第3話 新しい生活
車に揺られて数時間。ナイゼ川沿いの都市、セリナで私達は列車に乗り換える。普段は将校の人たちが使う豪華な客室だ。流石はお父様、抜かりない。
何か用事があったのだろう。ロンターは私が少しくつろぐほどの余裕ができ始めてから遅れて客室に入ってきた。その顔はお父様と話していた時のように強張ってはおらず、こちらが素の姿なのだと理解できる。
「アレクト様は何かお飲みになりますか?ここは普段将官クラスの人が利用するので酒類は大体そろっていると思いますが」
「私はお酒には強いですが、お父様から飲まないように禁止されているので」
「そうですか」
そう言ってロンターはグラスに水を注いでくれた。お父様がお酒を飲まないように言ったのは、十六歳になった祝いにお父様が私が生まれた年のワインを蔵から出してくれたときに、ボトルを二本空にしたのが原因だろう。
「…アレクト様、そちらの剣は」
私がいつの間にか持っていた剣に興味を持ったロンターが少し腰を曲げた状態で聞いてくる。
「どうやらお父様は私を嫁に出して遠戚を戻すのではなく、私に婿を迎えるのを望まれているようでして」
必要以上の情報をわざわざいう必要はない。これで伝わらなければ付け足せばいいだけだし。
「…つまり、リーベルト様はアレクト様を後継ぎに指名したということですね?」
私が肯定の意を込めて頷くと、ロンターは複雑な表情をして思考の海に沈んでしまった。話し方からして二人は初めましての関係ではないのだろう。過去に何があったのかは機会があったらぜひ聞いてみたい。
列車が汽笛をならして動き出す。慣性の法則で体が引っ張られる感覚が面白い。魔がさして試しにケトゥーヴァを鞘から抜いてみようと思ったが、力を入れてもビクともしなかった。刃と鞘が溶接されているような跡はない。一体どのような原理でくっついているのだろうか。
「アレクト様はリーベ家が特殊な家だということはご存知ですか?」
ようやく考えがまとまったのかロンターが真剣な眼差しでこちらを見る。
「ええ、お父様からリーベ家は帝国建国当時から存続している唯一の家だと聞きました」
「そうです。実感はないでしょうが、リーベ家が建国当時から皇帝陛下に仕え続けているという実績はすさまじい名誉であるとともに、選択を誤れば帝国が分断される絶大な影響力を持っています。その例に世界大戦後に起こった王権派によるクーデターはリーベ家が賛同したことによって成功したのです」
初耳だった。王権派によるクーデターは政治に軍部が口出しする機会を与え、帝国の発展の阻害になり、経済規模がブライト合衆国に引き離される更なる要因になった。だけどお父様は、あの聡明なお父様なら、そうなる事ぐらい分かっていたはずだ。ただ、自分の権力のために暗躍する性格でないことは娘である私が一番知っている。
「そんなこと…」
「ええ、信じられないことは分かっています。ですが、リーベ家は残念なことに権力を持ち過ぎてしまいました。それが望んでいなかったとしても、です」
歴史があるからこそ、リーベ家は今でも五大貴族に数えられているということなのだろう。これを知れば、お父様が世継ぎをあまり望まなかったことにも納得がいく。家が大きくなり過ぎれば、もちろんだが権力に溺れる人間が家の中から出るのは想像に難くない。そうなれば他家を巻き込んだ大規模な権力争いが始まってしまう。それを代々のリーベ家当主は望まなかった、だから家の規模は名声に反比例して小さいということなのか。
「後々リーベルト様からも言われるのかも知れませんが、アレクト様がケトゥーヴァを持つということはどういうことかを将校からの厳しい視線に晒される前に伝えておきたかったのです」
「そう、なんですね。お父様から聞き齧った話なのですけれど、軍には派閥があるのでしょう?」
「あるにはあります。ですが新大陸方面には主にC軍集団、穏健派であるレーリッヒ大将が掌握しています。なのでアレクト様は派閥を気にする必要はありません。旧大陸では継続王権派と政権移行派と穏健派が鎬を削っていますが、そのことについては時期になったらリーベルト様から直接教えてもらってください」
確か、お父様はC軍集団司令官は旧友だと言っていた。ということはレーリッヒ大将がお父様の旧友ということになるのでしょう。
