第22話


 浮かび上がったスクリーンに、あれこれと文字が表示されていく。

 相沢さんはそれをちゃんと読んでいるのか不安になるスピードで、ボタンを押して、文字や画面を進めていった。

 隠されるでもないから、ぼくも見る。

 涙は溢れることをやめたから、ぼくの目はそのスクリーンをしっかりと捉えることができた。

 文字がずらずらと四角におおわれながら、上から下に流れるように表示されていく。

 リストだ。何かのリストに違いない。

「これは?」

「強制チェックアウトのリストです。今回の鍵の騒ぎで、多くの方がチェックアウトなさっているようですね。ありがたい」

「ありがたい?」

「ええ。今、私が一番問題だと考えているのは、鍵が戻せるかどうかではありません」

「と、いうと?」

「お友だちのように、強制チェックアウトしてくださると助かります。この場所にもう二度と来られないというだけ。記憶も失う。何ら問題はないのですから。しかし」

「しかし?」

「チェックアウトも強制チェックアウトもせずに朝を迎えてしまった場合――」

「なにか良くないことが?」

「ええ。おそらく、良くないことが起こります」


 手伝えることがあれば手伝いたいと言ったのだけれど、相沢さんに断られてしまった。

 ぼくは「どうにかなるまで待つしかないだろ?」と落ち着いた声で言う、名前を知らない誰かの隣に腰掛けて、本を開いてその時を待った。

 本にはたくさんの文字が詰まっていたから、それを読んでいれば暇になることはないはずだ。

 けれど、ぼくにはその文字が読めるけれど、頭に入ってこない。

 考え事ばかりがグルグルする。

 強制チェックアウトって、結局なんだったんだ?

 相沢さんは、何か閃いたことをすぐに実行してみたくて仕方がない様子で駆けて行ってしまったから、肝心な部分を聞くことができなかった。

 現実のことを考えればいいのか?

 たとえば、お父さんやお母さんのこととか。

 本を読んでいるふりをしながら、現実のことを考える。

 けれど、考えようとすればするほど、ぼくの頭の中にピィピィの幻が飛び回って、ぼくにニッコリ笑いかける。

「どこにいるんだよ……」

 開いた本を枕にするように、ぼくは突っ伏した。

 ぺらっとページを捲る音がする。

 名前を知らない誰かは、ぼくがどんな行動をとろうが動じることなく、本を読み続けているみたいだ。


「いた、いたたた……」

 近くにいた女の子が突然、頭を抱えてうずくまった。

 と、思ったら、その謎の頭痛は、いろんな人に連鎖しだしたようだった。

 あちこちに、頭を抱えてうずくまる子がいる。

「え? 何が起こってるの?」

 隣をちらりと見る。相変わらず本を読んでいる。

 けれど、ときどき眉間にしわが寄った。

 頭を抱えたりはしないけれど、もしかしたら頭が痛いのかもしれない。

「あっ」

 ぼくにも来た。謎の頭痛。

 はじめはチクっとした違和感だった。

 でも、それはだんだんと強くなっていって、すぐにズキンズキンに変わった。

 視界がグルグルする。なんだか、赤とか黄色みたいな、派手な色がチカチカしている気がする。

『大変申し訳ございません。午前六時となりましたが、チェックアウトシステムを正常化することができませんでした。皆さまはこの後、スリープ状態へと移行いたします。チェックアウトが完了しておりませんので、本日夜、お眠りになりましたらこちらにお戻りいただくこととなります。この度は、多大なるご迷惑をおかけし――』

 スピーカーから、相沢さんの声がした。

 相沢さんはまだしゃべり続けているような気がしたけれど、ぼくにはもう、何と言っているのかわからなかった。


 ハッとして瞬きを繰り返す。

 辺りをキョロキョロと見回してみる。

「ぼ、ぼくの部屋だ」

 チェックアウトは出来ていないらしいが、自分の部屋に、現実に帰ってくることはできた。

 ホッとしたのはつかの間、ついさっきまで感じていたような、強烈な頭痛がぼくを襲う。

 ベッドから出たくない。何もしたくない。

 体も頭も心もヘトヘトだ。

 このまま寝ていたい。学校になんて行きたくない。

『コラー! コウジ! おきなさーい!』

 お母さんがうるさい。お母さんの叫び声で、ただでさえ痛い頭が、より一層に痛くなる。

 ドンドンドン、と乱暴なノックの音のあとすぐ、返事をする間もなく、扉は開かれた。

「コラ! 何時だと思ってるの! 早くしないと遅れるわよ!」

「んー」

「んー、じゃなくて! ……って、調子悪いの?」

 お母さんの心配センサーが反応したみたいだ。

 こういう、本当に調子が悪い時には、反応してもらえるとありがたい。

「あたまいたい」

「ええ? 昨日夜更かし……してないよね。だって、早起きするからって早く寝たんだし。え? もしかして、早起きするって言ってたの、嘘だったの? 調子が悪かったから早く寝たの?」

「んー」

「学校は? 無理そう?」

「んー」

「病院は? 行ったほうがいいやつ?」

「んー」

 曖昧な返事を、お母さんがどういうふうにとらえたのかはわからない。

 わからないけれど、ぼくの調子が悪いのは本当だと、信じてくれたみたいだ。

「とりあえず、寝てなさい。あとで食べやすいもの作ってあげる。とりあえず、タイチくんの家に行ってくるわ。約束、してたんでしょ?」

 約束をしていたのは確かだけれど、相沢さんが言った通りになっていたとしたら。

 強制チェックアウトしたために、ぼくらが秘密基地として出入りしていたホテルのことをすっかりさっぱり忘れていたとしたら。

 あの約束って、今はどうなっているんだろう。無くなっているんじゃないか? 話に行くだけ、無駄なんじゃないか?

「んー」

 考えれば考えるほどに、頭が痛い。

 ぼくはお母さんに「お願い」とも「いかなくてもいいよ」とも言わず、掛布団を頭のてっぺんまで被った。



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