第5話 俺の世界* side 静之緋色
俺にとって澤田朱音という人物は、ただのクラスメイト。俺と同じく、一番後ろの席の奴。そして――喋れるくせに喋らない、気に食わない奴。
声を出せない俺からしたら、そりゃもう、腹立つったらない。澤田に声は、豚に真珠と同じだ。アイツに声があるなんて、贅沢だ。もったいない。その声を使わないなら、俺にくれ――
何度、そう言ってやろうかと思った。まあ、喋れないから、言えるわけはないんだけど。
だから、夢で会うようになった時は本当に嫌気がした。俺は夢の中でだけ、声が出せて自由に出来るってのに。なんでこんな奴と一緒にいねーといけないんだよって。だけど、好機かも?と、そう思い始めた。それは、澤田が俺の事を気にし始めた時だ。
――静之くんが私に喋ってくれた言葉、ちゃんと聞こえたもん
――例え私がバカでも、静之くんが喋った事だけは否定しないで
俺より俺を知っているかのような口ぶりで、そんな事を言う澤田。反吐が出る。今まで自分を粗末に扱ってきたのは、澤田、お前自身だろ?
声を出さずに一人静かに生きて来たお前。その姿は、うぜぇくらいに、俺の目に留まった。だから、沼田との仲裁に入ったのも気まぐれだし、学校で話しかけたのも、何となくだ。
それなのに、どうしてだ。
――静之くんと付き合う。彼氏彼女になる
澤田なんでお前、そんな事いっちまうんだよ。
表には出さなかったが、内心は盛大なため息が出た。俺、お前のこと、実は嫌ってんだぞ?ずっとムカつくって思ってたんだぞ?付き合おうって言ったのも、お前がどれだけ俺に忠実になってんのか試したかっただけだし。何の意味もねーんだよ。なのに、なんで了承してんだよ。
だから……澤田を突き放すために、俺は次の手に出た。
――お前のファーストキス、俺が貰うから
澤田はさすがに嫌だって言った。当たり前だ。そもそも、俺だっていらねーよ、お前の唇なんて。澤田はクラスにいる静かな女子で、秀でた可愛さがあるわけでも、守ってあげたくなる可憐さがあるわけでもねぇ。ばかりか、無言を貫くから「不気味な女」とまで噂されている(本人はたぶん知らない)。
そんな奴とキスしたいか?
いや。俺なら嫌だ。遠慮する。
……だけど、
――ムリ……。何もしないって……、今から、約束して……!
恥ずかしさの中、必死に抵抗する澤田の事を、少しだけ「可愛い」と思ってしまった俺もいる。癪だけど。俺はもしかして欲求不満で、その解消だけの目的で澤田と付き合っている?と思ったりもした。
だけど、それは違う。断じて違う、と思いたい。欲求ならある。でも、性欲じゃねぇ。それは――澤田を屈服させたい。それだけ。
今まで「喋れるお前」を下から羨んで見ていた。けど、今度は俺が、上からお前を見下ろしたい。下克上だ。それが俺の欲求。嫉妬心から来る、俺の願望――
「(悪く思うなよ、澤田)」
俺と澤田を繋いでいるのは、夢の世界と、彼氏彼女という肩書き、そして――嫉妬。俺らの間に、愛なんて何もない。恋なんて、その辺に捨ててあっても拾わない。きっとお互いがお互い、なんで付き合ったのか分かってねぇ。けど、それでいい。
「(暇つぶしには、もってこい――ってな)」
澤田、悪ぃな。俺ってこういう奴なんだよ。お前を好きになれない人種なんだよ。でも、それはお前だって同じだろ?俺に告白されたと勘違いしてた時に、「ごめん」って俺の事を振ったもんな。
じゃあ、おあいこだ。せいぜいこれから、傷を舐め合いながら、共に夜を過ごそうぜ――
◇
今日も朝が始まる。教室に、クラスメイトが集う。そして――昨日とは全く違う関係になった俺と澤田が、リアルな世界で初めて、顔を合わせた。
「(あ)」
「あ」
突然に、当の本人が目の前に現れる。教室の出入り口で鉢合わせた俺たち。俺が避けようと移動すると、澤田も同じタイミングで、一緒の方向に動く。避けた先に相手がいる――これを何度か繰り返した。
「(相性よすぎだろ!もう何回目だよ!)」
そう思った時だった。
「……ぷ、ふふ」
笑い声が聞こえた。その声は明らかに澤田から聞こえていて――思った以上に、可愛い声だった。
「(って、可愛いって……バカか俺は。何考えてんだ)」
いつも夢の中で聞いてるから、澤田の声は知っているはずなのに。今さらなんて変だろ。何が“ 可愛い声”だよ。