列車がランカラを通り過ぎる頃には太陽は真南に昇り、カデークに到着する頃には日は既にかなりの角度に傾いていた。
列車がプラットフォームに止まる。慣性の法則に従って体か傾く。
社交の経験があるのだろう。ロンターが手を差し伸べてきた。どうやら私の目に狂いはなかったようで、心の中で少し得意げにしながらエスコートされてみることにする。
◆
私は少しやり過ぎてしまったのかもしれない。
アレクト様は本当に美しい。いや、私なんかが彼女を美しいと表現して『美しい』のレベルが下がってしまったら大変だ。
けれど、お貴族様の女性をエスコートできる機会など一生に一度あるかどうかなのだ。しかもリーベ家の後継のアレクト様なんて。光栄なことだけど、恐ろしい方が勝ってしまう。
それに、何故だかわからないけれど、私の手を取ったアレクト様は少しだけ頬を赤くして、口角は上がっている。これは、もしかして、もしかしなくても、箱入り娘なアレクト様に不要な刺激を与えてしまったのかもしれない…
憲兵にリーベルト様の名前を使って半ば強引に車も持ってきてもらった。許してくれ。アレクト様がもし不機嫌になるようなことがあればおそらく私はタダでは済まないから。
正門に着くと憲兵が不思議そうにしながらも身分証を求めてきた。…分かっています。アレクト様の身分証明になるものが欲しいんですよね。いや、本当に申し訳ない。
身分検査を強引に突破して、これ以上余計なことになる前に急いでレーリッヒ大将のところへと向かう。秘書の方に面談予定があるか聞いてみると、困惑したような様子で、
「一応、今日はこれ以上ありませんが…」
と、言ってくれた。どうやら今日は運がこちらに向いているようだ。
◆
ロンターが扉をノックすると中から「入れ」と一言返ってきた。それを聞くと慣れた手つきで扉を開ける。時間の流れがとても遅く感じる。喉の奥が詰まっているように苦しい。
「魔導適性者のアレクト・フォン・リーベを連れて参りました」
私は魔導適性なんて崇高な存在ではないと言いたくなるが、私は魔法や魔力についてはさっぱりだ。皆が私をそう呼ぶから私も自分の存在がそうであることを認めなければならない。
「よろしい」
一言、そう告げただけでどうやら私は圧倒されたらしい。彼の、レーリッヒ大将の声にはここ数十年の歴史が刻まれているようだ。
「れっきとした淑女である君に楽にしろと言って腕を組ませるのは忍びないが、これも規則だ。ここで少しでも生活する以上は従ってもらわなければならない」
そう言われてしまっては断れるわけがない。こんなゆったりとした服装では傍から見ればかっこ悪いだろうが、素直に従って手を後ろで組む。
「アレクト・フォン・リーベ。まずは、わざわざこちらのくだらない義理に付き合ってくれて感謝する。リーベルトから話は聞いているな?」
「はい。私が魔導兵になると」
「それだけ知っていれば今日のところは十分だ。そして、A等級魔導兵は士官に換算すると大佐、もしくは准将クラスになる。質問はあるか?」
ここでくだらない質問をしてしまってもいいのだろうか。でもここで何も質問をしないで上司の顔ばかり伺っている人だと思われたくもない。
「その、大佐と准将というのはどのくらいの地位なのでしょうか?」
「大佐は佐官の中では基本的に最高位、准将は普段は就任することは滅多にない役職だが、少将の一つ下だ。階級の数的にみると中の上、もしくは上の下といったところだが、人数が階級が上がるにつれ少なくなる。事実、なろうと思ってなれるものではない。」
「は、はあ」
正直言って何を言っているのか分からない。私は今日初めて軍隊にそんな階級があることを知った。てっきり、大将、中将、少将の三つしかないのかと。
そろそろこの姿勢も辛くなってきた。これが楽な姿勢ならば私はここでギブアップを申し出たい。
「アレクト、君には一度会ったことがある。まあ、かなり幼かったから覚えていないと思うが」
「そうなのですか」
「…表情が硬いのは元からなんだ。そう緊張しないでくれ」
「なるほど。」
てっきりお父様に何か因縁でもあって、そのついでに私のことも毛嫌いしているのかと思っていたが、どうやら違ったよう。なんと返答したらいいのかわからず、捻り出した『なるほど』という一言は今になってようやく失言だったと気がついた。
