第1話


 元勇者である蘇我啓一の朝は早い。

 勇者として呼ばれた頃からの日課が身体に染みついているからだ。

 朝四時に起床して顔を洗い、近所をランニングとトレーニングした後に、シャワーを浴びて登校する。

 これが彼のモーニングルーティンだ。

 啓一はいつものルーティンを行う為にベッドから起きてリビングに行くと、電気がついていたのでドアを開けた。


「珍しく早いなお袋」


「今日は取材があるのよ。早いって言うならもう少し遅くに起きなさいよ。あんた寝る時間遅いんだから」


 朝から化粧をしているこの女性は啓一の母、博美ひろみだ。

 記者を生業として今日も特集のため、朝から取材の準備をしている。


「へいへい」


「あんたねぇ」


 啓一はお湯を沸かしてコーヒーを啜りながら、雑誌の数々を見る。

 至る所に津田詔司つだぬまじという名前が書かれている。


「こんな時間に家を出るって芸能人かなんか?」


「芸能人と言っていいのかしら津田詔司くんのこと。でもあんたも知ってるでしょ?」


 津田詔司は数年前に神域学園ができることになるきっかけの暴動を起こした勇者を確保した政治家の息子だった。

 彼もまた異世界から帰還した勇者で事件を起こした犯人と違って両親に恵まれて引き取られた。


「へぇ、津田ねぇ」


「あんた、彼の話になると不機嫌になるわね。あんたの通うことになる神域学園では彼は生徒会長なのよ?」


「知るかよ。たかが2年ちょっと異世界に召喚されていただけだろ?」


「あんたは10年・・・だものね。本当に無事に帰ってきてくれてよかったわ」


 博美は啓一が異世界召喚された時のことを思い出して涙をこぼす。

 啓一は6歳の頃、家で悪戯をして博美に叱られてから反省の意味で家の外に追い出された。

 博美は窓から幼い彼が家の敷地が出ないように、窓から啓一の様子をしっかりとみていた。

 幼い子供を叱る母親としては厳しいと言えるが、家庭ではありがちの罰とも言えた。

 しかしここで悲劇が起きる。

 啓一が光に包まれて異世界に召喚されてしまったのだ。


「泣くなよ。化粧が崩れんぞ」


「あんたの所為よ?」


 博美はあの時のことを死ぬほど後悔した。

 まさか最愛の息子が自分の目の前で消えるとは思っていなかったのだ。

 30分ほど外で反省を促した後に、啓一の好きなグラタンを二人で食べようと思っていたのだから。


「あんときは俺も悪かったよ。そりゃ、お袋はちょっとやりすぎだと思ったがよ。まさかあのタイミングで異世界に呼ばれるとはさ」


「全くよ。津田詔司くんが止めた事件、あんたも事態の収拾に行こうとして。気が気じゃなかったのよ。またあんたが私の前からいなくなると思って」


「異世界にいた頃、あっちでできた友人が俺が人を助ける姿を見て喜んでたからさ」


 その顔に悲哀なモノを見て、博美は息子の心情を察している。

 博美は何度か、啓一が異世界で身につけた技を力を使う時に青い顔をして両手を見ている彼の姿を見たことある。


 そして度々啓一が口にする友人の話をしながらも、異世界に戻ろうと考える様子も素振りも見せないのは、恐らく息子の言う友人はもう生きてはいないと言うことなのだろうと。

 もしかすれば目の前で失ったのではないのかと。

 でも博美はその事を深くは聞かない。


「いつかその友人紹介しなさいよ!あんたはたった一人の私の家族なんだから!」


「お袋は毎回言うなそれ」


 啓一は博美が十年間自分を探していたことに驚いた。

 自分のことなんて忘れて新しい家族と新生活を送っているのかと。

 実際、啓一の召喚された世界では口減しに子供を捨ててしまう民衆も多かった。


 博美は記者になる前は、子供のころからの夢だった一流レストランのパティシエとして活躍していた。

 しかし啓一が消えた時、そんな長年の夢だったパティシエを捨てて十年と言う短くない歳月を生きてるかもわからない息子の捜索に費やしたのだから。

 

「当たり前よ!息子の友達なんだから!」


「そうか。早く行け、どうせ津田の自宅前に行くんだろ?」


「おっと、そうだったわ。明日からあんたも学校なんだから、予習復習はしっかりやるのよ」


「わーってるよ」


 そう言うと荷物をまとめて博美は家を出て行った。

 啓一はその背を見ながら一言だけ言葉を零す。


「何も聞かないでありがとよ」


 それは毎日博美が家を出ていくときに聞こえないように言う啓一だった。

 啓一自身、現代に戻ってきたときに帰る家はないと思っていた。

 それは時間が経ちすぎて元の時代に戻ったのかわからなかったのもあるが、自分が異世界でしたことを考えると、人のいる社会で生きるのが不安になってしまったということもあった。

 しかしそれは母親が10年間ずっと啓一を探し続けていたことで吹っ切れた。

 

「さて、俺もランニング行くか。日常なんて簡単に壊れる。身体をなまらせないようにしねぇと」


 子供の頃から命がけの闘いに生き残った啓一は知っている。

 

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