「(しっかりしろ、俺)」
付き合ってる彼女の事は、どんな事でも可愛く見える――みたいに思う彼氏じゃねーんだ俺は。そもそも上辺だけの「お付き合い」だしな。
澤田の事は気にしないと決心した後、自分の席に着いてぼんやりする。暇だな――と思った時は、大体、読書をしている。といっても、誰とも話さないから大抵いつも暇なんだけど。
でも、今日は違った。
パタン
「……」
俺の横から、ノートが一冊降ってくる。でも、普通のノートじゃない。その青色のノートは、少し小ぶりだった。
「(……コレ、なに?)」
このノートを机に置いた奴――澤田を見る。澤田は音もなく俺の席の後ろに立ち、ノートを寄こしたらしい。不審な顔で澤田を見ると、ニヤリと――何の悪だくみをしているんだと容易に分かる、含みのある笑みを彼女は浮かべていた。
「(何を企んでいるんだか……)」
はぁ――とため息が出そうになるのを我慢する。そうだ、ここは学校。夢の中とは違うんだ。喋れない俺に、喋らない澤田が話しかけている構図が珍しいのか――クラスメイトの視線は、ほぼ俺たちにあった。
言わば「見られている」。そんな状況で、夢の中のように澤田に接するわけにはいかない。努めて穏便に「なに?」という意味を込めて、ニコリと笑って首を傾げた。
だけど皆の視線なんてお構いなしなのか――澤田は、やっぱりニヤニヤした顔を隠そうともしない。
いや、きっと本人的には隠してるつもりなんだ。口元が少し引きつっている。必死に笑みを押し殺そうとして、だけどやっぱり隠し切れずに漏れ出ている。今の澤田の笑みは、そんな感じだ。
おいおいおい。
一体何をしでかす気なんだよ。
俺は学校では「喋れない奴」以外で目立ちたくはねーんだよ。早く自分の席に戻れよ。お前と犬猿の仲のあの沼田さえ見てるぞ、お前のこと。涼しい顔で笑う俺。だけど、内心は滝汗ものだった。
何しろ、澤田の考えが読めない。壊滅的に。ただノートを渡しただけで何も言わないし、何も行動に移さない。
「(……まさか)」
ここまで考えてハッとする。
コイツ、まさか演技をしているのか?ノートが手から滑って俺の机の上に落ちましたって……。そういう演技をしてんのか?それが俺への嫌がらせになると思って?
「(いや、まさか。いくら澤田でも、そんな馬鹿なことは考えないだろ)」
だけど澤田は、脈絡もなく、俺の前から姿を消す。アイツの後ろ姿を目で追うと、どうやら自分の席に帰ったらしい。
「(は?)」
まてまて。おい、待て。
なんだよ、このノートは。
どうすんだよ、クラスの空気は。
後始末の全部を俺に放り投げて、それで嫌がらせをした気になってんのかよ。クソ、意味わからねぇ。なんだ、あの女……。
ジリジリと、言葉にならない怒りが湧いてくる。クラスの人も「結局あのノートは静之くんの、って事?」と理解に苦しんでいるようだった。なんて振る舞おうか迷っていると、始業のチャイムがなる。すぐに先生が教室に入ってきたため、皆の視線は俺から外れた。ホッと息をつく俺。その時に盗み見た澤田は、沼田に何かを言われても無言を貫いているようだった。
「(結局、何なんだよ。このノート……)」
まるで怖いノートでも拾ったみたいな、妙なドキドキ感に襲われる。だって、そうだろ。怖すぎだろ、このノート。一番後ろの席を利用して、先生にも皆にも見られないように、机の下でノートを開く。ノートの小さいサイズが、こんな所で役に立つとは……。
パラッ
開くと、最初のページには何もなかった。そして、次のページも。その次のページにも、その次も。
「(なんだ。結局、新品のノートを寄こしただけかよ)」
安心したのが半分、期待外れだと思う俺が半分。いや、期待外れってなんだよ……。
だけど。気になったんだ。アイツが俺にわざわざノートを寄こすなんて、よほどの理由があるんじゃないかって。嫌がらせ以外にも、何か……。アイツの悩みが書き連ねてあるんじゃないかって、そんなことを思ったんだ。
例えば、沼田との関係に本気で悩んでいる、とか。あとは、俺の告白相手が誰なのか、本当は気になってる、とか。俺の好きな人は「詮索しない」ってアイツは言ったけど、それでも気になるのが、世の常ってもんだろ。
「(さすが澤田。俺をガッカリさせる術は心得ているよう、だ、な……?あれ、なんだコレ?)」
