ことばのはなし

桐崎りん

とりあえず、平方完成しよう

「言葉とか文字であらわすことって、人と共有するときは便利だけど、でも、言葉にすることでそれイコールその言葉になって、視野が狭くなっちゃうかもね」


目の前で数学のワークを解いていたみすずが、突然そんなことをつぶやく。


わたしは、読んでいた歴史の資料集からみすずに目を向けた。みすずは、二次関数に苦労しているようで首を傾け、ととのったまゆげは8の字になっている。さっきの言葉なんてなかったかのように。


「どういうこと?」


でも、わたしは気になった。みすずは、たまに、今みたいに世界の真理みたいなことを言う。世界の真理がなにものかは分からないけれど、そういうことをみすずが言ったとき、不思議なきもちになって、わたしはそれが好きだった。


みすずは、長くてさらさらの髪の毛を耳にかけながら、わたしの方を見る。


まっすぐに、わたしの頭の中を見透かすような、まっすぐな黒い瞳を見つめ返す。


「なに?」


みすずの色白なほほが少し赤らめている。青と赤のチェックの長袖ポロシャツでも、みすずが着たら、とてもオシャレに見える。わたしなら、オタクのようになってしまうだろう。


「さっきの……言葉や文字とかってやつ」


わたしは、さきほどのみすずのことばを頭の中で反芻させようとしたけど、ほとんど思い出せず、かろうじて思い出せた単語を言う。

なにせ、わたしの頭の中にはないことだから、あまりに珍しいので、頭も覚えていられないのだ。


「んー」


みすずは、シャーペンを置いて、代わりに肘を立てて、顎をのせる。

水色のクマのピン留めがきらりと光を反射した。


「なんとなく。数学解いてたら、そう思った」


わたしは、みすずの頭の中がとても気になる。


きっと、わたしみたいに、あの先生が苦手だとかハンバーグが好きだとか、そういうことが頭の大半を占めていることはないのだろう。


「とくに意味はないし、自分でもよく分からないけど」


「うん」


「言葉って、そのものの限界を作ってるのかなぁって急に思ったの」


「うん」


「数字もそうじゃない?」


「うん?」


「たとえば、7は反対に向けたら、カタカナのムに見えるよね?」


そう言いながら、みすずはノートに7を書く。


反対から見るとたしかに、ムに見えないこともなかった。


「あとは、6とか9もそう。反対にしただけで、3つも変わってくる」


そう言われてみればそうだ。


「そういうことを考えてた。誰が7を数字のにしたんだろうって」


不思議なことを考えるなぁ、と他人事に思う。

だって、7は7でしょう。


「そしたら、7をとしてるのは誰か、じゃなくて、7をと知ったみんなだなってなった」


たしかにそうだ。ないだろうけど、数字が読めなくて、カタカナが読めるひとに7を見せたら、ムというのかもしれない。


「うらないとか、おまじないとか、そういうのもそう。それをおまじないとしているのは、その言葉がと知っているみんなだと思う」


「そうだね」


「最初に言い出したひとは、もちろんいるけど、定着させたのはみんな、だよね」


わたしは、足りない頭で、みすずのことばを考える。

わたしも、みすずも、みんなに含まれる。というか、この世界で生きているひとは例外なく含まれるのかなぁ。



「ていうか、この問題分からないよぉ」


みすずは足をジタバタさせて、ノートに大きくバツと書く。


わたしが思いつかないことをたくさん考えているのに、二次関数は分からないらしいから、みすずのことは未だによく分からない。


でも、よく分からないほうが、それはそれでおもしろいのかもしれない。





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ことばのはなし 桐崎りん @kirins

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