第9話 エラ川魔導戦〔中〕

私は少し変だった。変というのはまあ、言ってしまえば大したことのない、ただの悩み事程度の存在なのかもしれないが、やはり、心に釘を撃たれたような感覚は私からすれば変だというのが適しているように思える。


もしからしたら、私はアレクトに好感を持っているのかもしれない。それは愛嬌を振りまく彼女の姿に惚れてしまったのか、こんな状況下でもまるで日常を送っているかのような平常を保っていることに無意識のうちに嫉妬してしまっているのか。


前者だとしたら、少し、嫌だ。同性愛は帝国の法律でも保障されている立派な権利だが、やはり社会はそんな些細な違いも許してくれるような空気が出来上がっていない。アレクトがもし、私を認めてくれたとしても、互いに苦労することになるのが目に見えてわかる。


試しに、隣を歩くアレクトを今度は優しく撫でてみる。


「うわぁ、なんですか、隊長?」


「…その、なんでもない」


アレクトは案外私を認めてくれているのではないだろうか。笑顔には好感を偽る特別な能力がある。私も、気づかないうちに見せかけの行為に騙されているのだろう。


「そうですか。それよりその、私に構っていていいのですか?」


きっと、アレクトも例外なく。人間は騙すことに執着しすぎたせいで、99の嘘に怒り、1の善に感謝をすることが出来ない。


「ああ、もう少し歩くぞ」


そう言ってからまたしばらくして。気がつけば私たちは駅のプラットフォームのだいぶ端まで歩いていた。少し高台に建てられた旧貨物駅からはエラ川が遠目に捉えられる。


要塞線に所々見える焦げたような黒い跡。きっと『王子』の襲撃の痕跡を修復することが出来ていないのだろうが、それも仕方がない。少なくとも、対岸を見て、平和を保てているのだから。旧大陸ならばこうはいかなかった。昼夜を問わず砲声が響き渡り、地面はぬかるむ。私たちはそこを進まなければならず、一度嵌ってしまえば、少なくとも名誉の戦死は遂げられない。


「ここで止まれ」


魔力を手に籠め太刀を出現させる。…やはり手に馴染むな。皇帝陛下からこの太刀を下賜されてからというもの、目に見えて魔力を扱いやすくなっている。


古き剣だと言われたときは少し不安になりはしたが、今ではすっかり私の魔力になじみ、魔力を操作することで、何にもない空間からもこの太刀を出現させることが出来る。鞘が無いのが不満ではあったが、そのおかげで今では問題ない。


振り上げた太刀を無に向かって振り下ろす。すると何もなかったはずの空間は裂け、夜空のような紺色が漏れ出してきた。


魔力によって空間が引き裂かれた。私はこの事象をそう認識している。この漏れ出す宇宙のような風景に飛び込めばある程度制御の効くワープをすることが出来るのだ。


「いくぞ」


私にとっては慣れたことだが、そういえばアレクトには何も言っていなかった。ちらりと横目で見てみると案の定驚いているようだ。手を握ってやって、ともに裂け目へ身を投じる。



空間の歪みから身を乗り出すとエラ川の対岸に到着した。予定では要塞線に到着する予定だったが、この程度の誤差なら問題ない。


「アレクトは少し下がっていろ。私が『王子』と戦っているのを見て戦い方を学べ。職場見学とでも思っていればいい」


「あ、私は戦わなくていいんですね」


「戦闘訓練すら碌に積んでいない人間を戦場に出すわけにはいかないからな。もし出たとしても戦場を混乱させることが関の山だ。旧大陸に戻ったら手解きしてやるから今回はじっとしていろ」


「わかりました」


土煙が被らないように距離をとって大地を蹴る。魔力によって常識の範疇外の行動をとることが可能になった私の体は宙に浮かび、かつて人間が夢見た空を飛ぶという行為を生身で達成する。


…姿が見えない?いや、データからすると奴が来るのは今日なはずだ。


魔力を凝らしても大規模を魔力は捉えることができない。おかしい、…いや、あれか?


