かを語っている。噂を知らないわけではないだろうに、彼にとってドラゴン辺境伯がどんな人物かはどうでも良く、ハンドラーク侯爵家の縁戚になれることだけが重要なのだ。

「エステラに感謝しなければな!お前にもこんな良縁が来るとは思わなかった。これぞ女を生んだ甲斐があったというものだ!」

 父は誇らしげに丁寧に整えられている鼻髭を触った。

 エステラとは先に縁談が決まった、絶世の美貌を持つ私の4つ下の妹のことだ。父母どちらにも似ず顔は小さく白く、ふわふわの長い金髪に大きな碧い瞳、人形のように愛らしいが、ハッと息を飲むような美しさも持っている。14歳の初めての社交パーティーの日には、瞬く間にその場にいた男性たちを魅了し、幾人かに求婚もされた程だ。

「ステファン卿がドラゴン辺境伯をよろしく頼むと仰っていたぞ」

 なるほど。どうやら今回の縁談は、その妹の美貌のためだけに婚姻をまとめたエステラの夫、ステファン伯爵からの紹介のようだった。 

「お前のエステラの姉という立場を考えてくださってのことだ。なんて素晴らしい御方だ」

 私の返事も待たず父は話し続ける。

 元々父は野心家だが無能で、自分の地位を上げるためでも格上の貴族と子どもたちを婚姻させることしか思いつけない程度だった。兄や私たちは小さい頃から礼儀作法や言葉遣い、社交に役立つダンスや楽器演奏を厳しく教え込まれた。 

 特にその美貌故にエステラへの期待は大きく、食べる時間や寝る時間、果ては関わる人間すらも管理されていた。彼女の一切が自由にされなかった。

 その甲斐があってか、エステラは王家とも親交のあるサンストロン侯爵家の御子息、ステファン・フォン・サンストロン伯爵との縁談が決まった。

 本来なら一塊の田舎の男爵家に圧倒的格上の侯爵家が縁談を持ってくることなどない。たまたま三男で好色家な放蕩息子がその美貌を聞き付け、さらに徹底した教育によって完璧な所作と教養を身に付けたエステラが高位貴族の夫人として申し分なかったがために、幸いにも滞り無く縁談がまとまったのだ。良くも悪くも父の思惑通りとなったのだ。

 そうしてまだ16歳だったエステラは姉の私より先に結婚することとなった。

 私はそこに妬みも嫉みも無かった。どちらかというと、ずっと妹が羨ましかった。いつでも父と母に気にかけられ期待を向けられていて、私も見てほしいと思っていた。私ももちろん努力をしてきたが、どんなにダンスが上手くなろうと、どんなに学校で良い成績を取ろうと、姉ならば妹より上なのは当たり前だと言われ続けた。2人は自分たちの格を上げてくれそうなエステラにしか興味がなかった。

 それでも私が妹に嫉妬しなかったのは、一度も褒められるところを見たことがなかったからだ。期待通りの姿、所作や振る舞いをし、何も欠点など無いように見えても、いつでもそれ以上が求められていた。口答えは許されず、たった一秒でも勝手な行動を許されなかった彼女は、私以上に苦しんでいるのが見て取れたのだ。

 だから、たとえ顔だけが目当ての結婚だとしても、ようやく自由になれる妹を心から祝福したのだ。

 しかし、貴族社会ではそれだけでは済まされなかった。

 絶世の美貌を持つ妹に先を越され、さらに20歳にも関わらず婚約者もいない私は、貴族社会においては行き遅れの哀れな姉だった。そこへステファン伯爵が気を利かせて、旧知の仲であり、またなかなか縁談がまとまらなかったドラゴン辺境伯――もといユリウス辺境伯との縁談を私に持ってきたのだそうだ。

 ユリウス辺境伯は顔の火傷を受けてからというもの、婚約者はいたのだが傷を理由に婚約を破棄され、格下の貴族からさえも縁談を拒否されている。

 高名な魔術士に鑑定を依頼し、ドラゴンの呪いは受けていないというお墨付きを得られても、皆一様にその傷痕を恐れたのだった。

 このままではせっかく与えられた爵位に後継ぎがいない、と危惧した母であるハンドラーク侯爵夫人がなんとか縁談を受けてくれる家を探したところ、白羽の矢が立ったのがドーレン家だった。

 ユリウス辺境伯と昔から親交のあるステファン伯爵の紹介であり、妹には劣るが及第点の器量、学術も作法も厳しく育てられたので申し分なく、そして圧倒的格下により縁談内容も不利になる事は無い。私、もといドーレン男爵家にとっても、正統な血筋の侯爵家と縁ができるのはこの上ない良縁だろう、と。

 父にとって縁談内容は申し分ないものだったのだろう。厳格さを取り戻せないくらいニヤニヤと笑みが漏れ出ている。

「出発は明後日だ。くれぐれも粗相の無いように」

「かしこまりました」

 私は恭しく完璧なお辞儀をした。明後日嫁入りしてしまえばもうこの家と関わることはほとんど無いだろう。それなのに父は私とほとんど言葉を交わすことがなかった。

 そしてやはり、これが最後の会話となった。


 父の書斎を出た後、出発に向けて母に挨拶をしたかったのだが朝帰り無断外泊が当たり前の母は、今日もどこかへ出かけてしまっていた。一日のほとんどが家におらず、何をしているのかいつもどこかへ遊び歩いている。たとえ私の縁談を聞いても急いで帰ってくるなんてことはなく、自由になるお金が増える、と喜んでさらに遊んでくるかもしれない。

