第12話 醜人〔下〕
「魔法とは契約そのもの。己の知らぬうちに行われた信仰とその対価は自我と共に肉体に縛り付けられ、器へと姿を変える。そこに注がれる権能は神にとって都合の良いもの、つまり人間が魔力と呼ぶものだ」
空間が歪んでいる。何か、異質なものが、ヒトの形をしたナニカが、こちらを見て独白する。
「余はその事態が歯がゆくはあるが、『妻』がそれを望む以上、余は不満はあれど何も言うまい。勿論、その対象はある程度選んではいるがな」
彼は何を見ているのだろうか。暗い視界の中に皇帝の血筋であることを示す黄金の瞳が輝いている。
「死んだ器はその地に還元される。永久機関というやつだ。人間にとっては、長すぎるがな。人の体を何度も乗り替わっている余が言うのだ。保障しよう」
中学課程を修了した程度の身長に見える彼は足を組んでこちらを見下している。
「手探りながら、神の顕現によって明るみになったこのエネルギーを人々は使い始めた。器を自覚することこそ、神に近づくための最大のヒントなのだが」
彼は少し不満そうな顔をしながら座から立つと、あくまでも優雅に敷かれたカーペットの上を歩き出す。一寸先すら見えない光量のはずなのにも関わらず、その歩みは力強い。
「そこに何人が辿り着けるだろうか」
お彼は言い終わるとその場から忽然と姿を消した。誰も居なくなったこの空間はやがて黒い靄が濃くなると、その空間すら、初めから何もなかったかのように消えてなくなった。
◇
槍術といっても、今僕が使っているのはハルバードです。普段はこんなの持つだけで精一杯でも、身体強化があれば何とか使うことができる。斬っても刺しても引っ掛けることもできる個人戦では最強格の武器、と個人的に思っています。
そして、僕の前で嗤った顏を貼り付けているのがハルブルク中佐、もとい『道化』。おそらく、変装した姿なのだろう。本当のハルブルク中佐は無事だといいのですが…いや、その確率は少ないかな。同じ人間が二人もいれば遅かれ早かれ尻尾を掴まれますから、自分が考えても可能ならば排除が望ましいはずです。
「はっ!」
三分間は攻撃しないでいてくれるのならば、その間にできるだけダメージを与えておくべきだ。さっそく、下半身に力を入れて『道化』との距離を縮め、刃の部分を首を狙って振りかぶる。
「くっ、」
「ハッ、このぐらい大したことないねぇ」
刃は肉を切り裂いたが、骨を断つことはできなかった。まさか痛覚がないわけではないだろうに、『道化』は少しも痛がる様子を見せはしなかった。そして彼はそのまま、柄の部分へと手を伸ばそうとする。
「っ、『爆ぜろ』!」
武器を奪われるわけにはいかない。言葉に魔力を乗せて咄嗟に叫ぶと槍の先端は見事に爆ぜた。ここまでの威力があれば、ただでは済まないだろう。
ブレスレットに再び魔力を流して欠損した部位を修復する。すると、体の中にぽっかりと穴が空いたような感覚が出来てきた。すでにまあまあな量の魔力を使ってしまったらしい。僕の適性ではどうやら魔力を贅沢に使うことも許されないようだ。
首を爆破したのだ、生きているはずない。と、思っていたけれど、今考え直すと自分が魔力なんてものを使えるんだから相手が使えない道理なんてなかった。有機物がもえた焦げ臭い煙をかきわけて人の形をした生き物がこちらに歩み寄って、相変わらずの笑みを浮かべる。
「やるじぁねえか。流石にさっきのは痛かったぜ。そろそろ三分経っただろ?一発殴らせろ」
『道化』の顔はハルブルクの変装が剥がれ落ち、歪んだ顔が見えた。口は裂け、端の方は何かで縫い付けてある。皮膚は思ったよりも白く、というかペンキを塗ったのではないかと思うほど異様に白い。
「まだ、40秒はありますよ?」
「うるせぇ!雑魚の癖に調子に乗るなよ!」
普段ならば目視するだけでやっとの速さの棍棒を避け、『道化』から飛んでくる手刀をいなす。できた隙を逃さずにハルバードに服を引っ掛けて『道化』を飛ばす。
「はあ!?」
『道化』は見事に壁に叩きつけられみっともない声をあげた。けれど、あまりダメージを与えられていないようで、汚れを手で払うと何事もなかったのかのように立ち上がった。
「くっそ、まだか?もう時間だぞ…」
「戦闘中によそ見をするなんて、言語道断です!」
何かぶつぶつ呟いているようだが、その隙すら逃さず畳み掛ける。今度は左手に魔力を込めて簡易的な槍を生成して、それを思いっきり投げる。
