第4話 訓練

何か小さいものが私の体の上に乗って揺すっている。目を開けると可愛らしい少女が私に馬乗りになっているのが目に映る…どちら様?


「姫様、起きて。…早く朝ごはん、食べて」


まだ開ききっていない瞼を擦りながら辺りを見渡してみると、どうやら私は知らない場所にいるようだった。


ああ、思い出しました。そういえば私、カデークにいたんでしたね。


ベッドから体を起こすと、まもなくリャードに引っ張られながらテーブルに連行される。テーブルに並べられた皿を見てみるとそこにはポテトポテトポテト…ここでも、ですか。一周回って安心してしまう。もし口に合わなかったらなどと考えていたのが馬鹿らしい。ならばやることは一つ、今までと同じように黙々と飲み込んでいく。


「わーぉ、姫様、食べるの早い」


リャードがこちらを見て関心したように言う。口がパサパサしていて水が欲しい。マッシュされていたポテトに振りかけられた胡椒が辛い。ポテトが嫌いになりそうだ。


「姫様、これ着て」


お腹いっぱいで一歩たりとも動けない状況だとしても、時間は私を待ってくれることはなかった。リャードがぴょんぴょん跳ねながら服を着替えるように促してきたので言われるままに軍服に袖を通す。…うん。これ、オーダーメイドで作られたやつだ。私に合いそうなサイズを持ってきたんじゃない。あまりにもピッタリすぎる。


お父様の手際の良さにもうあまり驚かなくなった自分を自分で慰めながら身だしなみを整えてもらう。リャードの体が小さいので大変そうだけれど、私にできることはそれを静かに見守ることだけ。もし私が手伝おうとしても、精々足手まといが関の山だからだ。


鏡を見てみると軍服はひらひらした服とは違って体のラインが丸わかりで慣れるのに時間がかかりそう。…こんなことになることがわかっていればあらかじめ体を絞っておいたのに。


「姫様、ミーティングに、いく」


ミーティングという言葉に謎の抵抗感を覚えるのは私だけだろうか。皆が集まって不効率な話し合いをするということにどうしても抵抗を感じてしまうのは誰しも一度は心の中で思ったことのある共通認識だと信じたい。


長い廊下を歩きながら、リャードから私が配属される部隊のことについて教えてもらった。


今回の不規則的に実施した適性検査は軍内では緊急召集と呼ばれているのだそうだ。そしてその緊急招集で集められた魔導兵の中で上位数人を帝国最強と名高いカリン・セラントが率いるのだそうで、


「姫様はそこに配属される」


らしい。怖いもの見たさというのだろうか、恐怖を感じながらも少しワクワクしている自分がいる。


さらに廊下を進んでようやくリャードは足を止めた。会議室のような場所なのだろう。リャードが視線で入るように促してくる。


少し、必要のない緊張をしながら会議室の中へ足を進める。少し中腰の状態で少し俯きながら扉をそっと開ける。すると、中には黙々と銃の手入れをする若者を過ぎたぐらいの年齢に見える男性と、丸メガネをかけて何かをぶつぶつ呟きながら何かを弄っている少女のぐらいの体型の女性、そしてこっちを見ながらニコニコしているお姉さんがそれぞれ距離をとりながら座っていた。


「あなたも呼ばれてきたの?」


「そうなんです。自覚はないんですけどね」


おそらくだが、この人は私が貴族だということを知らないのだろう。けれど、そんなことで空気を悪く必要はない。心地良く過ごすためには調和が不可欠だ。


「私はフォンフィール・テルーノ。セリナ出身なの」


「アレクト・フォン・リーベです。私はメリートしゅっし…あれ」


私が自己紹介をしているとフォンフィールの顔はみるみる蒼白になり、振り絞るような声で「あら、」と言ったきり硬直してしまった。


「バカか?平民と話すなとは言わないが、こちらがその気がなかったとしても身分差を考えろ。むやみやたらに話しかけても萎縮させるだけだろ?」


さっきまで椅子に座って銃を手入れしていた男性が後ろから呆れた口調で話しかけ来た。いつの間に立って、私の後ろに回り込んだのだろうか。全然気配を感じ取れなかった。


「ごきげんよう。お名前を聞いても?」


「…クランハルト・フォン・レルモルドだ」


こちらにタメ口で話しかけて来た時はまさかとは思ったが、やはり旧貴族階級の人間だった。年齢からして三十とちょっとだろうか。少し燻んだ銀髪が渋い。


「クランハルト様、私は大丈夫ですのでそうお気を使うことなく…」


「…次話すときは戦場だ。身の程をわきまえるのには感心するが、一時の不況を買うより己の命が大事だと知れ」


そして見た目特徴によらず優しい。隠しきれていない傷跡や火傷の痕から元々軍人として生活していたのだろうと推測できる。慣れているのだろうか、彼はそう言うと再び椅子に座って銃の手入れを始めた。


