第15話 スポメンサは血に染まる
「〜♪」
ケトゥーヴァが楽しそうに鼻歌を歌いながら何かをし、その反対ではカリン隊長が小難しい書類を整理している。この列車はランカラ行きで、私たち以外にも乗客がそこそこいる。ただし、全員が軍人であるのが軍用列車という認識を強める。それと、食堂を占拠している私たちは思ったより邪魔なのかも知れない、そんなことを窓越しに変わりゆく景色を見て考えたりして時間を潰す。…退屈だなぁ。
既に昼食は食べてしまった。シンプルながらもあのシチューは絶品だった。ポテトを頬張り続ける生活よりは大分人間らしい生活を送れていると思う。けれど、戦場帰りの人もいるだろうに、こんな肉を想起させる料理を提供するなんてシェフは一種のサイコパスなのかも知れない、とも思った。トマト缶は慣れたはずなんですけどね。
「カリン少佐殿、緊急電が」
小走りで通信兵らしき人物が食堂に入ってきた。そんなにお腹が空いているなんて大変だなぁと思っていたけれど、どうやら違うらしい。彼は隊長に電報を渡し、すぐに確認するように念を押して言うと、再び小走りで食堂を後にした。
「…なるほど、アレクト、ケトゥーヴァ、少し来い」
電報に目を通した隊長が気持ち早口で私の名前を呼んだ。そんなに重要なことなのだろうか、私が机に戻ると、隊長はこちら向きに電報を置いてくれた。
「どうやらスポメンサに敵軍が上陸したそうだ。幸い、沿岸を警備していた第26師団の複数の大隊が戦闘状態に突入し水際作戦を敢行しているが、少し困ったことになった。どうやら『王子』の姿が目撃されたらしい。被害については報告が入っていないのでなんとも言えないが、26師団にはD等級以上の魔導兵が配備されていない。そこで私は今からスポメンサに行ってくる。急な任務だが、国防上仕方がない」
あんまり残念に思っていない感じでカリン隊長は言った。そういうことだと割り切っているのだろう。職業軍人としては立派なのかもしれないけれど全てが終わったあと、人間らしさを取り戻せるのかな?
「私たちはこの列車に乗ってランカラに向かうって言うのは分かりましたけど、隊長は合流できるんですか?スポメンサというと、トラキスタン半島の先端にある港湾都市ですよね?」
トラキスタン州の名前の元となったトラキスタン半島はヤーヴェリア山脈の隆起によって形成された半島で、その根本にはメリートがある。そしてトラキスタンとランカラとメリートはセリナで乗り換えることができ、比較的簡単に行き来することもできる。
「そうだ。別に列車で行っても誰も攻めはしないだろうが、手遅れになったら元も子もない。すぐに戻ってくる。ランカラで迷ったりするなよ?」
「はーい」
隊長は太刀を抜き、それを振るうと空間の狭間に吸い込まれて消えてしまった。あたりには隊長の生活の跡が散らかっていて、戻ってくると分かっていてもどこか寂しかった。
◆
14インチの砲弾が飛んでくる。せっかくコンクリートで固められた塹壕とトーチカは跡形もなく粉砕され、野戦砲も既に沈黙してしまった。機関銃で掃射しようにも、注目を集めてこちらが蜂の巣になってしまう。
「中隊長、前線が持ちません!撤退するべきです!」
315大隊は何をしている。中隊長は歯を軋ませて不満を押し殺す。前線部隊から頻繁に送られてきた支援砲撃の要請と座標はやがて送られてこなくなった。それは戦況の好転を示すものではないのだが。
315大隊は第26師団の中で唯一魔導兵が配備されている部隊で、大隊規模では基本的に5の倍数の大隊がそうだ。スポメンサ郊外に配備されていたはずの315大隊は劣勢の戦線に随時投入される、そういうドクトリンだったはずだ、はずなのだ。
「それが、その、中隊長、315大隊は既に壊滅しているようでして…」
「何!?」
どうやらコードネームクラスが侵入してしまったらしい。中隊長は何度も死戦を潜り抜けてきた強者であったが、今回ばかりは生きた心地がしなかった。そうなればスポメンサ市街地はどうなるというのか。
「まだ市民避難も終わっていなかったはずだ」
現実から目を背けるようにして、いや確かに、これも大事なことなのだが、こんな状況で他人の命のことを気にしている暇などないにも関わらず、どうでもいいことを聞く。小さい現実逃避、中隊長は既に冷静さを欠いていた。
「…それにしても、大隊を相手に戦うとなればかなりの脅威度を誇るだろう。『武士』か?」
