第5話 影
「珍しい。ここに自力で辿り着く者が未だにいるとはな」
「ひゃっ、」
私の隣から声が聞こえてきた。筋肉が縮み、体が軽く跳ねる。何もなかったはずのそこには影がぽつんと立っていた。こんな事を体験したら誰だって驚くはずだ。決して私がビビりだからというわけではない。
「ど、どちら様ですか?」
私の弱腰の挨拶が面白かったのか、人の形をした影は自分の領域をゆらゆら動かしている。
「ほう?其方はここに来たわけではないということか?」
「こんな所に来たがる人なんているんですか?」
私の純粋な質問に影はまた驚いたのか、信じられないと言った様子で自分の領域を先ほどよりも激しく揺らす。
「本気で言っているのか?」
「もちろんです。私、早く戻らないとまた怒られてしまいます」
つい寝そうになってしまった時のカリン隊長は怖かった。再びあの瞳の中に捉えられるのは御免です。
「…まあ、せっかくここに来たのだ。何もしないで帰す訳にはいかない。見たところ魔導兵なのだろう?」
私は影を影としてでしか認識できないが、あちらはどうやら私の事を完璧に認識することができているらしい。影が指を宙に向かって振ると一本の剣が地面から現れる。見た目がお父様からもらったケトゥーヴァにそっくりで、さっきまで身に着けていた私でさえもこれが本物か偽物か区別ができないほど精巧な出来のものが。
「見たところ剣も振るったこともないのだろう?手解きしてやる」
私が剣を振るったことがないことをなぜ知っているのだろうか。それとも、経験者からするとなんとなくで経験の有無がわかってしまうのだろうか。ともかく、私の実力が正確に測定されているということだけは事実だ。
影の指の動きに従って剣は空中を浮遊し、やがて私の前で静止する。私が空中でふわふわと浮かぶ剣を手に取ると剣は浮遊感を失って、重力の重さが伝わってきた。
「記憶を覗かせてもらったが、其方は魔力の感覚の掴み方を誤認している。魔力は血液ではない。その都度器から掬ってやるのだ。魔力を全力で体内に循環させるといずれ体が崩壊する」
危なかった。まさかこんなことで死にかけることになるとは。あの場には経験者であろうクランハルトとカリン隊長も居たのに、なぜ止めてくれなかったのだろう。もしくは二人とも誤った使い方をしているのか。そうだったら大変だ。それこと早く戻らなければいけない。
「さあ、鞘から抜いてみろ」
私より年齢が低そうな声の持ち主であるにも関わらず、相変わらず態度だけは一人前です。
少し記憶を辿ってみる。列車に揺られている時はケトゥーヴァを鞘から抜こうとしてもビクともしなかった。ここでならと思いはしたが、やはりケトゥーヴァの鞘と刃は離れず私の努力は徒労に終わる。
少し記憶を辿ってみる。たしか列車に揺られている時はケトゥーヴァが鞘から抜けそうになる様子はなかった。違和感のあるほどに。もしかしたらここでならケトゥーヴァを抜けるのかもしれない。だから影の人は抜いてみろと言ったのだろう。
「ふんっ…!」
…びくともしない。別に私が貴族だからといってフォークより重いものを持ったことがないからというわけではない。ほんっとに、刃の部分と鞘の部分が一体化しているのかってぐらいビクともしない。
「…なぜ魔力を使わない?」
何故と聞かれましても。…なるほど、魔力を使うということは身体強化をしろ解釈すればいいのか。そう思い立って体の違和感のある部分を意識すると、やがてそれを動かせるようになる。今回はそのすべてではなく、少しだけを動かす。ブレスレットの時より体を循環するスピードは遅いけれど、ゆっくりとした流れが体内で確立された。
「うわっ!」
すると、ケトゥーヴァは案外あっさりと抜けた。強引に抜いたわけでは決してない。言うならば、鍵のかかった扉は押しても引いても開きはしないが、鍵を開けた途端その鳴りを潜めると言ったところか。
