第6話 出立

しゅっ‐たつ【出立】


旅に出発すること。あるいは、物事を始めること。もしくはその両方。


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『ペイルー、すまないが二人を頼んだ。まだ未熟な面もあるとは思うが、一応は足手まといにならないよう最低限の訓練はさせてある』


『師匠、そんなに畏まらないで。二人のことはワタシがきちんと守ってみせるから!』


ペイルーがその特徴的な大楯で地面を叩いてみせる。


『本当は私が行ければ良かったんだが…』


『もう、心配しすぎ。師匠は腕も立つし、国民からも人気があるんだからこんな地味な仕事をしている暇があったら「コードネーム」の付いてる敵を倒してプロパガンダにならなきゃ』


『いいか、カリン!帰ってきたら今度こそはこの俺様が帝国最強の名を手にして見せる。その前に死んだりするなよ!?』


『ラトヴィール、隊長に失礼だよっ』


ラトヴィールは二人の会話を遮ってカリンを指さし堂々と宣言してみせる。彼女らの横を通り抜ける兵士からすれば、この光景は日常そのもので戦場という厳しい場の数少ない癒しとなっていた。


『うぅ、うるさいぞ!ヘトリカ、お前は欲しくはないのか?帝国最強の称号』


『欲しくなんかないよ。それに、たとえ隊長より強かったとしても敵を倒すことができないと意味がないもん!』


ヘトリカが杖の先端でラトヴィールの頬を突く。ラトヴィールとヘトリカの二人は齢13にして魔導兵となった。彼女らの適性は何のめぐりあわせか最高のA。カリン自身も魔力量ではラトヴィールと互角、ヘトリカには負けている。それほどまでに才能のある二人をカリンは三か月あまりで一人の兵士に仕立て上げてみせたのだ。


『それじゃあね、師匠。またリーデンブルグで酒が飲みたいな』


『…酔いつぶすのは勘弁してくれ』


他愛のない会話を最後に交わして四人は分かれた。カリンは埠頭から三人が乗っている新大陸行きの輸送船をしばらく眺めていた。


────戦闘詳細

エラストラスフルトにてペイルー、ラトヴィール、ヘトリカの三名はコードネーム『王子』と交戦。エラ川要塞線を破壊しながら二時間の間行われた戦闘行為は三名の死亡によって終了した。エラ川要塞線の復旧と第三軍所属魔導兵の補充が喫緊の問題であるとし、魔導兵に関しては第一軍からの引き抜きを具申する。


『…そうか』


カリンは会議室の机に並べられた報告書の一つに目を通してぽつりと呟いた。ここには彼女たちの死を報告する短い文章と、書面のほとんどを埋め尽くす被害額の計算表。人の死の何と軽いものか。人の価値は換算できないほど大きいのではなくて、換算しない方が安上がりになる資本主義の裏ワザに過ぎないのだ。


『あら。取り巻きだけでなく、第六隊長も死んじゃったのね』


『あいつのことだ。恐らく二人を庇って死んだのだろう』


シュエッタはカリンの言葉からどの内容を見ていたのか想像がついたらしく、クリップで纏めた紙束をペラペラと捲ってエラ川での戦闘詳細へと遡る。


『そっかー。上級魔導兵は戦闘のたびに戦死者がでるよね。親衛隊はいつでも人員を募集しているのに』


近衛親衛隊。名前が長いので通称親衛隊と呼ばれる八つの部隊は、上級魔導兵と呼ばれる魔導適性がAとBの者のみで構成される帝国の象徴とも言える部隊群なのだ。


しかし、帝国に多大な損害を与えた敵にのみ与えられる「コードネーム」を持つ敵の撃破を求められる親衛隊は実力ある部隊であるとともに犠牲も多く、創立当初から欠員が出続けている。


『次は私が行こう。旧大陸はシェルナーがいる限り安泰だろう。私がここで燻っている暇があるのだからな』


『へぇ、つまるところ敵討ちに行くってことかな?』


親衛隊の隊長には個性豊かな上級魔導兵を纏め上げる能力ももちろんだが、そんな彼彼女らを圧倒する実力も求められる。つまるところ、一から八まである部隊の中で数が少ない部隊を担当する部隊長は、数が多い部隊長より基本的には強いということだ。


