第4話 ニセモノの彼氏彼女



ブー


「今日の、あれ……なに?」

「あ?アレってなんだよ」


「話し……かけてくれたじゃん」

「……」



静之くんが学校で話しかけてくれた、その晩のこと――ブザーの音が響いた後。私は今日も、夢の中で静之くんと会っていた。私はソファに腰かけて、静之くんは地べたに座っている。ソファなんて、今まであったっけ?と疑問に思ったけど、ここは夢の中だ。何かが降って湧こうが、突如として何かが消えようが、結局は夢だから気にならない。


だけど、静之くんが学校で話しかけてくれた事は別。めちゃくちゃ気になる。考えたら眠れなくなるくらい。



「眠れなくなるくらいって……。現実の澤田が寝たから、こっち(夢)に来てんだろ」

「熟睡する前に飛ばされてるわけじゃないもん……」

「浅くても深くても、睡眠は睡眠だ。ちゃんと寝れてんだよ」



ハハと笑う静之くん。どうやら、私の質問ははぐらかす気らしい。



「私、嬉しかったよ……?」



それだけ言うと、静之くんはピタリと笑うのをやめた。黙ったまま、今日も自身で用意したマグカップの中を覗いている。



「静之くんは初め、学校で私を遠ざけた気がした……。だけど今日、話かけてくれた。静之くんに、もっと近づいていいって言われた気がして……嬉しかった」



梅ジュースの入った缶を持つ私。緊張でフルフルと震える手に合わせて、ジュースの中身もさざ波が起きている。時折チャプという音が、静かな部屋にこだまするようだ。


その静寂を破ったのは、静之くんだった。



「お前、俺が話したって言うけど……。昨日も言ったろ。俺は話せねーんだって」

「……知ってる」


「なら、」

「でも、聞こえた。静之くんが私に喋ってくれた言葉、ちゃんと聞こえたもん」


「……」

「……」



私、何を意地になってるんだろう。こんな事を言ったって、静之くんは「頭おかしい奴」で終わらせてしまうに決まってるのに。


だけど「聞こえなかった」というのも、違う気がした。だってあの時、私は静之くんが何て言ったか、はっきり分かったんだから――


すると、激しくぶつかり合っていた二つの視線は、静之くんのため息でズレていく。静之くんは、私から再びコーヒーへ視線を移した。



「お前、バカだバカだと思ってたけど、やっぱりバカなんだな」

「……例え私がバカでも、静之くんが喋った事だけは否定しないで」


「なんで俺のために、そこまで必死になってんだよ。ってか――お前のその意地って、俺のため?」

「!」



誰のため?なんて……分からない。そんなの、知らないよ。



「わからない、けど……静之くんのために必死になりたいとは、思う」

「……へぇ」



ニヤリと笑った静之くん。音もなくスッと立って「じゃあ俺のために一肌脱げよ」と私の髪を掬いながら、隣に座った。



「ひとはだ……脱ぐ……?」

「彼女になって。あの告白メールは、お前に送ったって事で」

「彼女……それって、」



付き合うって、そういう事?


そう尋ねると、静之くんは、端正な顔を崩さず頷いた。「……」絶句する私。だけど――ありえない話をされているのに、静之くんを見ると、ふいに胸が鳴ってしまう。イケメンは……ズルい。色々と。常識の垣根を、こうも簡単に越えてしまうから。


私は「いけない・間違ってる」と思った。そう思ったのに、口が滑らかに「いいよ」と動く。



「静之くんと付き合う。彼氏彼女になる」

「……へぇ」



静之くんからの提案なのに、なぜかビックリしている彼。「軽い女って思われたかな」と、今更ながら後悔が襲う。だけど、静之くんは全く違う事を考えていた。



「じゃあこれから、二人でイチャイチャし放題ってことか」

「へ?」


「だって夢の中って俺らしかいねーだろ?いわば、同居生活だ」

「!」



い、言われてみれば、確かに……!


静之くんと同居って、なんか全然現実味がない……。けど胸の内がザワザワ、そしてドキドキしている。その事に――気づいてしまった。



「じゃあ、そういうことで」



ギシッ


ソファが軋む音がする。隣にいる静之くんが私に近寄り、真横のまま、惜しみもなくカッコイイ顔をちらつかせている。



「~っ、ち、ちかい……っ」



当然ながら、男慣れしていない私は、恥ずかしさのあまり汗が噴き出る。静之くんの方を見もしないで、手をグイッと彼の方へ押しやった。


だけど――


パシッ


私の両手をいとも簡単に一つにまとめ、静之くんは私を拘束する。自由が利かなくなった私を、更なる羞恥心が襲った。



「や、やめて……放して……ッ」

「えらいウブな反応するな、お前」

「(当たり前じゃない、彼氏がいた事なんてないんだから……!)」



恥ずかしさでワナワナ震える口では、思ったことも言い返せない。だからせめてもの抵抗で、キッと強く睨んだ。だけど、静之くんにとっては、全く効果がなかった。まるで泣きわめく赤ちゃんをあやすように「はいはい」と、私を簡単にソファに押し倒す。