 私はもう一人挨拶すべき人、兄・ヴィリアム・ド・ドーレンの書斎をノックした。

「お兄様」 

 書斎に入ると兄は本の詰まった本棚の前で調べ物をしているかのように本を出しては読み、またすぐに直していた。

「お前か。どうした」

 兄は本から目を離し、少しだけこちらを見た後、また本に目を戻した。書斎机の上には書類が溢れて散乱している。

「私この度、御縁あってユリウス・フォン・ハンドラーク辺境伯との結婚が決まりました」

 私はスカートの裾を摘み、少し頭を下げて報告する。兄は多少驚いたようで調べ物をする手を止めた。

「辺境伯……? ドラゴン辺境伯か。それはまた……」

 兄もドラゴン辺境伯の噂を知っているのか、いつもは妹たちに興味を持たない人が、今回ばかりは憐れみの目を向けている。

「妻の役目として男児を産めば、ドーレン家の助けにもなるでしょう」

 私は頭を下げたまま淡々と話した。

「いや、それはいい。俺はそんな産まれてくるかもわからない不確かなものを当てにはしない」

 兄は音を鳴らして本を閉じ、しっかりとこちらを向いた。私は思ってもみなかった反応に思わず頭を上げてしまう。

「男ならば自分の実力で家を立て直すものだ。今、お祖父様に商売のノウハウを教わっているところだ。軌道に乗ればこの家も立ち直るし、跡継ぎも自分でなんとかなるだろう」

 祖父というのは豪商である母方の祖父のことで、この辺りの地域の流通ルートを牛耳るほど大きな力を持っている。弱小の貴族と比べても余程のお金を持っていて、この家がお金に困らないのは祖父のおかげでもあった。

 兄は野心家だが父とは違って成績も優秀で、祖父に師事しているのも役に立ちそうにない父を頼らず、最悪没落してもなんとかなるよう今後を見越してのことなのだろう。

「お前は好きに生きると良い」

 兄の諭すような言葉を理解するのに少しだけ時間が掛かった。父には最後まで言われなかった言葉だ。兄もこの家に縛られていたためあまり会話をしたことがなく、たまに話をしてもこちらには興味を持っていないのだと思っていた。

「お兄様もお身体にはお気をつけて」

 私は深くお辞儀をした。


 その日の夜、夢を見た。


 夢の中の私は日本という国で生命保険会社の営業に就いていた。なりたくてなったわけではなく、中学、高校と父の言う通りに勉強ばかりしていたせいか、大学在学中の就職活動が奮わずそのまま卒業してしまい、行き場のなかった私を生命保険会社に勤めていた叔母がちょうど人手が欲しかったと誘ったのだった。

 厳格な父はそれはもうひどく怒っていた。幼い頃から厳しく躾けて遊ぶよりも勉強を優先させて、県でも有数な上位高校、有名な国立大学に入学させたのに、それを活かすことも出来ずに、さらに努力もせず人の誘いに乗った甘い考えの私を頭ごなしに怒鳴りつけた。

「こんな役立たずの恥知らずだったとは……!」

 と、自分の妹の誘いであることなど関係なく、あちこちに新聞紙やコップやクッションを投げつけ、私が泣いて謝っても収まらなかった。

 しかし私はもう何度も面接に落ちて自信を無くしていたため、これ以上惨めな思いをしたくなかった。仕事さえしていれば父もいずれは認めてくれるだろうと、とりあえず保険会社に入ったのだ。

 生命保険の営業は人と人の会話が大事で最初は緊張して上手く話せなかったけれど、元来一つの事に取り組める真面目さと人に寄り添い親身なれる性格との相性が良く、次第に顧客が増えていった。

 そして40歳のある日、成績が認められ営業課長に任命された。

 最初は仕方なくで始めた仕事だったけれど、こうして会社に認められるといつかの自分も報われた気がした。

 その日は仕事終わりに昇進祝いのつもりでケーキを買って帰った。実家暮らしのため、もちろん父母の分もある。少し浮かれた気分で家に帰り、リビングでテレビを観ていた父の背中に声を掛けた。

「お父さん、私課長になったの」

 テレビの音に負けないくらい心臓がドキドキと鳴っていた。父は顔が見えない程度に振り向き、またテレビに向き直った。私は心が一瞬で落ち込んだのがわかった。

「あの、これ、自分でお祝いにケーキ買ってきたの。一緒に食べよう」

 上手く聞こえなかっただけかもしれない。そんな希望にしがみつきながら、テーブルにケーキの箱を置いた。

 置いてからしばらく、ようやく振り向いた父は、

「くだらん」

 はっきりとそう言った。

「そんな誰にでもできる仕事で、課長になったから何だと言うんだ」

 父は面倒臭そうに立ち上がると、ケーキの箱を開け、中身をじっと見た。父と母と私のそれぞれ好きなケーキを買ってある。

 バサッ、と次の瞬間には箱を投げ捨てられていた。箱から丸いチョコレートのケーキが飛び出して潰れた。私は信じられない思いで呆然と父を見た。

「お前はあの時楽がしたいがために逃げただろ! 難関の高校に入れて国立大まで行かせてやったのに。この親不孝者が!」

 怒り狂った顔に睨みつけられる。就職してから約20年、父はずっと怒っていたのだ。その間の私の努力など何も見ず、昔のたった一つの諦めをずっと覚えていたのだ。

 何をしてもこの人は認めてくれない。

 深い絶望に包まれ、私は悲しみを堪えきれず家を飛び出した。前もよく見ず玄関を飛び出し、どんな風に道路に出たかもわからない。気が付いたら運悪く通りがかった車に撥ねられ、そのまま死んでしまった。

 

 それが私の前世だった。

 私は、今世でも認められるためだけに頑張って、自分らしく生きていないことに気が付いた。

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