ノートを閉じようと思って、そして、止まった。ちょうど真ん中あたりのページに、何か見えた気がする。もう一度ノートをめくりなおし、そして――見つけた。
澤田の文字は初めて見るが、書いてある分は澤田本人に間違いなさそうなものだった。その書いてある内容は、
――夢の中ではやられっぱなしだから。悔しいの。だから仕返し。
それだけ。
今風の女子の字でもない。汚すぎることもない。達筆すぎることもない。言わば普通の文字で書かれた、メッセージ。やっぱり。このノートを俺が受け取って、そして困る姿を見たかっただけなんだな――と澤田の幼稚な考えに、脱力した。
あぁ、もう。
本当……澤田って、バカすぎんだろ。
「(夢の中で襲われそうになった仕返しがこれって……。バカだなぁ澤田。こんなの、仕返しになるかっつーの)」
変に気が抜けたせいか、はたまた、本当に呆れた為か。俺はクスッと、少しだけ笑ってしまう。本当に、少しだけ。
「(仕返しの仕返しがあるって考えなかったのかよ。そういうところが、バカなんだよ。今日、夢の中で覚えてろよ?澤田)」
こんなの、ただの小学生のケンカだ。
叩いたから叩き返す、と同じ。
言われたから言い返す、と同じ。
ただ、それだけの事。
幼稚なこと。
取るに足らない事。
なのに――
「(早く、夜が来ねーかなぁ)」
好奇心か、はたまた嬉しさからか――少しだけ心臓が跳ねた事に、俺は気づいてしまう。そして会いたくもねー奴と必然的に会ってしまう夢の事を、ほんの少しだけ、焦がれてしまったのだった。
◇
普段の学校生活が乱れたのは、その後のことだ。放課後、俺の席の近くの枝垂坂が話しかけてきた。
「ねえ、静之くん」
「?」
普段話しかけられることがないから、ビックリした。今日も静かに一日が終わると思った矢先の事だったから、余計だ。
「(俺に……話かけたよな?)」
あまりに突拍子もないことだったので、疑問を覚える。すると俺から何も返答がないのを不思議に思った枝垂坂が、申し訳なさそうに聞いてきた。
「あ、ごめん。あの、静之くんって、耳は聞こえるんだよね?」
「(うん)」
「そっか、良かった。何も反応がなかったから聞こえないのかと思って」
眉を下げて申し訳なさそうにする枝垂坂。薄茶色のロングの髪は、いかにもモテる女子って感じだ。小さな顔、枝垂坂に似合った体のライン。全てが完璧。それに比べて澤田は……って。やめやめ。
「(何こんな時にまで澤田の事を考えてんだ、俺)」
あのノートを貰ってから、澤田の事を妙に考えてしまう。ダメだな。さっさと燃やしてしまうか、あんな不吉なノートは。
そう考える俺の心とは裏腹に、ノートは大事にカバンの中にしまってある。夢の中で渡すのはさすがに無理か?なら、明日の朝一に教室に来て、アイツの机の中に入れとくか――そんな事まで考えている自分が笑えて来る。
几帳面とかじゃない。俺はもともとガサツなタイプだ。夢の中の俺を見たら、百人が百人、そう言うだろうな。けど、そんな俺がノートを澤田に返そうと、律儀に思ってるのが滑稽だ。
だって、そんなの、
「(また澤田からノートが来るのを、楽しみに待ってるみたいじゃねーか)」
今度は澤田が何て書くか――そんな事を楽しみにしている俺がいるなんて、認めたくねぇ。
「(やっぱダメだ。こんな俺は俺じゃねぇ。あのノートは燃やす。決めた)」
頭と心が一通り整理出来たところで、立っている枝垂坂に合わせて、俺も席を立つ。「何か用?」とゆっくり口パクで伝えると、今度は彼女が首を傾げた。
「ごめん、紙に書いてもらってもいい?口の動きだけじゃ分からなくて……」
「(ごめんね、もちろん)」
手で「ごめん」のポーズを作って、机の中の一番上にあったノートを手に取る。澤田の青のノートをカバンに入れておいてよかった。小さいから、机からポロッと落ちそうなんだよな。その瞬間をクラスの皆に見られても面倒だし。「澤田の渡したノートを大事そうに持ってるぞ」なんて言われたら、たまらない。
「(そういや、スマホで文字打ってもよかったな。書くのは手間だ)」
澤田がノートにメッセージを残したのを見たから、何の疑問も持たなかった。次からはスマホにするか。サラサラと、ノートにペンを走らせる。澤田は、一発で俺の口パクを理解してくれたのにな――なんて、そんな事を思いながら。
――ごめんね。何か用だった?
