第10話 エラ川魔導戦〔下〕

カリン隊長は一見すると怖い。目は鋭いし、想像通り口調も強くて他人を萎縮させる。だけど、やっぱり悪い人ではなかった。


見事に空中に飛んでみせる隊長を見えなくなるまで眺め、しばらくしてから後ろへと歩き出す。エラ川の対岸にはコンクリートで補強された塹壕とトーチカの丸みが見える。あそこまで行くことができれば安全だろう。


「でも」


せっかくなのだからどんな様子なのかを観察してもいいのではないだろうか。カリン隊長は職場見学と思っておけと言ってくれていたのだ。少しだけ冒険をする。そんな経験もできるうちにやっておいた方がいい。そう思って。


もう一度足を切り返して足を動かす。静かだ。新大陸の最前線。エラ川以東はセヴィントに現れた謎の武装勢力の占領下と聞いていたが、砲声や人の命を散らす叫びは聞こえずただ、自然が変わらずに広がっている。皆は恐れすぎなのではないだろうか。多くの人が逃げ惑うほどの脅威など元々存在せず、ただ想像が膨張した結果の産物なのではないだろうか。


「待たれヨ、人間が如何様な理由で足を踏み入れタ。少なくとモ、今の所の人間の居住区域ハそこの川の奥であるゾ」


声が聞こえた。風によって木々が揺れ、鳥が羽ばたく。木々の枝から飛んだ鳥は私の上空を旋回すると私の前で人の形になった。


「さア、戦うカ戻るか選べ。戦うのならバ、痛みを感じるまもなく殺してやル」


「そんな言い方されたなら黙って踵を返すわけにはいきませんね」


つい頭に血が上って無謀な挑戦に身を投じてしまうことになってしまった。思考は冷静だけれど自分を律するもう一つの何かがそれを許さなかった。


ケトゥーヴァに魔力を流して鞘から抜く。…よくよく考えるとあの影のヴィルヘルム陛下ってこれしか教えてくれなかったんですよね。


「ほウ?私と殺し合イをするつもりカ?身の程を知るがイイ!」


剣が私に向かって来る。初撃は躱してその後は剣で押さえる。動きについていけず防戦一方だけど、死ぬことはないだろう。


「シッ…!」


そう思ったのもつかの間、ケトゥーヴァが掴まれ私ごと投げ飛ばされてしまう。体が宙に浮いて、衝撃の受け流し方も分からず背中が地面に打ち付けられる。


「余計な対抗心を燃やさなければよかったものヲ」


人の形をした化物がこちらににじり寄ってくる。死んでしまう。あっけなく、小説のように時間が引き延ばされるわけでもなく、強がって最後まで言葉を交わすわけでもなく、死ぬ。まだ、何にもできていないというのに。


「サラバだ」


刃先が私を捉え、脳天めがけて振り下ろされる。目をつむる。受け入れたくない現実から逃れるように、最期の景色がせめて最悪の光景でないように。


『目覚めの悪い…大口を叩いてそれだけ?私をもっと愉しませてよ』


「ま、まt」


私以外の叫び声が聞こえてきた。そして何かが力強く引き千切られるような音も。閉じた眼をそっと開けると、眼下にはには一面の紅が広がっていた。もちろん私の血ではない。骨も粉々に砕けて髄液も混ざっているだろうか、それに鳥の羽も毟られたように散乱している。


「…え?」


私にはその言葉で精一杯だった。生きている安堵と目に焼き付くような光景が脳を埋め尽くして冷静な思考を阻害させる。


蒼髪の女性がこちらに気が付いたのか歩いてくる。手にはさっきまで私が握っていたはずのケトゥーヴァが添えられていて、血も滴っている。彼を殺した凶器は言うまでもないだろう。


「…立てる?」


殺されるのかと思ったが、私に向けられたのは剣ではなく手だった。白く、私でも強く握ったら折ってしまいそうなほど細い手。震える身体に力を入れて彼女の手を取る。私が握り返した手は思ったより頑丈で、力が加えられるとあっさりと持ち上げられる。


「あ、ありがとうございます」


「私、ケトゥーヴァ。なんで危ないことした?リーベルト様からもカリンからも言われてた、でしょ?」


何故か彼女は私の身内の名前と事情を知っているようで、少し不気味に感じる。


「はい。これはアレクトが持ってて」


そして彼女は剣を素直に返してくれた。あっさりとしている人間、というのが私の感想だった。


「…どうかした?」


「えーっと、どうして私を助けてくれたんですか?」


流石に何も言わずに顔を眺めているのが不味かったか、蒼髪の少女が首を傾げて視線をこちらに向ける。つまり見合っている状況だ。


「さっきも言った。私、ケトゥーヴァ。それ、私の本体」


蒼髪の女性、もといケトゥーヴァは私の腰に携えてある剣を指さした。そういえばこれもケトゥーヴァだったな。…って、これが本体?


「私を抜いておいてあんな使い方をされたらどの剣誰でも怒る。私、怒ってる」


感情の起伏があまり見えないケトゥーヴァの頬は少し膨らんでいる。どうやら本当に怒っているようだ。


「えへへ、あれが初めてだったので…」


「知ってる。リーベルト様もそう言ってた」


「リーベルト様って、リーベ家の?」


「当たり前。私を使いこなせるのはリーベルト様のみ」


顔に腰を当てて自慢げにケトゥーヴァは言う。「むふぅー」という擬音が聞こえてきそうだ。


「そうなんですね。ってことはお父様も貴女と出会ったことがあるんですか?」


「それはない。アレクトは適性がある。アレクトが呼ぶ魔法は神々に認められた証。神々に認められなければ神々の力の一端を使うことはできない。リーベルト様は適性がなかった…」


ケトゥーヴァが目に見えて落ち込む。肩をがっくりと落として瞳をにじませる様子はとてもかわいそうで、こちら側も申し訳ない気持ちになる。


「…私と一緒に帰ればお父様に会えませんかね?」


運よく私の脳に妙案が浮かんだ。私の適性に適性があればお父様の適性の有無は関係ない。別に何らおかしいところは無い考えだ。私の発言にケトゥーヴァの顔色はみるみるうちに良くなり、口角も上がった。


「それなら、早く帰ろう」


「残念なんですど、私の兵役が終わらない限り家には帰れそうにないんですよね…」


「そう…」


私の発言でケトゥーヴァの感情は乱高下する。少し下を向いて今にも泣きだしそうなケトゥーヴァの表情は見た目と精神年齢のギャップも相まって心にくる。


「でもでも、家に帰れる目途はあるのでそれまで頑張りましょう。ね?」


「う、ん」


ケトゥーヴァの感情は何とか元に戻り私の心もようやく安寧を手に入れることができた。

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