結局のところ、今ここで何のために生きているのかということ。
ネムノキ
無題
時期外れの帰省をしていた。
夏の気配は遠のき、次第に足元から冷気が流れ込んでくる。気が付けば足の指先は青く、かじかみ、私の嫌いな冬の気配がそこらじゅうに蔓延っていた。
やりたいことがあった。
それは夏に出来たことだった。
やりたいことが、形を成した夏だった。
親の車を一週間のあいだ、ずっと走らせて、故郷の道路のほとんど全てを走りつくした。その間に付けていた初心者マークはすっかり埃にまみれて、黒ずんでいる。
運転は私を遠くまで連れていってくれた。物理的な距離において。
早朝の空に浮かぶオリオン座を見て、私は自ら知る星座を乏しさを知った。三日月ほどの細く、湾曲した月の隣にある明るい星が、日ごとお互いに離れていくことを知った。漁港の堤防でタコ釣りをしている奥さんの存在を知った。朝焼けの空に、延ばされた秋雲の下を羽ばたいている海鳥の存在を知った。
見ることの意味を知ったような気がする。それらは全て新しいように見えて、どこか想像のできる範疇にあるようでもあって。確かなことは、今ここに私が居なければ、それを見ることはなかったということ。
日々のなかで何を見るか。何を見ないか。何を想像するか。何を想像しないか。これらは全て選択の類なのかもしれない。感じること、感じることの難しい、日々のなかに潜む、密かで大切で、かけがえのない、人生の選択なのかもしれない。
そういう意味で、私はいつもとは異なる選択をしていた、ということになるのだろう。夏に出来た「やりたいこと」をどうしてもやりたくて、たまらなくなった。
やりたいこと、のもつ力を初めて私は知ったのかもしれない。それは行動の源になる。
それは当たり前のようで、少しも当たり前じゃないこと。それを知っていることと、体験していること、そのような隔たりをもつ、微妙で、それでいて雲泥の差を含有していると私は感じる。
結局は、こうして書いてきたことも、「経験の大切さ」という言葉の、表面的な外観において共有可能な形で記号化されてしまうのだろう。経験の大切さという言葉の外堀の深さを私は知った。知識と経験の間にあるエネルギー的な解離を感じる。おそらくは、そのエネルギー的解離を飛び越えるための努力というものが、ある意味での正しい努力ということになるのだろうか。
時は過ぎ去っていく。
後ろにも前にも、遠く遠く。薄れていく、霞んでいる私たちの姿がある。
今の私。
夏に出来たやりたいことをやりつくした私。
私はいま、どうしてここにいて、何のために生きているのか。
たまにわからなくなる。
やりたいこと、やらなくちゃいけないこと、やったほうがいいこと、いろんな「やること」がぐちゃぐちゃになって、私が無茶苦茶になってしまうときがある。
失ったものが多すぎたとは感じている。そして、そこから立ち上がるための「やりたいこと」ベースの生き方を今まではしてきたと思っている。
生き方というものには正解はないのかもしれない。正解と言われているものは、特定の立場における代物で、絶対的なものでは少しもない。ただ、そこには非常に人間的な幸福になるための特効薬が含まれている。何かを犠牲にすることで得られる麻薬のような、何か。
トレードオフ。
何かを得れば、何かがすり減る。
物理法則のように完璧ではなく、不完全に、それらは感情、意識のもとで執り行われる。
選択。
私はこれから、それについて考えていく機会が増えるだろう。やりたいことをやったという選択。そして次に何をするのかという選択を控える私。
結果についての個人的な解釈を行う回数は選択をするうえでも重要だとは思う。今の私の時点における結果論の修正が、今の自分を作っているのだとすれば、それは少しも慣れてしまっては駄目だと感じている。常に新鮮に、異なる自我として対峙するくらいの、フレッシュさを、日々のなかで持って生きたい。
おそらく私は、常に私ではないのだろう。自分が自分であるという一貫性は、社会性のなかで強く求められる一つの道具にすぎない。そのくらいの感覚でいたい。
やりたいこと、やるべきこと。そんなこと生きていればコロコロと変わっていく。価値観が変われば、それはもう、私ではない。そのくらいの認識。
そうでないと、私は私のための行動を起こせないと、いま強く思う。
牢獄がある。
多くを失ってしまったあの牢獄がある。
これは私たちにしか分からない牢獄だ。
常にここにある牢獄だ。過ぎ去った牢獄が残した、ここに死ぬまである牢獄。
私たちはそういった強力な「私」であり続けようとする、様々な力から抗うべきだと思う。
私が私でなくなるために。
その生の連続において生きるために。
結局のところ、今ここで何のために生きているのかということ。 ネムノキ @nemunoki7
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