ノートを手に持って文字を見せると、枝垂坂は真顔でノートを見た後に、俺を見て笑った。ニコッと。素早い表情の変化に、少し驚く。自分の表情さえも計算したような動きに見えて、少し不気味だったからだ。
だけど、俺がこんな事を思っているとは、露も知らないだろう彼女。笑った笑みをそのままに、こんな話題を持ち出した。
「今日、一緒に帰ってほしいんだぁ。ダメ?」
クラスの男子がメロメロになる上目遣いをして、俺を誘うのだった。
「(……)」
どういう理由があって、俺を誘っているんだろう。どういう経緯で、俺を誘おうと思ったんだろう。全然わからない。枝垂坂の考えていることが、意味不明で理解不能だ。
「(第一、俺と帰ったって楽しくないだろ。喋れないんだぞ。いちいちスマホで文字を打ちながら歩くつもりかよ)」
そう思った時、ポケットに入れたスマホがブブと震える。どうやらメールが入ったらしい。急用じゃいけないから――と枝垂坂に説明して、スマホを見る。
けど、そんなの嘘っぱちだ。滅多なことで俺のスマホは鳴らない。急を要するメールなんて、来てない。見る前から分かっていた。
だけど――もしかして、と思った。もしかしてアイツからメールが来てるんじゃないかって、そう期待する自分がいた。そして、その期待は、俺の期待に見事に応える事になる。
――その人と一緒に帰らないで。静之くんの彼女は私でしょ。
「(……ふん、バカな奴)」
思わず漏れそうになった笑みを何とか堪えながら、澤田を見る。すると、メールをくれた張本人は、複雑な顔で俺を見ていた。
「(また仕返しと思って、俺の反応を楽しんでいるのか?それとも、本気で枝垂坂と一緒に帰ってほしくないって思ってる?)」
真意はわかりかねる。が、アイツの珍しい表情も見られたし。枝垂坂には悪いけど断るか――そう思っていた時だった。
「じゃあ、行こ!」
「(え、あ、おい!?)」
枝垂坂に腕を引っ張られて、力を入れてなかった俺は、いとも簡単に教室を出てしまった。枝垂坂と一緒に。
「(俺の返事も聞かずに……。枝垂坂って強引な女)」
それに、気になるのが澤田だ。さっき教室を出る時に、澤田が俺の方を見ている気がした。いや、絶対見てるよな。枝垂坂に誘われた時に、真っ先にメールを送ってきたくらいだし。
「(夢の中でグチグチ言われそうだなぁ……)」
はぁと息が漏れそうになった時。隣を歩く枝垂坂が「皆に見られてるね」と嬉しそうにほほ笑んだ。その時、俺は初めて、自分が目立っているという事に気づく。
俺と枝垂坂が並んで歩いているのは、相当珍しいらしい。そりゃそうだ。なんせ初めての事なんだから。廊下にいる奴はもちろん、教室内にいる奴らまでもが、俺らを見ようと顔を覗かせている。
「(注目を浴びてる……。めんどくせぇ)」
早く学校から出たい――そんな俺の希望は叶わずに、校門まで来たところで枝垂坂は止まる。あと一歩で学校を出られるのに?と不思議に思い立ち止まる俺。枝垂坂は辺りをキョロキョロ見回し、俺のことなんてお構いなしだった。
「ここで待とうか」という彼女。一体、何がどういうことだ……。そろそろ説明してほしくて、トントンと肩を叩く素振りをする。すると、そこでやっと俺の存在を思い出したらしい枝垂坂が、「あ」と短く声を漏らした。
「ごめん、実は元カレがしつこくて……」
「(元カレ?)」
小首をかしげた俺に、枝垂坂は「元カレね、他校の人なんだ」と言う。俺の質問に答えたのか、説明する上で必然だったのか……。どっちつかずな言葉だった。
「よく言う性格の不一致で別れちゃったの。私が別れを切り出して……。だけど、なかなか諦めてくれないの。だから、静之くんに協力してほしくて……」
