第14話 クランハルト、折り返す

「婚約者だと?ヴィルヘルム陛下のか?」


隊長の目が困惑に変わる。私だってそうだ。神という存在が急に身近なものに引っ張ってこられたような、そんな感覚がする。


「どこかの皇帝のことじゃない。コルト帝国の歴史上、正式に皇帝を名乗れるのはアルテーヌと婚約した者のみ。人間の歴史だと皇帝とされていても、私たちからすると皇帝ではない人間も何人かいる」


「じゃあ今の皇帝、ヴィルヘルム陛下はどうなんですか?」


今の幼君、ヴィルヘルム陛下は正式な皇帝なのだろうか。勿論、今までも婚約せずとも皇帝を行えた人もいるのだろうけれど、幼いながらにクーデターの後始末に追われているとお父様から聞いたときは心の中で可哀そうだと思った。せめて報われてほしい、と。昔そう思った自分がいる。


「あの子は正式な皇帝。アルテーヌに認められるには少し条件があるけど、簡単に言うと初代皇帝ヴェルディオルトの記憶を継承していることが条件なの」


またなんとファンタジーな。まあ、魔法なんて突拍子もない力があるんだからもう何でもあり、なのかな?


「アルテーヌはヴェルディオルトを神にしようとしている。私はそのことは別にいいとは思うけど、人間のことも少しぐらい考えてあげてもいいかなとも思うよ」


そう言ったケトゥーヴァの顔は何処か疲れている様にも見えた。



クランハルトは見事、110キロを三日間飲まず食わず眠らずで歩ききってみせた。しかし、心身ともに疲労困憊で、今まともに立っていることが奇跡的だと言えるほどだ。


まだ日は昇らずとも、太陽の光が視界が明るくなったことで感じられる黎明、ベルケンクルは静かにクランハルトを迎えていた。彼は何かにとりつかれたかのようにまっすぐ目的地に向かって歩みを進める。ベルケンクル陸戦研究所。陸軍兵器開発局の支部の一つであるこの研究所は夜明けだというのに電気によって明るくともされてきた。


そして、鍵がかかっていない粗雑な管理体制に本来は帝国の腐敗を嘆くのが正解なのかもしれないが、三日間歩き続けたクランハルトにはそんなことはどうでもよかった。


「おい、」


「ひゃっ!な、なんですか?」


身体強化はどうやら肉体だけでなく精神までも強靭にしてくれるようだ。変人を見るような目で見られても精神は極めて平常心を保っている。


「…とりあえず、水だ。水を持ってこい。」


細身に眼鏡をかけた研究員を使いっ走りにして、クランハルトは地面に倒れ込む。疲れた。体の疲労感がおこなうべき思考を阻害させて、意識を手放すように囁きかけてくる。


「え、あの、どうぞ」


コップにしては随分と飲みにくい器に口をつけて中に注がれた液体を一気に飲み込む。


「…まずい」


変な液体ではなく、正真正銘水のようだが、なんだか味気ない。本当にただ味のしない液体を口にしているだけで、喉の渇きを満たすような喉越しによる爽快感が足りない。


「やっぱり精製水は美味しくないですか。あ、なんか他の飲み物を取ってきましょうか?」


「いや、いい」


なんだか彼の不器用さに呆れ返り、己の疲労感もなんだかどうでも良くなってきた。力を振り絞って立ち上がる。


「ひゃっ!」


…ああ、本当に五月蝿い。いちいち反応するな。


用事は終えたので、これ以上ここに止まっている意味はない。本来の目的地はラグノーブルなのだ。自分でもまっすぐ歩けていないということはわかっているけれども、それが足を止めていい理由にはならない。


「ふ、副所長!?」


立ち上がるのに全精神を使っていたのもあるだろうが、彼が驚いた理由を認識するまでに少し時間を要した。気持ち猫背になっていたからだろうか、暗闇によって隠されていた服に包まれた肉片が視界を占める。…言わなくともわかる。胸部だろう?