ドサッ



「なッ!?」

「こーなるって、予想しなかった?」



私の耳元に顔を寄せて、囁くように言う静之くん。いつものぶっきらぼうな言い方ではなく、まるで本当に彼女にするような優しい言い方――そんな静之くんを間近で感じ、私の体がどんどん熱を帯びる。



「ムリ……。何もしないって……、今から、約束して……!」

「何もしないって、お前なぁ」



静之くんが「はぁ」とため息をつく。そして、私の顔に出来る限り近づいてくる。唇同士が当たらない、ギリギリの距離。彼の吐息を、目の前に感じた。


静之くんの切れ長の瞳の中には、真っ赤に染まった私が映っている。拘束された両手は頭の上で固定され、私は本当に、あられもない姿になっていた。恥ずかしすぎて、この先どうなるのか不安で――ジワジワと、瞳に涙がたまる。


そんな私を見て、静之くんは少しだけ体を引いた。「やり過ぎた」って気づいてくれたのかな……?


だけど、私の淡い期待は、この後、すぐに打ち砕かれる。静之くんは自分の唇をペロリと、舌なめずりした。


そして――



「その顔、いいな」



まるで獲物を狙うハンターのように、目を爛々と光らせる。そして更に鋭く、私を見つめるのだった――


その後は、散々だった。私を襲いたい静之くんと、静之くんから逃げたい私と。いや、私を襲いたいって……一体どんなギャグ?って思うけど。でも、あの時の静之くんは、確かに私を欲しているようだった。



『澤田、目ぇ瞑れよ』

『い、や……っ』


『まぁいっか。目はどっちでも。瞑らなくてもキス出来るって、お前だって知ってるよな?』

『ッ!』


『お前のファーストキス、俺が貰うから』



静之くんのカッコイイ顔を見ていると……。時々、本当に物欲しそうに歪めた顔を見ると、思わず口走ってしまいそうになる。


イイよ――って。だけど、それをしなかったのは……いや、出来なかったのは、


ブー



いつもの、ブザーの音。

それが鳴ったからだ。


チュンチュン


「……」



朝――無事に迎えられたことが、こんなに嬉しく思う日が来るなんて……。



「あっぶなかった……」



起きたばかりだというのに、この疲れ具合は異常すぎる……。静之くんをずっと押し返していた両腕は、既に筋肉痛だ。



「ってか……」



『お前のファーストキス、俺が貰うから』



なんで私がキス未経験って分かったんだろう……。そりゃ静之くんくらいカッコよかったら、今まで彼女の一人や二人いて当たり前だろうけど。ってか……私に彼氏がいたことないっていうのも、お見通しだったりして。



「静之くんに彼女かぁ……」



どういう人が彼女になるんだろう。それに、結局うやむやになったけど、静之くんが告白したかった相手って誰なんだろう。



「枝垂坂さんみたいな人……なのかな。やっぱり」



モヤッ


胸に少しだけ違和感を覚える。だけど、その違和感の正体に気づかないままの私。「胸やけかな?」と、まだ寝ぼけた頭で、そんな事を考えた。


すると、その時――


自分の机の上にある、小さな本立てが目に入る。そして、その一番端に立ててある、青いノート。それは一般的なノートよりも二回りほど小柄で、小さなものだ。



「これ……なんで買ったんだっけ……」



文房具は好きだ。時折、衝動的に買ったりもする。その時のものかな?覚えてないってことは、買わなくても良かったな。勿体ない事をした。そう思っていた。だけど、ここで、ある考えが浮かぶ。



「そうだ。このノート……もしかして使えるかも」



今、私の頭にあるのは静之くんの顔。勝ち誇ったような顔で私をソファに押し倒した、あの暴君のような彼。ノートを胸に抱き、ギュッと握り締める。そして、



「ちょっとくらい仕返し、してもいいよね?」と呟いた。



私の中で芽吹く反抗心。学校では常にすました顔をする静之くんの、慌てた顔が急に見たくなった。久しぶりに、学校に行くのが楽しみと思えたかも。その証拠に、部屋を出る足取りは軽い。



「……ふふ」



めったに出ない笑顔も、この時ばかりは漏れたのだった。


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