カリンの担当する部隊は第二近衛親衛隊。変わり者や未成年者が多く集められるこの第二部隊の固定の部隊員はカリンのみで、年に一度行われる定期検査での変わり種がたびたびここに収監されては羽ばたいていった。


『それなら私の持ってる情報を特別に公開してあげよう。どうやら上は新大陸を放棄する腹づもりらしいよ。それの前準備のために突発的な適性検査もね。この適性検査は貴族もろとも参加するらしいから、もしかしたからカリンのお眼鏡にかなう人材が出てくるかも』


シュエッタは自分にとって必要な書類をまとめるとその後は何も言わずに会議室を後にした。



重い瞼をこじ開ける。ピントがぼやけていてよく見えない。上半身を起こして周りを見渡してみると、小さな人がこちらに走り寄ってきているのがなんとなく分かる。


「姫様、大丈夫?」


リャードがベッドの傍で心配そうに見上げてくる。


「心配をかけましたね」


いったい私に何が起こったのかは理解できないが、とりあえず死んではいなかったことに感謝をする。手を伸ばしてリャードを撫でてあげると、目をつむって受け入れてくれた。


「姫様、ちょっと待ってて」


リャードが優しく私の手から脱出する。そのままトタトタと奥へ行くのを眺めていると、椅子に座ったまま仰向けになっている顔に本を置いて寝ている人がぼんやりと視界に映った。


「ハ  リ ト、 っち、来て。アレ ト起きた」


まずい、急に活発になった脳に体がついてこれていないのか目眩と怠さが同時に襲い掛かってきたようだ。胃の中には何も入っていないはずなのに吐き気が襲ってくる。


「体に何か変なところは…いや、見るからに問題がありますね。…とりあえず、これを飲んでください。口を開けられますか?」


私は力を振り絞って口を開けてみたが、それでも足りなかったようで白衣を着た男性は私の顎を引っ張って薬剤を三つ流し込んできた。…苦い。苦みが口だけでなく胃へと広がってしつこく残る。


苦みに悶えてしばらくすると即効性のある薬のようで、体が落ち着きを取り戻した。今度は熱が体から抜けたような感覚で寒い。


「ご挨拶が遅れました。私はハイドリート・ヘッツアといいます。見ての通り医師なのですが、その中でも特に魔導兵を専門にやらせてもらっています」


「姫様、この人は大丈夫。…怪しいけど、きちんとしている」


「り、リャードちゃん?」


どうやらリャードからするとどこか胡散臭い人らしい。あまり医者に罹る機会はないと思うけれど、留意しておこう。


「リャードはカリン少佐を連れてきてくれないかな?私はこの子、アレクトさんの診察をしなくてはいけないからね」


「分かった。…変なことをしてたら殺すからね」


まさかリャードから殺すなんて単語が出てくるなど思わなかった。幼女のような見た目をしていたので誤解してしまっていたけれど、あんな見た目をしているのは幼女の体系の人形に魂を封入しているだけなので実際の年齢はわからないことをすっかり失念してしまっていた。もしそうならば私のことは本能的に年下と考えていてもおかしくはない。実際、私はリャードに面倒を見てもらっているわけなので。


リャードが部屋から退出し、私とハイドリートは二人きりになった。ハイドリートがいかにもな白い箱を開けると手術用の刃物や包帯、それに薬剤などがちらりと見える。


「それじゃあ、心臓の音を聞くから…うーん、少しだけ脱いでもらってもいいかな?」


ハイドリートが申し訳なさそうに苦い笑みを浮かべながら言う。下心は無いのだろう。お父様から聞いたことがある。研究者というものは研究にしか興味がなく、一般の人間からすると奇妙に見えると。ハイドリートは研究者ではなく医者だが、あまり変わらないだろう。


胸に聴診器を当てられ体温を測る。どうやら私は二日間寝たきりだったようで、意識を失う直前に何があったのかも聞かれた。


「ふぅむ、魔力を初めて使ったときに感覚を掴めずそのまま制御が効かなくなったのかと思っていたけど、そういうわけではないようだね。目を見る限り魔力は体内で安定しているし、起きた後に起こった目眩と頭痛も鎮静剤を飲んだら治まった、か」