弧を描いて速度を落とし地面に降り立つ。白いスーツを着た男の進行方向に立ち塞がるようにして。


「何か私に用かな?」


優雅に、コンクリートではなく、気を少し切り倒して固めただけの道には不釣り合いなほど優雅な、そんな男が私に向かって話しかけてきた。


「剣を抜け。クソ野郎が」


間違えるはずもない。むしろ、この瞬間をどれほど待ちわびただろうか。敵討ちなど、全成人男性が塹壕に籠り、野砲から身を隠すような戦場であったなら成すことはできなかった。今は少しだけ、自分に呪いしか与えてこなかった魔導の才能に感謝をしながら太刀の柄に手をかける。


「私は口が悪い人間が嫌いだ」


剣が交差する。間合いが有利なことあるだろうが、『王子』の実力は大したことないように思える。向かってくる刃を躱し、行動を取られるより早い速度で太刀を振るう。


「取るに足らない」


「なんだと?」


「その程度で私たちの部下がやられたことには二つの意味で悲しいが、ここでお前を討って三人の手向けとさせてもらおう」


「ふん。あの小娘三人のことか。なかなか手ごたえのある相手ではあったが、なるほど、そやつらの育て親であるならば私も本気を出さなければならない」


「させるかっ!」


太刀を振るい紫電を放つ。いわゆる飛ぶ斬撃というやつだ。威力は絶大だが、やはり剣からの投擲物というイメージが足を引っ張って速度はお察し。


一撃ごとに位置を変えて進路を分かりにくくさせるために引き撃ちを行う。攻撃によって土煙が舞い視界が遮られる。魔力の反応的に回避運動を取ってはいるようだが、それで彼の思考を混乱させられているのかは分からない。


「っ!」


悪寒がした。『王子』の影を追うとどうやら彼は空中に浮いているのが見えた。空が昼だというのに星が輝いていた。その輝きは星と言うには眩しすぎ、あまりにも規則的すぎた。


樹海交響曲ソナタ・セヴァイル


魔法により強化された物体、あるいは魔法によって作られた創造物は魔法によって保護、あるいは存在自体が魔法の物でないと対抗することが出来ない。これが魔導兵が一般兵科とは違い、老若男女問わず適性のある者には兵役が課せられる理由だ。魔法は祝福でもあり、呪いでもある。


例えば、怪我を負ったとしよう。五分もすれば傷痕すらなくなる治癒能力を手に入れたとしても、その能力が常に発動し続ける状況が幸福な訳がない。まあ、そういうことだ。


こちらに向かって飛翔してくる物体を斬り落とす。自分に命中しそうなものは斬ったが、辺りには飛翔体が地面に突き刺さっていた。


「これは、枝か?」


まさかとは思ったが、私の周囲には突き刺さった飛翔体は蔦が巻き付いた木の枝だった。一見すると得体の知れないものだが、植物を使う魔法はたいてい急成長すると相場が決まっている。私も『王子』の方へ跳躍して空をかける。


「あれを避けますか。ですが油断することなく。交響曲はこれからですよ!」


「おおよそ四楽章なんだろう?」


私の予想が当たっていたようで『王子』は私を見て怪訝そうな顔をする。あんな安直な名前を付けたんだ。誰だって少し考察すれば同じような結論に到達するだろう。


次に地面に付き刺さった枝が『王子』の下へ集まる。初撃を見て油断したところを狙うはずだったのだろうが、予想されてしまえば意味がない。


「貫け!」


そして再び放たれる枝は距離をとって避ける。偏差をつけるという思考がないのだろうか。当たれば致命的なのだろに、使い手の気が知れない。


「終わらせてやろう。何人も人を殺し、それどころか戦いの中で相手に対する敬意がない。お前は死ぬべきだし、私もいつか責任をとって死ななければならない。だが、私は強い」


空間を切り裂いて『王子』へ急接近する。彼も負けじと剣を振るおうとしたが、遅い。遅すぎる。太刀に魔力を流して『王子』の剣ごと叩き切る。


「がはっ…」


『王子』は体制を立て直そうと地面に着地して逃れようとするが、考えが甘い。両脚の腱を切断して地面に転ばせる。


「ようやく大人しくなったな。最後に何か言うことはあるか?」


「私をこれで倒せるとでも?」


「この状況でよくもまあ、そんな大口を叩けるものだ」


とどめを刺そうと足を前に出そうとすると『王子』が懐からナイフを取り出しこちらに投げる。顔を傾げて最小限の動きで避けたはずだが、なぜかナイフは頬を掠めた。…魔力を使ったな?


「…逃げられたか」


一瞬『王子』から視線を外してしまったのが原因だろう。四の五の言わずにトドメを刺すべきだった。


「血か…」


切り傷から赤い液体が頬を伝う。それを指で拭ってやるともちろんだが血が指につく。血は人体の中で最も魔力が含まれるとされている。だから魔力を動かす感覚は血液の流れをイメージするのだ。


秋の陽気にさらされた血は指の腹で乾くと魔力によって結晶になる。軽く息を吹きかけてやるとほろほろと空気中に舞い、やがて消えた。

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