第29話:もし君が君でなくなっても

 大樹の中は巨大な巣となっていた。

 その奥に、酷く疲れた様子で──赤い羽根の女王は座り込んでいる。


「……やっぱり、来たのですね……!! 知らない方も居ますが……」

「参ったな。こりゃあ見れば見る程ルカ君だ……配信に乗せられないよ。なんでこんな事になっちまったんだい」


 腕は翼。全身も羽毛に覆われてはいる。

 半人半鳥の美女・ハーピィを思わせる姿だ。

 だけど──顔は、まさにルカそのもので、髪も顔もそのままだ。


「……ブン殴ってでも連れ帰りに来たぜ、ルカ。いや、此処ではミューって呼ぶべきなのか」

「……ラムザが何をしたのかは分かりました。ですが……私とて、目覚めた以上は……役目を果たさなければ」

「役目か。随分とつまらないものに囚われてるんだな。自由を誰よりも愛するって聞いてたけど」

「もう私の周りには、私の知っていたものは何も無い。それならば、私は──せめて、”王”として。システムとして。役目を全うしなければ」

「なんか辛気臭い話してるなあ。ひょっとして僕、場違い?」


 かもしれない。

 だけど──今は一緒に戦ってほしい。

 王は強敵だ。俺の力だけで勝てるとは思えない。


「ま、御託は良いんだけどさ? 君、本当に僕ら見て何も覚えてないし感じない訳? なあッ!!」

「ルカ──そうですか。それがこの身体の名前ですか。でも残念。生憎──本当に何も覚えていないんです」

「今のお前は、何処までいってもミューみたいだな……!!」

「……あんなに僕達の脳を焼いておいて……全部すっかり忘れる? そんなの許されるわけないよねえ!!」


 俺がハンマーを構え、イデアが魔筆を振るう。

 たちまち、地面からは巨大な東洋龍が現れるのだった。


「応龍!! 君の出番だッ!! メグル君、乗ってくれ!!」

「ああ!!」


 咆哮する龍。

 その上に俺は飛び乗り、ハンマーを構えた。

 一方のミューは羽根を広げて羽ばたき、空へと逃げていく。


「待てェェェーッ!!」

「……悪いけど、貴方達に付き合っている時間はあまりにも勿体ないですので」

「何だと!? それならさっさとルカを返せ!!」

「……返そうと思って返せるものではありません!! お引き取り下さい──”かき乱す大嵐ロックン・ローリング・ストーム”!!」


 凄まじい勢いの竜巻だ。

 龍は勿論、乗っていた俺も巻き上げられてしまう。

 だが、流石にそこは東洋龍。嵐を食い破って俺を口で咥えると、あっさりと竜巻の中から脱してみせるのだった。

 そして、ぺっと俺を吐き出したかと思えば、長い胴体で落ちる俺を受け止める。


「サンキュー、応龍!!」


 そのまま応龍は灼熱の炎を吐き出してミューに吹きかけるが──


「──くどいッ!!」


 ──炎はあっさりと風の防壁によって遮られてしまうのだった。


「くそ、ダメか……!! こいつ、風の技なら何でも使えるのか……!!」

「脆弱で小さな人間たち……風の前では塵のように飛ぶだけ!! ”かき鳴らす大風ローリング・ストーム”!!」


 ──翼を大きく羽ばたかせ、空から幾つもの竜巻を呼び寄せるのだった。

 天候は荒れ狂い、雷が、そして激しい雨が俺達を叩きつけ続け、そして巻き上げる。

 駄目だ。風が強すぎて、龍がこれ以上進めない──ッ!!

 

「その怪物は倒すのに手間が掛かりそうですが──」


 ギロリ、とミューの視線が地上に向いた。

 不味い──まさか狙いは──


「そこにいる慮外者め。貴方を斃したらこの龍は消えるのではないですか?」


 ──ミューの翼の先に空気が圧縮されていく。

 全ての風の流れが、彼女の手に集まっている──!!