ハイドリートはカルテを見ながら眉を顰めて首を傾げる。まだ寝ている間に体験したことについては話していないけれど、もしそのことを言ったとしても解決にはつながらないだろう。


「入るぞ」


木が良く響くような力加減でノックされ、開かれる。ハイドリートも私も扉の方へ顔を向ける。ひとりの女性が入ってきた。長い脚に黒髪ロングで内側は紫がかっている。見間違えるはずもない、カリン隊長だ。


「お久しぶりです、カリン少佐。前回からまた幾何もの戦場に身を投じたと聞いていましたが、健康なようでなによりです」


「ハイドリートは…その胡散臭さをどうにかした方がいい。微妙に間違っている貴族式の立ち振る舞いか、白衣をどうにかするんだな」


「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」


「私に畏まる必要はない。戦場では識別ができればいいから畏まった言い方は控えろ。それに名前に無理に敬称を付ける必要はない。それに貴族が平民に敬語を使うのは屈辱的だろう?」


私は別にそんな物語に出てくるような悪徳貴族ではないのですけど、という言葉を喉元で止める。しかし、なるほど。軍と言うからには規律と上下関係に厳格で上司からの体罰も伴うような環境だと思ってしまっていたが、どうやら私の勝手な想像だったようでした。カリン隊長が私達のことをそう思っていたように私も軍に対して無意識のうちに色眼鏡をかけて接してしまっていたのかもしれない。


「…ふむ。ハイドリートとリャードは部屋を出ろ」


「かしこまりました」


「少佐、私は荷物を片付けた方がよろしいですか?」


「ああ。こいつの面倒は私が見る。異論があるか?」


「まさかまさか。私にはそのようなつもりは」


カリンの言葉をハイドリートは慌てて否定して素早く荷物を片付けると、手早く部屋から退出した。リャードはハイドリートととは違いカリン隊長のことを信用しているようで、命令に従いハイドリートの後ろをついていった。


「調子はどうだ?」


「別に悪いところは無いですね。ただ、薬を飲んでから少し体が寒いぐらいで」


「副作用だけか。ならば明日には回復するだろうな」


カリン隊長は私の額に手を当てて熱が無いことを確認して、次に私の瞳を覗き込んできた。


「な、なんですか!?」


「ああ、瞳孔の様子を確認していたんだ。そうすれば魔力が乱れているかどうかが分かるからな。てっきり魔力乱流が起こっていたのかと思っていたが、瞳の様子からするに違うらしいな」


瞳の様子がどうなっているのかなんて今まで少しも気にしてこなかったけれど、そういえばカリン隊長の瞳は雪の結晶のような模様があった。魔力を使える人は全員特徴的な模様を持っているのだろうか。そうしたらわたしのはどんな形をしているのだろうか。今度時間があったら鏡で確認しておこう。


「ハイドリートから聞きました。私って二日間も眠ってしまっていたのでしょう?」


「そうだな。ああ、なるほど。そういうことか」


私の言葉にカリン隊長は何か納得したようだ。


「エルに渡されたブレスレットを装着したかと思えばいきなり意識を失っただろう?その時にお前は夢を見たはずだ」


そして畳みかけるように誰にも打ち明けていない私の秘密を言い当てた。


「な、なんのことでしょう」


「ハイドリートが分からなくても仕方がないが、この現象に私は心当たりがある」


カリン隊長はそこで一度言葉を止める。大したことではないような気もするのに、なんだか緊張してしまいそうになる。


「簡潔に言ってしまおう。その影の正体はヴィルヘルム皇帝陛下だ。」


「知ってます。だって直接聞きましたもん」


「???不遜ではないか?」


何か聞きたいことがあるか聞かれただけなんですけどね。別に、そこまで不遜ではないと思うんですけど。


「まあいい。とにかく、皇帝陛下から剣の指導を受けたのならば心配はないな。明日は私とエラストラスフルトまで向かう。内容は明日列車で話すから今日ぐらいは早めに寝ておけ。列車酔いはなんとしても避けなければならないからな」


「ちょっと、ちょっと待ってください!私、陛下からまともな指導受けていませんよ!?」


私の嘆きは残念なことにカリン隊長には届かなかった。隊長は部屋の電気を消すとそのまま扉から退出してしまった。


…なんだか疲れた。言われた通り今日はもう寝よう…

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