「なんだ。出来るではないか。どうして最初からやらなかった?」
「いやいや、剣に魔力を篭めながら抜くなんて言われなきゃ分かりませんよ。」
「ふむ、そういうものなのか」
なんとも感情の籠ってない返答が帰ってきた。どうやらま私の言葉の意味は分かっているが、理解はできないといった様子。…私、今回ばかりは常識外れではないと思うんですケド。
「それで、ここからどうすれば私は敵を倒せるようになるのですか?」
そして、私が最も気になっているのがこれだ。確かに、身体強化を試してみたときの全能感はすごかったけれど、互角以上との戦いになると必要になるのは技術なはずだ。
「ふむ、そうだな…相手の隙を見てそこを攻撃すれば敵を倒せると思うが」
「え?」
「む?」
「えっと、だからですね。なんかこう、敵をズバっと倒せるようなすごい技とか…」
「ないが?」
無かった。この人は最初あっさりしている人だと思っていたが、適当の間違いだった。最初からあんまり期待はしていなかったけど、この人は想像の斜め下の内容を言ってきた。
「そう簡単に技術を習得できるのならば誰も苦労はしないし、悲しまない。強いて言うのならば、ケトゥーヴァと対話するといい。奴はなかなかの我儘だが、其方ならば使いこなせるであろう。カリンもいるのだろう?時間があったら奴から習うといい。余も幼いころに彼女から剣術とは何かということを学べたのならばどれほどよかったものか…」
ケトゥーヴァと、つまりは剣と対話するなど可能なのだろうか。いや、もしかしたら比喩的な表現の場合もある。つまるところ、剣の性質を理解しろといったところだろうか。
そしてカリン隊長は指導も上手らしい。…そんな小さな体をしておいて若い頃を語るとは大勢の人に袋叩きにされても文句は言えないとは思いますが。
「さて、出会いも突然だとすれば、然らば別れも予期せぬタイミングで強制されるものだ。私はこの場所から離れなければならない。だが、この空間の仕組みを知らない迷い子である其方を置いていくほど余は身勝手ではない」
影の人間がこちらに手をかざす。腕に三つか四つの魔法陣が纏わると、それぞれが身勝手に回転し始めた。
身勝手な言いようだけれど、今までの言動から察すに彼は善意でこれを行っているのだろう。少し疑惑を持ちつつも時の流れに身をまかせる。
「そうだ、ここから引き離す前に何か聞いておきたいことはあるか?」
何か聞きたいこと、と言われても沢山ある。魔力とは何なのか、この空間はどのような仕組みなのか、それに、今語りかけてくる影、あなたは何者なのか。それらの中から一つを選ぶなんて人生をどれほど効率的に生きてこればできるのだろうか。少なくとも私のような人生の生き方ではない。
「何もないならそれでよいのだ。ないのなら意識を深く沈めておくといい。目覚めがよくなるぞ」
何もない。その一言は一瞬にして私の心に突き刺さった。このままでは私は急に彼の前に現れた少し変な少女になってしまう。
「あなたの名前は?」
あの選択肢の中で一番優先度が低いものを選んでしまったのではないだろうか。なぜ、私は影の正体をわざわざ知りたがったのだろう。いや、ほんの少し前の私はそれが適切なのだと判断した。この決定に今の私が何か異議を唱えたとしても事態が好転することはない。
私の質問に彼は何も答えてはくれなかった。ただこちらを見つめているような姿勢で停止している。次の瞬間、全身が粒子となったかと思うと視界が白くなった。体の変化に驚くと同時に意識が遠のいていく。この上ない眠気にとうとう抗えなくなり意識を手放した瞬間、うっすらと、脳内に言葉を直接刻み込むかのような声が聞こえてきた。
──────余の名は…ヴィルヘルム・ヴィルフリード。ヒトは余を皇帝と呼ぶ。
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