「ウチの部下が迷惑をかけたな。それにしても、随分と疲れているみたいだが、大丈夫そうか?私と寝るか?」


首が彼女の腕に巻きつき、彼女の肉体に押し付けられる。…呼吸が苦しい。だが、悪くない。それに、いい匂いだし、な…


「あぁーあ、寝ちゃったか。ロッド、この子はお客様だ。所長の部屋に連れて行って寝かしておいてくれ。」


「え、僕一人でですか!?」


「あたしにやらせるのかい?それは、年下の女性に対して失礼だとは思わないかい?」


「僕より体つきはいいじゃないですか、もう…」


────────

────


「…ん?」


眩しい。カーテンがあるというのになぜ隙間から太陽光が入ってくるのか。これはもう意図的に行なっているとしか思えない。というかそうであってほしい。


「あ、ロトルピエさん、起きましたよう!」


「所長、言われなくてもわかっています。それに、体調に問題は無いと何度も言ったではないですか」


頭の上で二人が会話している。頭が痛い、ゆっくりと体を起こすと、私は知らない風景の知らない部屋にいた。


「あ、初めまして。体調はどうですか?私はウルム、ここ陸戦研究所の所長をしています」


そういえば、私はエルの死体を届けにこっこまで歩いてきたことを思い出した。死体は見当たらないが、この様子ならば回収してくれたのだろう。本当ならばこのまま今にでもラグノーブルに向かいたいが、せっかくもてなしてくれているのだ。その好意を無碍にするのは失礼というものだろう。


「丁重なもてなし、感謝する。私はクランハルト・フォン・レルモルドだ。格好を見てくれればわかると思うが、魔導兵をやっている。エルの死体は回収してくれたか?」


「はい、彼女の死体は副所長のアリアーテさんが回収しています。…彼女は天才と呼ばれた人間だったんです。少し頭のおかしい人が集まる兵器開発局でもエルさんは認めらているというか、あまた一つ飛び抜けていました。でも、身長は私より頭一つ分ぐらい小さいんですよ」


たとえ身長だとしても勝てることがうれしかったのだろう。懐かしそうに語るウルムの瞳は静かだが、確かに泣いていた。比喩表現だが、心は本当に泣いているのだろう。言い方的に上司のような立場の人間だったのか、詮索するのもなんだか申し訳なくなってくる。


「さあ、悲しい話はこのぐらいにしましょう。エルさんの死体を届けてくれたことには感謝しています。ですが、魔導兵として何か任務背負っておられるのでしょう?是非とも、死体を運搬していただいたお礼に何か協力したいのです」


けれど。手を合わせて、瞳を笑わせ、すぐに元の無邪気さを残した表情に戻った。やっぱりか。確かにエルの死は悲劇だったとしても既に過去なのだ。彼女らにとっては期待をするだけするが、終わればそれは半分は無駄で、もう半分は期待の余韻から生まれる感謝に過ぎないのだろう。


「礼は受け取りますが、それ以上のことについては私のためを思ってどうか踏み込まないでください。私は魔導兵です。今回は名の知れた研究者であるエルの頼みだったため、特別に骨を折ってここまで送りましたが、本来魔導兵とは軍事機密の塊のような存在。その一端でも勢力争いを繰り広げられている方々の耳に入ってしまっては、私の身が持ちません」


少し笑って、優しい口調で諭すように話す。善意だとしても、そうでなくても、ウルムのことは信用できる相手ではない。たとえ、本人に悪意がなくとも、陸軍からすれば兵器開発局は目の上のたん瘤であり、頭痛の種でもある。個人的に兵器開発局に好印象を持っていないのもあるが、可能な限り彼らと接触するのはこの機会で終わりにしたい。


「もーう、少しぐらいならいいではないですか。クランハルトさん、一体何が望みなんですか?」


「私に望みなどありません。ただ、少し力が欲しくはありますが、この力不足の感覚が己にとって自己超克への原動力となるのです。私は十分満ち満ちた生活を送っています」


このぐらい言い訳をすればウルムも流石に引き下がるだろうと思っていたが、それでも納得はいかないらしい。膨らんだ頬は元に戻ったが、目は動き、何か焦ることでもあるのだろうか、心拍の音が早い。


「むう、そこまでいうならこちらも手札を切らなければなりませんね」


「手札、だと?」


「そう、きっと自分から自分語りをしたくなるようなそんな魅力的な手札をね」


こちらが有無を言う隙すら与えず、ウルムは楽しそうに語りだす。


「クランハルトさん、『魔女』を追っているんでしょう?故郷であるラグノーブルを燃やした邪悪な放火魔である彼女を」


「脅すつもりか?」


「え、私ってそんな風に見られてたんですか?」


まじめな雰囲気から急に素っ頓狂な声色の返事が返ってきた。


「…なんでもない、続けてくれ」


流石に警戒しすぎなのかもしれない。貴族とやり合ってばかりで、市民の感覚を忘れそうになっていたが、元々人間とはこういう生き物なのだ。悪意はあるが、見知らぬ人にまで振りまくことはない。人間の言葉で表すと人間味のある、そういう生き物。


「ここベルケンクル陸戦研究所は、たしかに新兵器の実験場としての役割もありますが、魔力の痕跡を追跡することが出来る施設でもあるんです。主に、重要な港湾施設をカバーするためにベンケルクに建てられたんですよ」


嘘は言っていないようだが、鵜吞みにできるような内容でもなかった。まさか新大陸を縦断するような巨大な索敵網があるとは。おとなしく万人に役立つような研究をしていれば、あんな事件を起こすことなどなかっただろうに、もったいない。


「そして三日前、巨大な魔力を検知しました。クランハルトさんも心当たりがあると思います。『魔女』によって襲撃を受けましたよね?」


素直に首肯する。既に太陽は日の出の時の夕色から白色に変わっていた。


「魔力の痕跡はそのまま南に向かています。考えられることはただひとつ」


「クランハルトさん、ランカラに向かってください。氷で閉ざされた都市、ラグノーブルには既に殺すべき相手はいません」


「…本当なんだな?」


ウルムの目は真剣そのものだった。嘘をついているとは到底思えない、むしろこちらが気圧されているほどに。


「失礼する」


「起きお付けてー」


廊下を小走りで進むが、思考の中である問題に直面した。移動手段をどうやって用意しようか。ベンケルクからランカラへの移動手段はそれこそ列車が主だ。歩きでは到底移動できる距離ではないし、日数もかかる。


「何か悩み事かい?クランハルト。ひとまず、元気そうでよかった。何か手伝おうか?もちろん、協力できる範囲でだけど」


「ここに車はあるか?」


「もちろんさ。んと、これ。」


アリアーテは懐から鍵束を取り出すと、それをこちらに投げて渡してきた。


「たしかそのうちのどれかが、車のキーだったと思うんだ。使い終わったら放棄しておいてくれ。回収するのも面倒だしね」


「助かる」


裏手から外に出ると車が一台置かれていた。適当に選んだ鍵は一本目にして幸運にも合致し、ロックが解除される。エンジンをかけると無事に駆動音が響いた。任せろ、免許は無いが、私有地で運転したことならある。



「…ふーん。ウルムはしっかり騙せたみたいだね。あの男を相手によくやったよ」


アリアーテは楽しそうに独り言を呟いて廊下を進む。行先はクランハルトと逆の所長室だ。


「もどったよ、ウルム」


「お帰りなさい、アリアーテ。その様子だとクランハルトはランカラに向かってくれたみたいですね」


ウルムは肩の力を抜き、緊張状態から解放されたことが目に見えて分かる。


「まあ、嘘はついてませんから。『魔女タリータ様』がランカラに向かっているのは事実ですし」


「それでも何か良からぬことを考えていると相手に察知されれば、上手くいかないからね。素直に自分を褒めるといい」


二人の目が赤色に染まる。そしてそのままソファに座っていたウルムの上にアリアーテは覆いかぶさり、二人の顔は最大限接近する。


「もうすぐだな。これが終わればしばらくは休める。その時はたっぷりと付き合ってくれよ?」


「アリアーテは誘い方が下手です。強引に口説き落とそうとしても距離を取られるだけですよ?」


「じゃあ、お前は逃げられるのか?」


ウルムの頭に手を回し、顔を近づけるとやがて唇が重なり合う。二人は女性だが、俗に言うレズだ。大戦を乗り越え、ナショナリズムの高揚感から抜け切れていないこの時代の人間には多様性を押し付け合い、新たな火種を生むような余裕など無いが、彼女らもそのことは認識しているので積極的に表立った行動は控えているというのは一考の余地があるだろう。


しばらく互いの唇を堪能した後、ウルムが腕に力を入れてアリアーテを引き離す。


「まだ、終わっていません。クランハルトもカリンも『魔女タリータ様』は倒していませんから。ほら、まだやることがありますから」


「そうだったな。すまん、ウルム」


「さあ、ランカラを焼きに行くぞ」

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