第9話 師匠の変化


「……う、ん……?」


 まぶしい。


 まぶたに眩しさを感じて、目を開く。

 カーテンの隙間から光が射しこみ、それが私の顔に当たっていたらしい。

 その光から逃げるようにゴロンと寝がえりを打つ。


 心地よい温もりを感じて、そこへ頬を寄せた。

 すりすりして、それからハッとする。


 ──この温もりは……。

 

 そおっと顔を上げて、目の前に広がった美麗な顔を見て、思わず悲鳴を上げそうになった。

 ぐっと堪えて、それを我慢する。

 

 そうだ。そうだ。そうだった。


(私、昨晩、師匠と……!)


 もう一度ゆっくりゴロンと転がって、そっと布団から這い出ようとした。

 さすがに、このままお互いに目を覚ましたら、どんな顔をしたらいいのか分からない。


 師匠を起こさないように、立ち上がろうとした──そのとき、腕を強く引っ張られる。

 気づけば私は彼の腕の中に捕らわれていた。


「……私の弟子はどこへ行くのかな?」

「お、起きてたんですか!?」


(まっまだ心の準備が……!)


 師匠の鎖骨の辺りを見て、顔を上げないようにしていたのに、彼は私の顎に手を添えてぐっと持ち上げる。

 じっと瞳を見つめられて、徐々に自分の顔が赤くなっていくのが分かった。


「あ、あああ、あの」

「ふむ。あれだけ出したのに、マナカは影響を受けないのか……」

「ななな、なんですか」

「ちょっと、失礼」


 ──ちゅっ


 師匠からキスされた。

 驚いていると、彼の舌がぬるりと入ってきて、そこから唾液が送り込まれる。


「んっ……んんっ……?」

「マナカ……目を閉じないで」


 目を閉じないの……!?

 えっと、それはこちらの世界流の作法だったりするのかな?

 それともこの国の作法……とか?


「んん……??」


 あ、れ……? 唾液と一緒に、師匠の魔力も流し込まれている?

 じいっと私を見つめる瞳は、仕事をしているときの彼の目だ。

 対象物を観察しているときの──眼差し。


 師匠の唇が離れる。

 しかし、視線は離れない。


「ふむ……やはり、影響を受けないね」

「あの……一体なにを……?」

「ああ。私の魔力量が多いことはお前も知っているだろう?」

「は、はい。それがなにか……?」

「……大抵の人間はね。自分の器以上の魔力を流し込まれると、酔うんだ。吐き気がしたり、酒を飲んで酔った状態になったりと、人によってその症状は様々だが……お前にはそれが全く起こらないようだ」

「そう、なんですか?」

 

 首をこてんと傾げる。

 あ、それってもしかして……。


「私も魔力が多いから……?」

「その可能性が高そうだ。そうか……もしかすると薬を作った後だから、器に受け止めるだけの空きがあったのか……?」


 師匠がアゴに手を当て、ぶつぶつとつぶやきだす。

 私も自分の体の中にある力へと意識を向けた。彼が言ったように、確かに減っていた力が少しだけ戻っている。

 戻っているということは、師匠の魔力を自分がその器に溜めたということかもしれない。


「まさか、こんなところに受け止められる人間がいるなんて……盲点だったよ」

「?? 師匠? どうしたんですか?」

「考えてみれば、私が見つけたんだ。なぜその可能性に気づかなかったのか……」

「あのぉ~……もしもーし」


 私は師匠の目の前で手を振ってみた。彼は特に何も気にすることなく、思考の世界の中にいる。


 ──くぅ。


 お腹が鳴った。慌ててそこを手で押さえる。

 ご飯も食べたいけど、その前にちょっとお風呂へ入りたいかも。


 私はまたそっとベッドから出ようと試みた。──が、腕を掴まれその試みは阻止される。


「どこに行こうとしてるのかな? マナカ」

「え、っと、ちょっとお風呂に。あとお腹も空きましたし……」


 そう言うと師匠がベッドから降りて、私の体を横抱きにする。

 いわゆるお姫様抱っこ。


 そのままスタスタと歩いて部屋の出入り口を目指した。


「えっ? ええっ?」

「……マナカ。体がつらいだろう? いいから、そのまま私に掴まっていなさい」

「ええ……?」

「はぁ。まったく……お前にはいつか好いた男ができて、ここから出て行くと思っていたから、その対象から除外していたのに……これでは手放せないじゃないか」

「……はぁ?」


 師匠はさっきから何を言っているのだろう?

 私に話しかけているようでいて、独り言を言っているようにも思える。


 彼は私の顔を見ると、にっこりと笑う。師匠の顔がいつもの1.5倍増しで輝いていて、その笑顔にどこか嫌な予感めいたものを覚えた。

 

「君の花を散らした責任はしっかり取るよ。ちなみに私は逃がすつもりはないからね」

「……師匠、なにを言っているのか、さっぱり分からないんですけど」

「それはきっとこれから分かるさ」


 お風呂場にたどり着き、私はそっと下ろされた。


「あ、運んでいただきありがとうございました」

「礼には及ばないよ。私も一緒に入るからね」

「いっしょに!?」

「ああっと、そうだ。風呂を出て、ご飯を食べたらお前の部屋へ行こう。きっとマナカのことだから、薬の調合はしっかりメモしてあるのだろう? まずそれを見せなさい」

「調合のメモを見せるのはいいんですけど、師匠……あの、一緒って……!?」


 戸惑っている間に、服がはぎ取られ、浴室へと連れ込まれた。

 師匠も裸で、もう、どこを見ていいのか分からず、私はずっと天井を見上げるしかない。

 真っ赤になって、混乱している間に、丸っと洗われて、ふかふかのタオルで拭きあげられ、また横抱きにかかえられた。

 そのまま自室に連れて行かれ、ベッドにそっと下ろされる。そして、師匠が口を開いた。


「今日の食事は私が作ろう」


 にっこりと微笑むルシード様の顔は心臓に悪い。

 きゅうっと心を鷲掴みにされてしまう。


(もしかして……師匠が私のことを気にしている……?)


 なんだかまだ夢の続きを見ている気分。

 慌てて私は、そんなことあるはずないと頭を振った。


 **


 師匠が料理を作って部屋に戻ってきた。部屋の扉を開けたときから、なんともいえないニオイがこちらに漂ってくる。


「マナカ。どうぞ」


 そう言って師匠が運んできたお皿の上には、緑色にピンク色のものが混ざり合った物体が載っていた。


 ──ごくり。


 この十年間、私は彼が料理をしているところを一度も見たがない。

 そんな人間が生み出した料理は、なにやら摩訶不思議な食べ物になっていた。

 時折、「キシャー」という音がする。そもそもこれは食べ物なんだろうか……?


「……イタダキマス」


 にこにこと微笑むルシード様の顔を見ながら、私は冷や汗を垂らし、今度は胃がきゅうっと鷲掴みされたように痛くなるのだった。

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