第25話
「あれ?」
驚いた。ぼくはいつの間にか、ホテルのロビーにいた。
「システム、直ったのかな」
おそるおそる、歩き出す。
フロントにも、ロビーにも、自分以外には誰も居ない。
まるで、潰れたてのホテルみたいだ。
「すみませーん。誰かいませんかー? 相沢さーん」
囁きながら、どんどんと歩みを進めていく。
いつもここへ来た時には、遊ぶこととか、楽しいことばかりを考えていた。たぶん、そのせいだと思うんだけれど、入っちゃダメ、と書かれているところに入っていきたいという欲は、それを行動に移すほどに膨らんだりはしなかった。
でも、今は違う。今は、知らないことを、知りたいことを知るために、どんなところへでも入っていこうと思える。
「失礼しまーす」
関係者以外立入禁止と書かれた扉に手をかけ、一応断りの言葉を口にしながら、それをゆっくりと開けた。
無機質な、学校の倉庫で見たことがあるような、洒落ていない棚がずらりと並び、段ボール箱が乱雑に詰め込まれているのが見えた。
「入りますね」
一歩ずつ進んでいく。扉がガチャン、と音を立ててしまった瞬間、ぼくは覚悟のレベルをひとつあげた。
もう、後戻りはできない。
「すみませーん。誰かいませんかー?」
囁きながら、奥へ奥へと進む。棚と箱ばかりの世界に突然、可愛らしいネコ足のテーブルが現れた。テーブルの上には、ケトルやティーパックなどが置かれている。どうも、ここは作業途中の休憩スペースらしい。
さらに奥へと進むと、扉が見えた。
「失礼しまーす」
ゆっくりと開けながら、囁く。
扉の向こうを覗き見てみる。ここにも、動くものの反応は――
「……あれ?」
幻聴だろうか。どこかで何かが鳴いているような気がする。いや、この場所で何かが鳴くとしたら、それはおそらく――鍵だ。
この奥に鍵がいるのかもしれない!
ぼくの足は、だんだん速く、床をとらえだした。少しでも早く、誰かの鍵の元へ行きたいと思った。そんな心を、足が見透かしたんだ。
「この奥だ!」
だんだんと鳴き声が大きくなる。だから、ぼくは確信をもって、ひとつの扉のノブを握り、ひねった。
「……え?」
「いや、『え?』と言いたいのはこちらのほうです。夢野さま、どうしてここへ?」
「ああ、いや、ええっと……。どうしてだろう。相沢さんは? もしかして、ずっとこの場所にいるの?」
「いいえ。普段は居ません。しかし、本日はチェックアウトシステムの正常化のために」
「その鍵は、相沢さんの?」
「ええ。まぁ」
「可愛いね。声はみんなのと似ているのに、色が違う。相沢さんは偉い人だから? だから、虹色なの?」
ぼくが見つめたせいだろうか。相沢さんの鍵は、恥ずかしそうに相沢さんの陰に隠れた。
「虹色かどうかは、今はどうでもいいのです。いや、また後日、機会があればお話ししますので。そんなことより」
「そんなことより?」
「どのようにここへ来たのか、教えていただけますか?」
ぼくは、スリープ状態という説明を聞いたところから、相沢さんに今日の出来事を説明した。もしかしたら要らない情報もたくさんあるのかもしれないけれど、ぼくにはどの情報が要らないのか判断できない。だから、全部。覚えていて、伝えられることは全部伝えた。
相沢さんは、ゆるく握った左手を口元に当て、むずかしい顔をしながらぼくの話を聞いていた。
ブツブツと、頭の中に浮かんでいるのだろうことを呟きながら、ぼくの話を最初から最後まで聞いてくれた。
「招待状の記載文言を確認後、枕の下に入れたことがきっかけかもしれませんね。スリープ状態であることも影響しているでしょう」
「こういうことは、はじめてなの?」
「ええ、まぁ。普段は正常にチェックアウトできていましたから。スリープ状態に移行したことなど、私の経験上では一度もありません」
「こういうのってさ、マニュアルみたいなものがあったりするんじゃないの?」
「マニュアルのようなものはありますが、マニュアルに記載されたことを超えた何かが起こることもあるのです。単純に想定漏れであったり、テスト漏れともいえますが。少なくとも、今回のケースについては、私は未知です。どうしたものか」
「ねぇ、この場所は、誰が作ったの?」
「……それを聞いて、あなたはどうしますか?」
突然、相沢さんの言葉が冷たく尖った。これまで聞けば答えてもらえていたからと、同じ調子で問いかけてしまったけれど、誰が作ったかは聞いてはならない問いだったらしい。
「ごめん。知らなくてもいいことだよね。あ、あはは」
笑ってごまかした。いや、厳密にはごまかせてなんかいない。目の前にある二つの眼球は、ぼくに柔らかな視線をくれない。
「両親、なんです」
「あ、あはは、両親……両親?」
「発明家、のようなものでして」
「へぇ、すごい! だから、この世界を作れたんだね」
「発明家だったから、でしょうか」
「ん?」
「私は、学校が嫌いでした」
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