「あれ? ヤバイ? もしかしてヤバイ奴かな──ッ!?」

「……とっておきです。”十字砲火・気圧爆弾クロスファイヤー・ハリケーン”ッ!!」


 稲光を帯びた空気の弾。

 それがイデアの方目掛けて飛んで行く。

 間もなく、凄まじい爆発音が響き渡り、遅れて応龍の体も消え失せた。

 当然支えも何も失った俺は落ちるしかないわけで──


「って、どわあああああああああ!?」


 ──墜落。

 だが、幸いな事にデルタのスキルのおかげで即死は免れた。

 落ちる瞬間に”反重力”を発動し、衝突の勢いを和らげたのだ。

 

「イ、イデア……!!」


 だが問題は、肝心のイデアであった。

 今の技がどんなものだったかは分からない。

 だが、地面に突っ伏したまま気絶してしまっている。


「おい、起きてくれ……頼む……!!」


 揺さぶるが返事が無い。

 駄目だ、息はあるが起きない……!!

 どうする? 

 これじゃあそもそも空に──あいつのステージで戦えない。

 ……いや、待てよ。1つだけ方法があるじゃないか。


 



「ウッソだろオイ……最悪だろそれは……」




 だが、その方法を考えた瞬間、俺は絶望した。

 今俺が空を飛ぶにはイデアのスキルをコピーするしかない。

 あのクソデカい応龍を描くのは正直言って無理だが……羽根を描いて自分で飛ぶことも出来るって言ってたような。

 しかし。しかし──ッ!!


「本当に、やるしかねえのか……!?」

 

 スキルのコピーには粘膜接触が必要になる。

 最低でも──キスはしなければならない。

 や、野郎と……野郎とキス……!!

 よりによってイデアと!! 寝ているこいつに、キス──!?

 最悪だ!! 俺はノーマルなのに!!


 ごくり


 自分のやろうとしている事を考えただけで身の毛がよだつ。

 多分、終わった後には激しく死にたくなると思う。イデアには申し訳ないが、実際それくらいの事をしようと思っている。

 ッ……四の五の言っている場合じゃねー!!

 手段を選んでる場合じゃねー!!

 やるしかない。やるしかないんだ。いや、マジで正直やりたくないけど──


「うおおおおおおおおッ!!」


 ──数秒後。

 俺は──地面に思いっきり手を突いていた。

 自分のやった事に対して、多分絶望していたんだと思う。

 だけど、スキルはちゃんとコピーできたみたいだ。

 はは……死にたい。

 

「はぁはぁ、はぁ……!! やった、やってやったぞ……!! ぐすっ、ぐすっ、ぐすっ」


 ──だがもう、こうなったらヤケだ。


「魔筆……魔筆はどっかないのか……!?」


 ガサゴソと俺はイデアの服を漁っていく。

 あ、あった! 予備の魔筆! やっぱり用意が良いんじゃないか!

 ……寝ている男に無理矢理キスして、その身ぐるみを漁って武器を奪う。

 やっていることは完全に最悪だ。最悪なのだが、もうこれしか方法が無い。


「……頼む頼むぞ、出てくれよ……!! よしっ、墨が出る……!!」


 あいつがやってたように、羽根を地面に描いて……よし、出来た。

 地面から黒い羽根が出てきて、俺の背中から生えていく。

 そして、俺の思った通りに羽根が動く──!!


「っし……これじゃあ終わらねえぞミュー……!! 待ってやがれ!!」


 唇を袖で拭い、俺は空へと飛び立つのだった。

 速い。凄い速度で羽根が羽ばたいている。これなら──悠然と飛んでいるだけのミューにはすぐにでも追いつく。

 

「ッ……嘘でしょう!? まだ追いかけてくるつもり!? 貴方も空を飛べたんですか!?」

「悪いな!! 人間は皆、空も飛べるんだよ!!」


 ……本来なら飛行機に乗れば、という枕詞が付くけどな!!

 

「ッ……人間、人間人間!! 恐るべき生き物……!! 鳥の領域たる空まで侵すとは……不愉快で虫唾が走りますッ!!」

「生憎俺にも諦められない理由があるんでな──ッ!!」

「何故!? 何故そこまでして執心するの!?」

「お前がサンの事が大事だったように!! 俺も──ルカの事が大事なんだよッ!! 一緒に夢を追いかけてくれる、パートナーなんだッ!!」

「パートナー……ッ」


 そうだ、始まりは一夜の過ちだったけども。

 俺があいつに夢を語って、そしてあいつが俺に夢を語って──それで始まった関係なんだ。

 俺はルカの夢に相乗りするんだ。今更──降りようだなんて考えてない!!