「(協力?)」
「協力っていうのはね、彼氏のふりをしてほしいの!今だけでいいからッ」
「(……あぁ、そういうことか。あほクサ)」
喋れないっていうのは不便だけど、こういう思いの丈を口にしたところで相手に届かないのが良い。今だって、俺が喋れないからこそ、自分が虫けらのような目で見られているなんて。枝垂坂も気づかないんだろうな。
「静之くん、前々からカッコいいって思ってたんだよね。それで、今日授業中に笑ってるところ見たの。その顔が頭から離れなくて……。なんかいつもと違う笑顔っていうか。優しい笑顔にキュンってしたってゆーか!だからね、もう運命かなってね。協力してもらうなら、静之くんしかいないって思ったの」
「(いや、俺は……)」
「それに、ホラ。静之くん喋れないから、ちょうどいいよね?うっかり口が滑って本当の事を言っちゃうって事もないし。私さえ上手く回せば、絶対元カレのこと騙せるかなって!」
「……」
こういう事を平気で言う人種は一定数いる。存在する。散在する。野放しになっている。人の心に土足に踏み込み、荒らした事にも気づかないまま、去って行く。
嫌な奴だ。
二度と関わりたくない。
「(って思ってるのに……どうして俺も、ここから動かねーんだろうな)」
足が地面から離れない。本当なら、ここで反論したい。こんな奴、放っておいて帰ってやりたい。が――相手は枝垂坂だ。皆が好きこのんでコイツに集まる、言わば人気者だ。人気者に反論すると、今以上に教室で肩身が狭くなるだろうし。ただでさえ「喋れない奴」ってだけで、腫れ物扱いをされてるのに。
「(これ以上、教室から浮きたくねぇし。単純にめんどくせぇ)」
クラスで円満に過ごしたいがために、何を言われても従順になる俺。プライドを犬にでも食わせたような、そんな体たらくな姿。
「(情けねーな、ほんとに)」
口元に手を持っていく。そして失笑が漏れた瞬間、枝垂坂が「笑った!やっぱりカッコいいね」と、笑顔で俺の心を切り裂いていく。
「(お前への絶望の笑みだってこと、気づかないんだな)」
そうやって、他者の言動に鈍感なまま生きていける奴もいる。枝垂坂なんて、その筆頭だ。
だけどな、俺は違うんだよ。話せない分、目と耳が敏感になったらしい。相手の話し方、話す内容――それらをいちいち詮索してしまう。俺を傷つけるナイフじゃないかと、いつでも怯えているんだ。
「(そうか、怯えてるのか。だから俺は、今動けねーのか)」
喋れないだけじゃなくて、カカシよりも役に立たないと思われるのが嫌で。心に鋭利なナイフを投げてくる枝垂坂。そんな奴にさえ、俺の存在意義を示したくて……今、ここに立っている。
「(はぁ……アホくせ)」
この時間が、この世界が。
そして、こんな自分が。
全てすべて、嫌になってくる。
「(前も、そう思った時があったな。あの時は、)」
と、ここまで考えていた時だった。
グイッ
「(!?)」
本日二度目。俺の手は引っ張られる。その手は、小さくて、か弱くて……。だけど、直視できないほど眩しい。
「(あぁ……こっちだな)」
そう思った。俺はこの手と帰りたかったのだと。この手を待っていたのだと。
「(澤田)」
喋れないのに口を動かす。すると、俺が口を動かしたその瞬間――ちょうど彼女は振り返った。そして、
「なに?静之くん」
目を奪われるような優しい笑顔で、返事をしたのだった。
静之緋色 side end
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます