第11話 醜人〔上〕

「ねえ、クリミハイルくん。一つだけ自分が好きなものが手に入るとしたら、何が欲しい?」


「そうですね…強さ、とかでしょうか」


「それはどうして?あと、その回答はちょっと想定外だったわ」


「ええと、すいません。…でも、僕が強かったら、力があったらと考えると欲せずにはいられないです」



「はあ、なんで思い出すんだろう」


フォンフィールとの最後の会話を思い出しながら、クリミハイルは口から白い息を溢す。理由は二つ。一つ目はまだ九月だというのに雪が降ってきたこと。ハーデル・ロンバルトは標高も高く山に囲まれた俗に言う盆地なので当然、海沿いのランカラと比べると平均気温が断然低い。さらに、コルト帝国が高緯度に位置する国家なことも加味すると九月に雪が降るというのはなんらおかしい話ではないのだが、それだけも今のクリミハイルの気分を陰鬱にさせるには十分すぎた。


二つ目は相方であるフォンフィールが帰ってこないこと。クリミハイルも前々から発言や行動から直感的に怪しさを感じていたが、まさかあんな些細な会話が最後のコンタクトになるとは。そしていざ姿を消されてしまうと、心の支えが抜け落ちたような感覚になり、酷い孤独感が心身を蝕む。


その後は僕にまで任務を放棄し逃亡するのではないかという疑念の眼差しが飛んでくるようになったが、そんなつもりはさらさらない。僕はそんな度胸のある人間ではないからだ。…たとえそのことを大声で訴えたとしても誰も信じてはくれない事実が、実際の気温以上に寒く感じる原因なのだろうか。


門を警備する憲兵の横を通りすぎ、誰とも視線を合わせることなく司令部へと足を進める。14歳の中でも平均以下の身長である自分が軍の中で通用するはずもなく、特注の軍服を着せられているという表現の似合う少年を見ながら将校が僕を後ろから追い抜く。彼らからすれば非常に愉快なことだろう。


「ここ、か」


他と比べると比較的豪華な装飾。両開きの扉の前には警備のためか軍人が両側に立ち、こちらに冷たい視線を送ってくれる。間違いない、ここが目的地だ。


「ええと…」


しかし、困ったことになった。予想していたことだが、また部屋に入れてくれない。前回はカリンさんについていったおかげで特に困ることもなかったけれど、今回は不思議なことに独りぼっちだ。


「通してやってくれ。別に君たちにこの子の入室を拒否する権利はないだろう?」


「…お言葉ですが中佐、未成年者を魔導兵だからといって贔屓するのはいかがなものかと」


「全く、これだから君たちは誰からもよく思われないんだ。そのことを自覚した方がいい」


中佐と呼ばれた男性は白い軍服を着ていた。陸軍将校の制服はデザインはほとんど変わらないが黒色のはずだ。白となると海軍所属ということになる。ここがもし、メリートやクラカッサのような港湾都市ならばたとえ珍しくとも違和感のある光景ではなかったのだろうが、ここは新大陸の中心部ハーデル・ロンバルトだ。海の見えないこの場所で堂々と白の制服を着こなしているのはたとえその気がなくとも、挑発に取られても仕方がないのではないか。


それと、中佐と彼を呼び捨てにしたということは扉の横に立つ二人は憲兵なのだろう。僕は彼らのことをどうやっても好ましく思えるようになれる気がしない。いや、それは彼らからしても同じなのだろう。


白い制服の彼はドアノブに手をかけて右左、そして後ろを向いて僕に視線を合わせた。ついてこい、ということだろうか。もしかしたら、発言などから推測するにこちらの味方だったりはしないだろうか、クリミハイルはわずかながらに生まれた希望に縋り付くようにして彼の後をついていった。


作戦室、会議室と言えばいいのだろうか、室内には長い机と十分な数の椅子が置かれていて、そこに戦場ではどう考えても通用しないであろう老人が堂々と座っている。煙草と葉巻の匂いが鼻につく。無意識のうちに恐縮してしまうが、入室できたのならばこちらのもの。指定された席にちょこんと座ってぶらぶらと足を遊ばせる。


「定刻となりましたので始めさせていただきます」


クリミハイルは緊張を落ち着かせるために息を吐く。皆の視線が声の主に向かい、空気が緊張感のあるものへと変貌したからだ。


「既に資料には目を通してもらったかと思いますが…」


うっかりしていた。周りの視線だけを気にしていたばっかりに、本来自分がこなさなければならない責務を放棄していたことに。この動揺が周りにバレてはいないことを確認したが、それでもクリミハイルは背筋が冷たくなる感覚を覚える。何か対策を考えなければ。


書類が視線の中に入るように調節する。これならなんとか…これは、フォンフィールの?


自分の知らぬうちに予定では共に任務を遂行するはずだった仲間の情報がここまで詳細に集められていたことにクリミハイルは流石に眉を寄せる。生年月日や出身などの簡単に集められるような情報から、家族構成やいつ撮影下のかわからない写真の数々。声の出すことのできない環境下で溜まった唾を飲みこむと硬い音がした。固唾を飲み込むとはこのことかと、こんな状況下でも自分の思考は冷静のようで安心する。


「…したかって、フォンフィールB等級魔導兵はスパイ活動を行ったと考えられます」


「ならば、あとは何処の所属かが問題か」


「おそらく、ギーバルハ王国の対外情報局あたりでしょう。女性であることと、血筋が元を辿れば大陸出身ではないことを鑑みればもはや断定してしまっても問題ないかと」


となれば、僕が呼ばれたのは聞き込み調査という名の尋問が目的だろう。しかし、残念なことにこの量の情報と比べてしまっては僕の持っている情報の量は些細なものだ。名前とちょっとした好み、そして思考の傾向ぐらいしか教えられるようなものはない。


誰もが結論を得ることができて満足し、一部の人間は退室していった後、休憩を挟むことになった。再び多くの人が煙を吹かした後、次に話題に上がったのは驚くまでもなく僕のことだった。


「401特別魔導部隊の独断での行動を許しているとはいえ、所属隊員からスパイ容疑者が出るようなことがあれば、流石に身柄を拘束させてもらう他ない」


拘束、あくまでも拘束ということなのだろう。疑いもあるが、こんな無垢な少年が愛国心を裏切らないという希望的観測も含めての拘束。いいや、むしろこの事態を喜ぶべきなのかもしれない。コードネームクラスの襲来時には命を張って戦わなければならない任から解かれて、最低限の食事は取れる独房生活。考えてみれば決して悪くはない。しかし、良くもない。


「彼の身柄、私に預けさせてはくれないだろうか?」


終わった。さらば僕の平穏な生活。これではまるで僕が海軍からの『何か』みたいではないではないか。だが、たとえ僕がそうだとしても何を盗めばいいのだろうか。最新鋭の機動戦ドクトリン?うん、どう考えたらそれが必要になる世界線があるだろうか。精々嫌がらせが関の山だ。運命共同体である以上、無駄な権益争いは止めてほしいのだが、中産階級から生まれた人間の思考などお貴族様には理解できないのだろう。


「ほう?」


「いったいどういう風の吹き回しかな?」


「簡単な話です。私ども海軍も魔法、魔力の海上使用の実用化を目指しています。しかし、やはり喫緊の必要性がある陸軍の方に人員が割かれてしまうのも仕方がありません。ですが、彼…すいません、クリミハイルC級魔導兵は拘束されるのでしょう?ならばただ拘束されているよりかはこちらで有効活用させて欲しいのです」


一見すると筋の通っている主張に受け取れる。ところが、今の僕にはフォンフィールと同じようにスパイの疑惑がかかってしまっている身だ。それどころか、彼らからすると401特別魔導部隊自体が疑惑の対象であるのだろう。ともすれば、カリン隊長から命じられた第一機甲師団の撤退の監視も彼らからすれば納得がいかないのも頷ける。が、何故その話の輪に関係のない海軍が出しゃばってくるのか。一度こちらの身になって欲しい。


「保全主義者の臆病どもが。貴様らの不始末をこちらがやっているというのに首を突っ込んでくるほど増長できる自信だけは見習いたいものだよ」


「閣下がどのような経緯でその結論に達したのかは分かりかねますが、私は海軍本部の指示に従って動いてるまで。私自身を如何様に罵倒しようともかまいませんが、あまり羽目を外しすぎますと本部を敵に回すことを留意していただきたい」


「そこまでにしろ。…相変わらずの減らず口を今までは遊ばせておいたが、尻尾を出した以上放っておくわけにはいかん。連れて行け、彼らの処理は私が決める」


上座に座る最も位の高い将校がようやく口を開いた。おそらく軍司令官か方面軍司令官なのだろう。どうやら今日の僕には剣神も女神様も微笑んではくれないらしい。



「クリミハイル様、あまり緊張なさらないでください。司令部の方々はああ言ってはいますが、別になにもやってはいないのでしょう?でしたら第一機甲師団の撤退時にはその任務も解かれて自由の身になりますから」


「中尉殿!?機密情報をそんなに話してしまってよろしいのですか?」


「構わんよ。クリミハイル君は大人びてはいるが14だ。お前は十年ちょっとで戦場に出て、砲弾の雨を浴びたいと思うか?」


「それは、もちろん、命令とあれば従いますが…」


そんな会話を黙って聞きながら自室に移送されて拘留された僕。ただ、ひとつ想定外なことがるとするならば…


「いや、私のせいで面倒なことになってしまったね。さて、これからどうしようか」


僕の目の前で真面目な顔してふざけたことを言っているハルブルク中佐だ。事態は少し前に遡る。


『私もここで構わない』


『しかしながら中佐殿。流石に身勝手がすぎます』


『ダメならば上から後々通達が来るだろう。それに、私はクリミハイル君と少し話したいだけなんだ。ひとりにさせるのもなんだし、ね?』


閉じかけの扉を押さえて入ってきた彼の姿には恐怖とは別のベクトルの怖さを感じた。こちらを面白そうに見ながらテーブルに肘をついている彼には是非とも少し距離を取らせてもらいたい。


「クリミハイル君、少し私と知恵比べをしよう」


「随分と急ですね」


まあ、話したいことがあるということは、この誘いもアイスブレイク程度に受け取ればいいのだろうか。


「まあまあ、そんなこと言わないでくれ。んーと、クリミハイル君。君はまあ、不可抗力だけれども一介の魔導兵なわけだ。それで、どうなんだい?魔力の感覚というのは」


「お耳の早い中佐殿ならばご存じかと思いますが、僕…私にはそのような時間はありませんでした。『リーデの戦姫』と言えばお分かりいただけますか?」


「カリン・セラントのことだね?となると、君には同情するよ」


中佐が机にのせた腕を下ろし、姿勢を正す。


「もちろんですが、陸軍が『身体強化』と呼ぶ魔力操方は体験しました。が、あれをやっていては体力が持ちません。上級魔導兵となれば話しは別ですが、下級魔導兵にはそうもいきませんよ。さらに軽度な操法が必要でしょう」


「よく知っているね。それは、出力を絞っても変わらないのかい?」


「勿論です。というよりかは、絞っても今度はそっちを維持するのが大変でした」


中佐は僕の話に適宜相槌を打ちながら、おそらく会話内容を脳内に叩き込んでいるのだろう。あまり目が合わない。合ったとしても視覚情報として僕の上半身は邪魔なようで、すぐ逸らされてしまう。


「それじゃあ最後に問題をひとつ。これの回答によっては何か、一つだけ言うことを聞いてあげよう」


中佐は顔に笑みを張り付けて僕に聞いてくる。本当に彼は、僕にとって、どうしてそんなにもろくでもない存在なのだろうか。


「そんなの、自分で答え合わせをしているようなものじゃないですか」


机を蹴り上げ、椅子を後方に倒しながら空中で一回転。地面に足を捻ることなく着地したら、すぐさま右腕につけてあるブレスレットに魔力を流す。すると、手元に赤く燃える槍が現れる。槍術は習っていた。まさか、こんな風に役に立つとは思っていなかったけれど。


「答えは『道化』あなたならばこちらの呼び名も把握しているはずです」


「はっはっは!正解だ。小僧、どのタイミングで気がついた?」


そう言いながら『道化』が皮膚と皮膚の狭間に手を突っ込む。そこからどう見ても収容できるはずない一振りの棍棒を取り出した。いったい彼が何をしてくるのかわからない以上、見た目で油断することができない。むしろ、油断できたらどれほどよかったことか。


「最初から最後まで。怪しすぎます。変装が得意と戦姫様から教えてもらっていますから。ただ姿を真似ただけで僕を騙せるとは思わないことだ」


「さっ、この段階での立ち話なんて無意味なこった。早く殺し合おうぜ」


僕の発言を遮るように言葉を重ねて『道化』は左手の人差し指をくいっと曲げて不敵に嗤う。


「三分間だ。三分間はこっちからは攻撃しないでやる」

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