第10話


 ピィピィが、1616号室の前で急に、ぼくの髪の毛を放した。ここが、ピィピィが開けられる部屋ってことなのだろうか。

「ねぇ、ピィピィ」

「ピ、ピピピピピィッ!」

 呪文でも唱えるみたいに、目を瞑って、両手をかかげながら、大袈裟に言った。なんか、変なの。ぼくはその様を、ちょっと呆れながら見ていた。

 けれど、次の瞬間、呆れがどこかへ吹っ飛んでいった。

 ピピピピピィッって言っただけで、鍵が開く音がしたからだ。それだけじゃない。扉が薄く開いた。勝手に!

「ピィピィが開けたの?」

「ピッピィ!」

 ぼくの脳みそは、ピィピィが胸を張りながらそう言ったからかもしれないけれど、ピィピィの言葉を「えっへん」に変換した。

「し、しつれいしまーす」

 この部屋は、自分に割り当てられた部屋だ。だから、断りながら入る必要なんて、たぶんない。

 でも、なんとなく、自分の部屋とか入り慣れた教室みたいにズカズカと進んでいく気にはなれなかった。

 足音を立てないように、そろりそろりと進む。

「わぁ……」

 自分の部屋よりきれいで広い。映画で観る、セットの部屋みたいって思う。大きな鏡に向かいあうように、テーブルと椅子がある。

 ここへ来た時に使った羽根ペンが、ここにもあった。あとは、メモ帳。

 勉強しろっていう感じはしない。ちょっとメモしたいときに使えるようにって配慮で置かれているのだろう。

 ベッドのサイズは、自分が普段使っているものの倍……とまではいかないけれど、なんだか横幅が広く感じる。

 ほとんど天井から垂らされているんじゃないかってくらい縦に長くて、部屋の一辺をすべて覆うように端から端まであるカーテンを開けてみる。

 窓の向こうには、色とりどりの花が咲く、庭園があった。

 そこには、幾人かの子どもがいる。

 窓を開けて、声をかけてみようと思って、鍵を探す。けれど、そんなものは見つからない。

 当たり前といえば、当たり前なのかもしれない。

 だって、よくよく見ればこれは、一枚の大きな窓ガラスが嵌められているだけ――たしか、こういう仕組みのことを〝はめ殺し〟っていった気がする――で、たぶん開けられないようになっているから。

 まるで、水族館の水槽みたいだ、と、ぼくは思う。どちらが水槽の中で、どちらが外なのかまでは、想像が至っていないけれど。

「ピィ、ピィ!」

 ぼーっと庭園を眺めていたら、ピィピィが鳴きだした。

 ピィピィのほうに目をやると、ベッドの掛布団をよいしょ、よいしょとめくっているところだった。

 小さい羽をうんと激しくはばたかせている。

 大変そうだな、って思って、ぼくはいっしょに掛布団をめくることにした。それは、思った通りに軽かった。

 ピィピィがすごく頑張っているから、もしかしたら重いのかも? って少しだけ考えたんだけど。

 ピィピィは体が小さいから、その分力が弱いってことなのだろう。ぼくが感じる重みと、ピィピィが感じる重みが似たようなものだって知ることができて、なんだか変に不思議な気分。もっと、魔力的なものが存在してもいい空間なのにって、ちょっと残念な気分。

「ピ、ピピィ」

「入れってこと?」

「ピィ!」

 ピィピィに指示されるがままに、ぼくはベッドに寝転んで、掛布団をかぶった。

 と、ぼくの頭は、疑問でいっぱいになった。

 ぼくは、チェックアウトをしなければならなかったんじゃなかったか?

 なーに呑気に眠ろうとしているんだ?

「ピィピィ。ぼく、眠りたいんじゃなくて、チェックアウトがしたいんだけど」

 ぼくの顔と天井の間を、ピィピィがクルクル飛び回っている。

 ぼくの言葉は、届いているんだろうか。返事はない。

 これまでずっとうるさかったのに。急に黙るなんて。返事をしてくれないなんて。

「ねぇ、ピィ……」

 あれ、おかしいなぁ。目の前が、ぐわんぐわんする。しゃべろうとしているつもりなのに、うまくしゃべれない。

 ピィピィは今も、クルクル飛び回っている。

 ぼくの視界は、どんどん暗くなっていった。しばらくしたら、ピィピィの姿を含め、何もかも見えなくなった。



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