 だから俺は、絶対にルカを諦めたりなんかしない!!

 

「だから悪い、譲れねえんだ……!! 俺も、ルカを諦められない……!!」

「……貴方のそういう真っ直ぐな所、サンに似ていて、とてもキライです……!!」


 全身の羽根を硬化させるミュー。

 大竜巻を起こし、その中に自らの羽根の混ぜ、一気に吹き荒れさせる。


「──荒れなさい──”台風の目ハリケーン・ホウィールズ”!!」


 ──凄まじい勢いで竜巻が俺の方に飛んだ。

 急いで翼を羽ばたかせて飛ぼうとするが、徐々に体は竜巻の方へ引きずり込まれていく。


「風を巻き起こすのは私の力……!! 更に私の硬化した羽根も混ぜ込んだ!! 巻き込まれたら一気にズタズタですッ!!」

「そ、それなら──!!」


 俺は魔筆を振るう。

 なんか強そうなもの!! 強そうなもの!!

 そう思って、イデアがやっていたように空に向かって絵筆を振るうが、何も墨が出て来ない。

 そういえば……イデアの奴が言っていた気がする。一気に出せる墨には限りがあって、強力なものを複数出す事は出来ないって──


「くっそぉぉぉぉ!?」


 俺の身体は竜巻に吸い込まれ、巻き上げられる。

 そして、硬化した羽根が次々に俺の身体を切り裂いていく。

 竜巻は間もなく止んだが──意識も絶え絶え。

 全身は切り傷塗れだ。

 何で死んでないんだろうな。

 超人化の恩恵か、それともミューが本調子ではないからか。

 辛うじて羽根は羽ばたいているが……此処までの連戦に次ぐ連戦で、俺の身体にももう疲労が溜まってしまっている。


「そこまで……そこまでして戦う理由は? 貴方、死にますよ? このままだと……!!」

「……思い出せ」

「うん……?」

「思い出せルカ!! お前の中にミューが居たなら、ミューの中にもお前が居るんだろう!! 俺の声が聞こえているか、ルカ!!」

「ッ……いまさら何を……!!」


 俺は──ミューの目を真っ直ぐ見て叫び続ける。


「最初は最悪だったよな!! お前がバカスカ酒を飲ませた所為で、二人共酔っぱらって……ホテルで朝チュンだ、死にたくなったぜ!!」

「えっ、ウソでしょう? 貴方達何やっているんですか本当に──いや、私は何を聞かされているんですか!?」

「……でもよぉ、それで俺にスキルが目覚めて、お前が俺に配信の話持ちかけてきて……俺もそれに乗っかったんだ……!!」


 今となっちゃ、人型の竜どころかハチに鳥まで見てるんだ。

 あの頃じゃあ考えられない。

 ダンジョン攻略すら出来ず、上層で魔鉱石ばっかり掘っていたあの頃の俺とは……大違いだ。


「なあルカ。お前はずっと責任を感じてるかもしれねーけど、俺はお前以外のパートナーなんて考えられねーよ……!」

「ッ……」

「俺の冒険は、お前にこそ見ていてほしいんだ……!! そして、お前が夢を叶える所を、俺はこの眼で見たいんだ……!!」


 だから、頼む。

 戻ってきてくれ、ルカ。


「お前が居なくなるなんて、今更無理だよ、耐えられねえ!!」

「ッ……戦う気力がなくなったからと言って!! この手で喉を貫いて差し上げますッ!!」


 迫りくるミュー。

 鳥王の脚の鉤爪と、ウォーハンマーがせめぎ合う──!!


ッ!!」

「ッ……私は鳥王!! 鳥王・ミューです!!」

ッ!!」

「私の中にいる小娘を引きずり出せるというのなら、引きずり出してみせるが良いッ!!」


 だが、これでいい!!

 目が合った!! 

 ミューも、俺の目を見ている!!

 もし俺のスキルが、ラムザと同じものをコピー出来ているなら、これで──あいつの中に干渉出来る!!


