第12話


 学校から帰ると、ランドセルを背負ったまま、部屋まで一直線。

『コラー! 手を洗いなさい!』

 キッチンかリビングにいるだろうお母さんが叫んだ。

 まったく。お母さんの頭は、ありもしない監視カメラにでも繋がっているんだろうか。

 見てもいないくせに、さぼったことに対する指摘をきっちりと飛ばしてくる。

 ランドセルを放り投げて、洗面所へ急いで、適当に手を洗って、再び部屋へ向かった。

『コラー! 宿題を』

「今からするー!」

『やってから……って、今からするんだ。あ、そう』

「うん。頑張る」

 ぼくには見えてはいないけれど、お母さんは今、不思議そうな顔をしている気がした。

 宿題は、もちろんする。するけれど、その前にしないといけないことがひとつある。

 招待状の確認だ。

 もう午後三時を過ぎている。

 もうチェックイン時間が決まったかもしれない。

「八時とか言わないよね。言わないでよ?」

 遅い分にはいいけれど、普段より早い時間を指定されたら困る。だって、大人にはナイショにしないといけないんだから。大人の頭に不思議を渦巻かせたら最後、お母さんのセンサーが反応して、ナイショにしていられなくなることなんて目に見えている。

 封筒から板を引き抜いた。

 光に透かす。

 朝見たまんま。チェックアウトに関することが書いてある。まだ、チェックイン時間が決まっていないのか。

 傾けてみたり、裏返してみたり。もっと光を当てた方がいいのかな、なんて考えて、窓の近くでそれをヒラヒラさせてみたり。

「いつになったらわかるんだろう」

 ひとりごちて、もう一度板に目をやった。

「……うわっ!」

 文字が溶けるように消えていって、新しい文字がどんどんと浮かび上がってくることに驚いて、思わず叫んでしまった。

 足音が聞こえる。

『コウジ、どうかした? 学校に宿題わすれてきた?』

「え? あ、いや……。でっかい蜘蛛がいたから驚いただけ。もう外に逃がしたからヘーキ」

『ええ、外に逃がしたってことは、近くにいるってこと? やだなぁ』

 ぶつくさ言う声が、足音が、どんどんと小さくなっていく。

「はぁ……」

 また嘘をついちゃったけれど、なんとかバレずに済んだ。

 ぼくは、心臓や肺を落ち着かせながら、再び板に目をうつした。

「いろいろよかったぁ」

 今晩のチェックインは、午後十時半らしい。

 いつも通りにベッドに入って、いつも通りに眠れば、問題なく間に合う。それに、いつも通りだから、不審がられることもないだろう。

 とはいえ、本当にまた、あの場所へ行けるんだろうか。

 秘密基地のことばかりを考えながら、宿題をやった。

 宿題に集中できたとは思えない。けれど、宿題にかかる時間は、不思議と大差なかった。

 さっさと終わらせて、おやつを食べて、遊びに出かける。

 なんだか、「宿題面倒だな~」なんて逃げながらやる時と比べて、時間に余裕がある気がする。

 自由だ。とらわれてなんかない。ぼくは今、すべきことをきちんとやりながらも、とても自由に生きているような気がする。


 ワクワクした気持ちをきちんと隠しきることができるほど、ぼくは器用じゃない。

 ご飯を食べたり、お風呂から出て、動画を見たり、ゲームをしているとき、お母さんは「なんかいいことでもあったの?」ってぼくにきいた。

「んー? 別に?」

「そう?」

 不思議そうにぼくをみる。けれど、その理由を知ろうとまではしてこない。

 しょげたりしていたら、知ろうとしたのかもしれない。でも、ぼくがゴキゲンだから、知る必要はないと判断したのかもしれない。

「おやすみなさーい」

「おやすみ、コウジ」

 いつも通りの時間に、だけど「まだゲームしたい」とか文句を言わずに、自分の部屋へ向かった。

 招待状を確認する。

 もう昼の光はないけれど、昼の光が印字してくれた文字はまだここにある。

「よーし、眠るぞ!」

 気合を入れて、目を閉じる。

 そう言えば、昨日もこんな感じだったような気がする。

 寝ようとしていない時はすぐに眠れるのに、寝ようとするとなぜだか眠れない。

 また、羊を数える。ひたすらに、瞼の裏に、羊がジャンプする様を描く。

 たくさんの羊を数えているうち、羊がぼやけてきた。だんだん、パチパチと白が瞬く黒い闇に呑み込まれる。

 騒がしいような音が頭の中に響きだした。

 まだ、目の前は暗い。

『おい、コウジ』

 呼ばれた。声の主は――タイチだ。

 なんだか重い気がする瞼に力を込めて開ける。目の前に広がっていたのは、昨晩と同じ光景だった。

「んー」

「なんだ? 寝ぼけてるのか?」

 寝ぼけてるとは? そもそも、今は寝ているんじゃないのか?

 そういえば今朝、目覚めた後、少しも疲れを感じなかったことを思い出す。

 これだけ色々なことがあったっていうのに、ちゃんと休めているだなんて。

 なんて夢のような世界なんだろう。

 いや、夢なんだと思うけれど。



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