第5話


「ねぇ、これ、鍵? ぼくが知ってる鍵とはずいぶん違うんだけど」

「ピピィッ?」

「うわっ! やめてってば! 叩かないで!」

 止んだはずの拳の雨が、また降ってくる。今度は拳だけじゃ満足できないらしい。足も飛んでくるし、耳も飛んでくる。

「ピ」

「ありがとう、ピ太郎」

 ぼくと鍵の喧嘩を止めに入ってくれたタイチの鍵を、タイチは〝ピ太郎〟と呼んだ。

「ピ、ピ太郎?」

 ピ太郎が胸を張る。

「そう。コイツの名前。ピィピィ鳴く鍵が多いんだけど、コイツは『ピ』って言うからピ太郎。な、ピ太郎」

「ピピ」

 ピ太郎がニッて笑った。この関係になるまでにどのくらいの時間がかかったのか、ぼくにはわからない。ぼくにわかるのは、少なくともぼくはぼくの鍵とすぐには、タイチたちのような関係にはなれそうにないってこと。

「お前も名前、付けてやったら?」

「え? ああ、うん」

 ぼくは、ぼくの鍵をまたじーっと見た。

 鍵はじーっと見られて居心地が悪くなったのか、落ち着きなく飛びまわり始めた。

 動きに合わせて、ぼくも視線を動かす。小さい羽を一生懸命にパタパタさせて、あちこちへ行くから、目で追いながらぼくはちょっと酔いかけた。

「ああ、目が回る……」

「ハッハッハ! なんだよ、〝目が回る〟って」

 タイチがお腹を抱えて笑うと、鍵は自分の名前が〝目が回る〟になったと勘違いをしたのか、またまたぼくのことを叩き始めた!

「ピィ! ピピィッ!」

「ああ、もう! やめてってば! ピィピィピィピィ!」

 鍵を振り払うように手を動かしながら叫んだ。そうしたら、急に鍵が大人しくなった。振り払おうとはしたけれど、叩こうとしたわけじゃない。それに、鍵はバカに機敏だから、逃げ回られてかすりもしなかった。だから、ぼくが乱暴に手を動かしたからそうなったってわけじゃ、ないと思うんだけど。

「ピィ?」

 今までは、ぼくが鍵をじーっと見ていた。だけど、こんどは鍵にぼくがじーっと見られた。

「え、どうしたの?」

「コイツ、自分の名前がピィピィピィピィになったと思ってるんじゃないか?」

「ピ」

「え?」

 ぼくは鍵をじーっと見つめ返した。さっきよりも憎たらしくない気がする。けれど、だんだん眉間にしわが寄っていくあたり、やっぱりこの鍵は揺らがない。鍵には鍵の意思がある。確固たる、芯がある。

「ピィピィ」

「ん?」

「ピィピィ!」

「えっと?」

「ピィーッ!」

 今度は髪の毛を引っ張られた。鍵の羽がもっと大きなものだったら、ぼくは浮かび上がっていたのかもしれないし、髪の毛をぜんぶ引き抜かれたのかもしれない。ちょっと引っ張られた程度の、ツンツンとした感覚だけで済んだのは、あの頑張り屋な小さな羽のおかげだ。

「ピピ、ピピピ」

「あー」

 タイチとピ太郎の中で、なにか共通認識が生まれたらしい。こっちが大変な思いをしているっていうのに、呑気にニッコリ笑ってハイタッチしている。

「コウジ、コイツ、ピィピィがいいみたいだぞ?」

「え? ピィピィ?」

 突然、頭からツンツンした感覚がなくなった。すこしピリピリ痛くて、頭をさすっていたら、

「イエーイ、ピィピィ!」

 タイチとピ太郎とピィピィが、ハイタッチし始めた。なんだか急に、仲間外れにされた気分。というか、鍵改めピィピィは、ぼくのものだ。他の誰かと仲良くするのはかまわないけれど、ぼくが除け者にされることについては許せない!

 ピィピィに文句を言ってやる!

「ちょっと!」

「ピピィ?」

 勢いで怒ってみたけれど、怒りが勢いを無くして、行き場もなくして、宙ぶらりんになる。

 名前が決まってから見たピィピィの顔から、憎たらしさがだいぶ減っていた。

 ただ、名前が欲しくて仕方がなくて、名前を付けてもらうために必死だったのかも……なんて思ったら、怒りをぶつけることなんてできなくなった。

「それじゃ、行こうぜ!」

「ピ!」

「ピピィ!」

 タイチがホテルの中を走り始める。

 そんなタイチを、ピ太郎とピィピィが小さな羽をパタパタさせながら追いかける。

 ホテルの中って、走っていいんだっけ?

 そんなことをバカみたいに真面目に考えているうちに、タイチと鍵たちの背中はどんどんと小さくなっていく。

「やば、おいていかれちゃう。待って、待ってよ!」

 ぼくはあれこれ考えるのをやめて、ホテルの中を必死に走り始めた。



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