二人の近くはなんとなく居心地が悪いので、反対側の椅子に座る。すると、不幸なことに座ってみた席はフォンフィールの目の前だった。不意に視線が合ってしまう。私が謝罪の意を込めて小さく会釈をすると、フォンフィールは慌てて首を横に振った。


しばらく何もしない時間が続き、緊張も和らいできたせいか、少し瞼が重たくなってきた。白衣を着た少女が何か機械のようなものを弄っている音だけが部屋に響いている。


…うーん、少しぐらいならねても、いい、かな。


「遅くなったな」


突然、扉が開かれた。バンッ、という音が響き、体が飛び上がりそうになる。音がした方向に視線を向けると、そこには黒い髪の女性が堂々と立っていた。肉付きは程よく、足が長い。女性の私からしても美しいと思えてしまうような、そんな人だ。


言うまでもなく、彼女がカリン・セラントなのだろう。


「おい、寝ようとするな」


眠たそうにしていたのが見えていたようで、後ろを通り過ぎるときに怒られてしまった。


「お前はここに座れ」


カリンの後ろを歩いていた少年が私の隣に座る。


「なぜ、あなたがこの剣を持っているのですか?」


私の後ろから声が聞こえた。見上げると将校の服を着た人が机に立てかけておいていたケトゥーヴァを取りこちらを怪訝そうに見ている。


「返してください」


「まずは私の質問に答えるのが先だ。見たところ中々の身分なようだが」


私の肩にぎりぎり触れないようにケトゥーヴァが振り下ろされる。鞘に収まっているとはいえ、流石に驚いた。私は軍での常識を知らないが、これはどうやらやりすぎなようでカリンとクランハルトが男に厳しい視線を向ける。


「あまり言葉を間違えるな?」


「止めておけ、クライデ」


クランハルトが銃の手入れをしながら私に剣を振り下ろした男性、クライデに強い口調を叩きつける。


「クランハルト。お前はこいつのことを何もわかっていない。この剣の正体を知っているのか?これは…」


「もちろんだ。それに私は彼女の正体も知っているとも。お前はタイミングが悪すぎた。分かったら今すぐその剣を返すといい」


クランハルトに気圧されるクライデだったが、彼にも彼なりの矜持があるのだろう。額に汗を浮かべながらクランハルトを睨む。


「まだわからないのか。彼女は貴族だぞ?」


「だから何だというのです。私はそのような脅しになど…」


「屈しないのか?レーリッヒ大将に背くことになったとしても」


「…本当なのか?」


クランハルトはクライデの問いに答えずに再び銃の手入れを始めた。もはや彼に興味がないと言いたげに。


「時間が惜しい。クライデ、納得したのなら早くその剣を返すんだな」


「…いいでしょう」


クライデと呼ばれた男性は観念したのかケトゥーヴァを置いてあった位置に立てかけた。それでも私に向ける視線は厳しいままだ。私が何をしたというのか。黙っていないで一から百まで教えてほしい。


クライデの分の椅子が無いと思っていたが、彼はカリンの背後に立つと腕を組んだ。本来は凡そ護衛のような任務を行っているのだろう。それなのに私に対してあの態度は許されるもではないはず。


「さて、まずは自己紹介をしなければ。私の名はカリン・セラント。呼び方がわからない奴は隊長と呼べ。そしてもう一つ、遅刻したことについて謝罪しよう。簡潔に言うとレーリッヒ大将に呼ばれた。どうやら戦線の状況は相当悪いようだが、それは後々話すとしよう」