ッ!!」

「ッ……そ、その目の光──ラムザの──しかし、そんなスキル、私には効かない!! 只の人間である貴方が!! 王である私に、精神干渉が出来る訳が──無いんですよッ!!」


 ハンマーが弾かれ、強烈な蹴りが襲い掛かる。

 血の味がした。

 だけど──諦めないッ!!


「只の人間じゃねえよ──俺は……竜王から宝を預かった……竜王の血を継ぐ者だッ!!」

「ッ……!?」


 もう一度態勢を立て直し、ミューに組みかかる──ッ!!


「俺は、この世界の未知を解き明かす!! ダンジョンの果てにあるものを見に行く!! その時、お前が目撃者になってくれる!! 違うか!?」

「ッ……どんなに怒鳴っても、貴方の声は届きませんッ!!」

「だから──ッ!! 戻って来い、ルカ!! !!」

「そんなことを……そういう、こと……!!」


 ミューの目が──赤く光った。

 スキルが──効いたッ!!




「飲んだくれのロクでなしで、麻雀好きで……でもすっごく強くて──頼れる、俺と夢を一緒に追ってくれる──パートナーだッ!!」




 ふらり、と崩れ落ちたミューの体から羽毛が消えていく。

 彼女から飛ぶための力が失われたことを示していた。


「おにーさん……うぐッ!?」

「ッ……!? ルカ!?」

「ッ……ああ。うぐ、今のは──」


 おにーさん──今、確かに「おにーさん」って言ったか……ルカ……?


「ルカ──聞こえてるのか、ルカ……?」

「バカな。そんなはずはありません……何で……意識が……戻っているというの……!!」

「ルカッ!!」

「ッ……有り得ないッ!! 十字砲火・気圧爆弾クロスファイヤー・ハリケーン──ッ!!」


 しかし。

 もう、風が吹き荒れる事も、空気が圧縮されることも無かった。


「……は、ははっ。根負けです。まさか、同じ王の力を持つ者同士ならば、スキルが効くなんて……」

「ッ……そうみてーだな。サンからの借り物だ」

「いいえ、貴方の執念の勝ち、ですよ」


 俺はハンマーを背中に背負い、彼女の身体を抱き留める。

 

「……悪い。俺には……どうしても、ルカが必要なんだ」

「いいえ。これでいい。これで良いんです。分かっていましたから」

「……託されちまったからな。サンに……あいつの宝物を」


 その意味が、今なら分かる。

 サンは俺に託したんだ。だから満足して消えたんだ。

 あいつの大事な宝物だったミュー……その生まれ変わりであるルカを見届けて。


「俺のパートナーはお前じゃなくて、ルカだから……ごめん……」

「大丈夫。私が一番愛しているのも……サンです。それに今回の件は、ラムザが起こした事……貴方への恨みはありません」

「……そうか」

「でも1つだけ……私からも最後にワガママを言わせてください」

「何だ?」

「……ラムザをどうか……許して、あげて……? きっと……あの子も本当は分かっているはずだから……」


 ミューの目が閉じ、羽毛が抜け落ちていく。

 そうして、何も残らない生まれたままの姿になった彼女を俺は抱き留め──呼びかけた。


「ルカ」

「……」

「ルカッ!! ルカッ!!」

「……ぅうあ」


 ぴくり、とルカの身体が動いた。

 



「おにーさん……私、どうなって……?」

「ルカッ!! 元に戻ったんだな!!」




 思わず俺は彼女を抱きしめていた。

 ぱちり、とルカの目が開かれる。

 

「ッ……う、あ、え!? な、何で!? おにーさん!? 此処は一体──」

「どわぁ、暴れるな!! 落としちまうだろ!?」

「落とすって──ヒッ」


 ルカは──下を見て全てを察する。

 高度数百メートル。下は山岳地帯だ。


「ほぎゃーっ!? 何で飛んでいるんですか、私達ーッ!? し、しかも寒ッ!! 私何も着ていない!?」

「えーと、全部説明するから……」

「ッ……絶対落とさないで下さいね!?」


 ……分かってる。

 そんなの返事は決まっている。



 

「──もう離さねえ。しっかり掴まってろよ」

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