『武士』は西にある妖怪が住まう地の剣士のような風貌をしていることからそう名付けられた。彼はカタナというそり返った剣を扱い、銃弾すら両断して見せる。彼は新大陸中で目撃されていて、今回の上陸部隊に紛れ込んでいても不思議ではない。
「中隊長、その、非常に言いにくいのですが、『王子』だと」
…確か王子とはエラ川防衛戦を荒らしに来る傲岸不遜の暴君だと聞いたことがある。確か、第六親衛隊は彼の手によって壊滅させられたと…
「…撤退だ。軍規違反になるだろうが、命あっての物種だ」
中隊長は最後の理性を振り絞って英断を下す。彼らは幸運だった。最後に生きた心地を味わえるのだから。
「そうするといい。もはや理性を保てているのは君たちしかいないのだからな」
「何奴!?」
中隊長はホルダーから拳銃を取り出し銃口を合わせる。常在戦場、実際に彼らは戦場に身を置いているのだが、気を抜いてはいない。その意識を保っていることは彼らにとっても褒められたことだ。
「私はカリン・セラント。魔導兵だ。ここには『王子』がいる。早々に逃げたほうがいい」
ああ、なんと幸運なことか。帝国最強と名高かった彼女の名を知らない者は人間ではない。中隊長は意識がなくなりそうなを必死に堪えてなんとか体裁を整えて対応する。
「失礼した。…では、やはりスポメンサにいるのは『王子』で間違いはないのですか?」
「ああ、間違いない。それでは、私は失礼する」
まだ、貴方様が降臨なさったことへの賛辞すら言えていないのに、中隊長が命知らずにもトーチカから身を出してカリンを見送ろうとその姿を探すと、彼女の姿はどこにもなかった。
◆
「死ねっ!」
人間が磨り潰された痕跡が市街地全体に広がっている。形容するとしたら血の海、というのが最も正確だろうか。死体が無いのだ。何か硬いものは骨の破片だろうか、血で染まっていて区別がつかない。
紫電が迸り、建築物を突き破ってカリンは手応えを掴む。奇襲には成功した。右肩から体を縦に斬るような感覚。太刀に付着した血は黒く結晶化してすぐに剥がれ落ちた。
「はは、はははっ!」
彼の白い服は血に染まって赤い。返す刀で振るった斬撃は受け止められたが、確実に『王子』の力は弱くなっていた。
「雷霆」「
「はあーっ!」
夜の雷が紫に見えるから、雷が紫色を纏っているのはまだわかる。だが、樹海の深い緑色が試験管の中に入っているような試薬のケミカルグリーンで出力されるのは見当違いではないのか?
剣をいなし、地面から急成長する枝は切り落とす。今回は追撃をかけずに、一度距離をとって太刀を逆手に持ち替える。
太刀というのは西にある魔大陸にある刀という剣の中でも大きなものを指して言うらしい。そして刀というのは初撃がとても重要なのだそうだ。この太刀には鞘がないが、鞘から抜くと同時に斬る技を居合と言うらしい。
「一閃」
魔力を込め、太刀は白い光を放つ。蹴った地面は大きく抉れ、体の速度に脳が追いついていない。光が遅く感じる。見える色が変だ。そして『王子』の姿は動かず、常に視界の中心に捉え続けていた。
身体に早く動くよう促すと魔力がそれを察知し、感覚が修正される。時間の感覚が元に戻る。魔力が感覚を侵食し、首を刎ねると同時に閃光で視界が白に覆われたような気がした。
勝負というのは一瞬で、彼は最期の言葉などなく死んだ。悪く言えば即死だろう、それまでにあっけなく、一瞬にして死んだ。私も本のように、その瞬間の一瞬一瞬を描写できたら良かったが、残念ながら私は興奮していたようだ。首を刎ねた感覚ばかりが脳内でリピートされている。
『王子』死体は塵に消えてゆく。意欲の高い研究者はこの現象を肉体を魔力で構成しているから死ぬと塵になると説明していたが、死体となって残る人間と比べると寂しいような気もする。処理は楽なのだろうが。
「…!」
あの中隊は無事に撤退できたのだろうか。なんてことを考えていると無差別に砲弾が飛んできた。申し訳ないが、私の任務は既に達成した。『王子』は殺したのだ。あとは人海と人海の戦いだ。26師団の奮闘に期待しよう。
そこそこ時間を使ってしまった。太刀を振るってできた空間に切れ目を作って身を投じる。なんとも呆気のない敵討だったが、その実感は時間が経つにつれて大きくなり、しばらくすれば大きな充足感へと変わっていった。
…ペイルー、ラトヴィール、ヘトリカ。仇は、果たしたぞ。
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