クライデのことは一旦後回しにしてカリン隊長の言葉に耳を傾ける。簡潔で聞きやすい声だ。


「私たちの部隊は形式的に401特別魔導部隊と名付けられた。部隊員はクライデを除くこの部屋の中にいる六人。三日後にそれぞれの戦地へと向かってもらう予定になっているが、それまでに一応戦えるように即急に鍛えるつもりだ」


「それでは、なぜ私たちはここに呼ばれたのですか?」


「それについてはここにいる元凶に話してもらおう。エル、いつまでも機会を弄っていないでお前が話せ」


エルと呼ばれた少女はカリンの言葉でようやく手を止めた。どうやら白衣のサイズが合っていないようで、余分な袖をひらひらさせてカリン隊長の言葉に反応する。


「やだなぁ隊長。元凶なんて言い方しなくてもいいんじゃないの?私たち兵器開発部の人間はいつも前線で戦っている人たちのことを思っているのにぃ」


しかし、その言葉には誠意は感じられなく、カリン隊長のイラつきがこちらまで伝わってくる。そんなカリン隊長の様子にエルは気づかず、機嫌よさそうにポケットの中から宝石のようなものがついたブレスレットを取り出して、机の上に置いた。


エルはカリン隊長がこちらの言葉に反論しない様子をニヤけた顔で眺めつつ、懐から宝石の装飾がされたブレスレットを取り出した。歯車がいくつも付いた機械のようなものはバラバラになってしまっているが、今の彼女には眼中にないのだろう。雑にもう片方のポッケにしまった。


「これは私が独自的に開発したもので通称高速学習装置といったところでしょうか。これをつけて魔力を流すと、この石の中に記録された記録が脳内に流れ込むという仕組みになっています。この5つの中に入っている記録はそれぞれ別のヒトのものなので何になるかはお楽しみですっ。ささっ、好きなのを選んでみて下さい♪」


好きなものをと言われたので、一番手前にある紫色の宝石がついたものを取ってみる。ぱっと見普通のブレスレットで何もおかしいところはない。とりあえず腕につけてみる。しかし、それだけでは何も起こらなかった。


「皆さん付けましたねぇ。それでは全身に血を巡らせる感覚で魔力を動かしてみてくださぃ。それでも分からなかったら、私に聞いてくださいねぇ。あら、お二方は付けないんですか?」


「私はいい。技術というものは独力で身に着けるものだ。他人の手など必要ない」


「誰が兵器開発局製の道具など使うか」


クランハルトとカリン隊長はやはりブレスレットは付けなかった。二人の言葉からは兵器開発局への憎悪が伝わる。エルは不満そうにしながら机の上に転がっている二つのブレスレットを回収した。


「皆さん付けましたねぇ。それでは全身に血を巡らせる感覚で魔力を動かしてみてくださぃ。それでも分からなかったら、私に聞いてくださいねぇ」


どうやら魔力とは小説などでよくある空気中に存在しているものではなく、体内に流れているらしい。血液が体を循環している感覚を感じ取ろうと意識を集中してみる。すると、何か今まで気が付かなかったものが体内を循環していることを感じ取れた。おそらくこれが魔力なのだろう。


魔力を体内で循環させる。そうすると間もなく脳内に誰かだ見たであろう景色が流れ込んできた。剣を持ち、人の形を模した化け物を斬っている。例え片腕が斬り落とされようとも、地面から立ち上がって剣先を再び化け物へと向ける。彼の記憶は刃先が首元まで迫ったところで終わった。おそらくだが、死んだのだろう。それが分からないほど鈍感ではない。


慣れないことをしたせいで体が少しだるい。これが副作用ならば早急に慣れなければならない。小さいため息をついて瞳を開ける。


────────


「あ、れ?」


次に見た景色は、いや、これを景色と言っていいのだろうか、微妙なところだが、形容しよう。そこは光のない空間。人間も僅かながらに光っていると聞いたことはあるが、それすらも感じ取ることのできない漆黒の空間が広がっている。そして、そこに行けと言わんばかりの明かりが照らされた場所がひとつ。未知への恐怖はあるが、ここで突っ立っているだけでは何も変わらない。床は本当に平坦なのか疑問を持ちながらゆっくりと進んでいく。


何事もなく電灯に照らされたほどの大きさの光の中心に到着した。どうやら私の体はまだあったようだ。私は安堵して再び息を吐く。


「ここは一体どこなのでしょうか」


落ち着きを取り戻したことで口から疑問が漏れ出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る