「くそっ、ガキがぁ!」
『道化』は暴言を吐き捨てるが、それで何かが変わるはずがない。槍は『道化』の胸元に突き刺さり、彼の体を壁に固定した。
『爆ぜろ!』
左手に魔力を込めて思いっきり握ると槍は爆発する。『道化』の体の中からは血ではない、黒い液体が吹き出して今度は苦しそうな顔をしていた。
「カスが、ウソだろ?」
「討った!」
正直言って、この時点で勝ちを確信していた。してしまってはいた。腹に風穴が空き、満身創痍の彼の様子を見たならば、誰だってそうなってしまうだろうが、命を懸けた戦いでそんな言い訳は通用しない。考えてみれば数々の違和感がここには散りばめられていた。けれど、僕はそれに気がつくことなく『道化』を追い詰め、そして終いには、とどめを刺そうと刃を首に振りかぶってしまった。
そういえば、監視のために扉の前に立っていた二人がなぜ内側の異変に気がつかないのだろうか。僕たちは互いに叫び、時には罵倒を浴びせ合っているのに。
さらに遡れば、二人がハルブルク中佐に変装した『道化』の謎の言い分を受け入れたのも不自然だ。普通の人間ならばあんなふざけた行動を許すはずがない。
そしたらあの会議のような尋問は?考えてみれば憲兵の人が彼に抵抗したのも頷ける。
そうしたら、フォンフィールの逃亡は放っておかれ、僕にばかり批判の目が向けられていたのは…?
「正解。ぜーんぶ、私の脚本の上。さっ、よくできました♡」
後ろから気味の悪い声が聞こえてきた。そして次の瞬間には腹部への違和感。
「がはっ…」
その後には温かさが残った。視界が少し暗くなり、力が入らない。どちらかというと体が言うことを聞かなくなってしまったような感覚。
「オイオイオイ、遅かったじゃねーかよ。『魔女の血族』サン」
「命の恩人にそんなことを言ってしまっていいのかしら?『タリータ』様からは貴方のことは雑に扱って構わないと言われているのよ?」
「そりゃないぜ。俺は必死になってに任務に従事してるっていうのに」
「オイ、そこで突っ伏してねぇで起きろよ。まだいけんだろ?」
前髪を乱雑に掴まれて視線が無理やり合わせられる。背後にはフォンフィールの姿も見える。
「残念だったなぁ~悔しいか?勝ったと思っただろぉ。でも忘れちゃいけねぇぜ?お前らはせっかく俺のことを『道化』って分かりやすい名前で呼んでるんだからぁ」
「騙されちゃぁ」
次に、僕の頭は地面に叩きつけられた。何度も何度も。やがて意識は肉体から離脱していき、再度体に戻ることはなかった。
◆
「もう少し遊んでても良かったんだが、お前が来たってことはそろそろ時間なのか?」
『道化』の言葉にフォンフィールはつまらなさそうに答える。
「そうよ。『タリータ』様はあんまりにもつまらないこの状況に我慢の限界だったようね。一端の諜報員である私が『タリータ』様の御心を量ろうなんて不遜もいいところだけれど」
右手の甲には謎の赤い魔法陣が浮かんでいる。フォンフィールはそれをクルクルと回して楽しんだ後、思いっきり握りつぶす。
「さあ、早く逃げなさい。ああ、それと伝言があったんだわ」
「オイオイ、マジかよ。アイツはいつからオレ達のママになったんだ?」
「パーティーには遅れないように、だって。私はまだやることが残っているからここに残るけれど、貴方は先に脚本でも書いていることね」
間もなく、『道化』とクリミハイルが激闘を繰り広げたこの建物は爆発した。公式の見解では『道化』による襲撃の結果だとされているが、それには見ての通り間違いがある。
魔女『タリータ』の従順なる僕である『魔女の血族』彼らは新大陸のいたるところに根を張っている。炎の使い手である『魔女』が根を張るなど一種のジョークの様だが、その大地に根差した根が一瞬にして燃え帝国の土台が崩れるとしたらどうだろうか?
「チぃ、アイツもなかなか強引なことをしやがる。死んでも知らねぇぞ?」
それは、帝国側にとって想定外。まさか、偶然に新大陸からの大撤退を目前に控えた今、彼らがエラ川を越え、混乱に乗じハーデル・ロンバルトを占領し、その矛先をランカラにまで向けようとしているのならば?
帝国の落日は近い。それが実際いつになるのかは、まだ、誰にも分らない。
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