「本音を隠すのが苦手なのはリーベルトにそっくりだな。そしてその身分が上の者に対してもずかずかと踏み込んでくるところも奴の面影を感じる」
「私ってそんなに失礼なことをしてしまっていましたか?」
やってしまった。今のところは笑ってくれているからなんとかなっているけれど、下手すれば家に帰されてお父様からこっぴどく叱られることになってしまうところだった。
レーリッヒ大将は私をまるで実の娘のように眺めている。お父様は旧友だと言っていたけれど、本当は戦場で互いに命を預けていたりしたのではないか。少しばかり妄想が膨らむ。
「試しに言ってみた皮肉を理解していなかったり、私に質問した時の応答に満足していないような何処か不満げのある返事をしたり、私でなかったら剣を抜かれても文句は言えないぞ?」
「そ、そうだったんですね…」
大将の口調的に脅しているのではなく、本当のことを言っているのだろう。お父様が根回しをしていてくれて本当に助かった。
「まあ、そう気にするな。士官を目指すなら話は別だが、幸運なことに明日からは魔導兵として生活してもらうことになる」
「魔導兵は士官とは違って楽なのですか?」
「楽なんてものじゃない。最高だ。体を動かさなければならないのはインテリからすると辛いかもしれないが、責任がほとんどないのが素晴らしい」
…その言い方のインテリだと私もその中に入ると思うんですけど、これはわざわざ言う必要はないですね。藪蛇はごめんです。
「…まあ、命はかかっているがな。それでも魔導適性がAもあればそう簡単に死ぬことはないだろう。そんなことより、今日は休め。ただ列車に揺られているだけでも知らない場所はそれだけで疲れるからな。それと、そちらの家のメイド長ほどの腕前はないが、身の回りのことはこいつに任せるといい」
「…リャード、リャード・カテヘルタです。よろしくお願いいたします」
大将が心地の良く指を鳴らすと、大将の後ろから私より二回りほど小さい少女が出てきてぺこりと頭を下げた。未成年にメイド服を着せて世話をさせるなんて倫理観はどうなっているのか疑問に思ったが、どうやら特殊な事情がありそうです。
「こいつは魔導人形、通称ドールと呼ばれている兵器開発局の負の遺産だ」
話によると、魔導人形は謎の勢力が世界各地に出現した三年前、魔導適性のある女性の魂を埋め込んで脆弱な体を補強するという目的で開発されたのだそうだ。
しかし、実験はそう上手く行くはずなかった。
被験者の魂は元の肉体から抽出される段階で大部分の記憶が欠損し、そのほとんどが人格が元と大きく変わってしまった。そして肝心の魂を定着させるための人形は担当者が狂ったほどの幼女趣味者で秘密裏に魂を少女サイズの人形に定着させるという始末。
その後は無事、兵器開発局の黒歴史として語られるようになり、予算が大幅に削減されることとなったらしい。
そんな負の遺産がなぜここにあるのか、理由は簡単。失敗作だからといって廃棄することはできないからだ。この人形の中には記憶の大部分を失い、人格すら歪んでしまったとはいえ人の魂が封じ込められている。親族の多くはそれらを引き取るのを断ったが、それでも解体して捨てましたなんて事実が露呈してしまえば国民の反発は免れられない。
「だから私たちが共同で管理することになった。今でも
「そうだったんですね。…ところで、その子はいくらで売ってくれますか?」
「そういうことはリーベルトを通して伝えてくれ。私もこいつのことは気に入ってはいるが、平穏な家庭で暮らした方がこいつのためにもなる」
「言質は取りましたからね?」
「ああ、忘れないさ」
その後はリャードに連れられて自室に案内された。正直いって想像していたものよりだいぶ広い。こんな待遇はお父様なしには実現しなかったのでしょう。夕飯を食べて、服を脱がされてお風呂に入れられ、寝巻きに着替えてベッドに向かう。うん、とても優秀だ。
「お嬢様、明日はミーティングがある。起こしに行くから、待ってて」
「ええ、わかりました」
リャードが電気を消して私は目を閉じる。瞼の裏にはまだメリートの風景が残っていて、1日でかなり遠いところへ来てしまったと実感させられた。私は記憶の中の風景に想いを馳せて意識を深い場所へと沈めた。
異世界戦線 Chira @oyuumugi
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