第三幕 肆
「はぁっ?」
思わず変な声が出た。アリシアが恨めしそうな視線を寄越す。
「……何?」
「いや……。認めるって、何をだ?」
こいつの軍人としての才のなさは周知のこと。ハロルドがそれを生前知っていたかどうかは別として、一体何を認めてもらいたかったのだろうか。
「……わたし自身のこと」
「うん?」
ぼそりと零された答えに、儂は首をかしげる。
「お父さん、本当は男の子が欲しかったんだって。でもわたしを産む時に、お母さん死んじゃったから。他の男の子に混じって体を動かしたり、馬に乗せたり、いろいろと頑張ってたの」
「あー……」
なんか納得した。
あんな年端もいかない子どもが、そしていかにもお人形遊びが好きそうな女の子が何で武器屋に入り浸っているのかと思ったら。父親の理想に少しでも近付こうと努力していたのか。
子どものみならず、他人を思い通りに動かそうとする奴は山ほど見てきたが。こいつの父親もそうだったのか。
「つーか、そんなに男が欲しかったら、どっかから貰うなり新しい嫁さんに産んでもらった方が早くないか?」
「お母さんにゾッコンだったみたいだから、再婚はあり得ないと思うよ? それに夫婦ならともかく、養子を迎えるのはひとり親だと厳しいと思うな。ただでさえ軍人って忙しいし」
「あ、そう……」
たしかに昼夜逆転の仕事も珍しくないのに、養子を貰って実子とまとめて育てるなんて無茶がすぎる。
とはいえ、ハロルドもこいつが軍人に向いていないのは薄々感付いていたのかもしれない。儂と契約した時、娘が呪われたという大義名分のもとに斬り捨てるつもりだったのだろう。今となっては知りようもないが。
「軍属になったけど、入れ違いにお父さんは出ていっちゃったし。何か力になれればって考えて、お守りとか作ってみたけど……」
寝台の上でアリシアが膝を抱える。
「お父さん、死んじゃって……何のために頑張ってきたのかなって……」
膝に顔をうずめる。今まで刺繍の腕を上げてきたのも、軍人とは別の方向から自分のことを認めてもらいたいという感情があったのか。
こういう時、どうやったらこいつを慰められるのかわからない。
物心ついた時には一人だった。たまに徒党を組んでも、すぐに裏切り裏切られて一人に戻る。心を許した人物はただの一人もいなかった。
そんな儂が何をしてやれるのか。
つまらない話なら聞かせてやれるし、聞くこともできる。だがそれだけだ。励まし方も慰め方もわからない。立ち直らせる方法なんて皆目見当も付かなかった。
「アリシア」
だから、儂は思ったことを口にした。
「お前さん、親父さんのために生きていたのか?」
「…………」
返答はない。だがわずかに上げられたその顔は驚愕に震えていた。
「今までの話を聞いているとそう感じるんだ」
子ども時代から男の子にまぎれて行動させられていた。たまたま武器屋で興味のあるものがあったからよかったものの、刺繍が好きなこいつに外遊びは酷だったろう。
「なあアリシア、答えてくれ」
儂は呼び掛ける。
「お前さんは今何がしたい? 何ができる?」
「……わたしは」
ほとんど吐息のような言葉が出る。だがそれ以上は続かず、アリシアは頭を抱えた。
「わたしは……魔剣士だから……。役に立たないと……力にならないと……」
「軍はお前さんに何も期待しちゃいない」
断言する。
あの会議室でのやりとりでわかった。奴らが欲し、恐れているのは儂の力であって、アリシア個人には興味がない。むしろ儂をここに置いておくための人質でしかないのだ。
「お前さんは儂の契約者で、主だ。それ以上でもそれ以下でもない。お前さんの気持ち一つで儂はこの国からとんずらできるし、マイルズに喧嘩も売れる」
アリシアの肩がびくりと揺れた。
「それって」
ゆっくりと顔が上がる。
「逃げるってこと?」
――そう。
時間をもらった本当の目的はこれだ。
奴らはアリシアの才能のなさに見切りをつけ、籍こそ軍に置かせたが権限も制約も与えていなかった。
普段はそれでよかった。特に行く当てのない儂も無闇に動いてアリシアを危険に晒したくなかった。下手に動いて「謀反」の名目で追われるよりは、ひとまずの安全を保障してくれるここに居座っていただけだった。
だがマイルズが動き出した今、混乱に乗じて姿をくらますことが出来る。数年は地下に潜る必要があるが、自由を手に入れられると考えれば安いものだ。
「あくまでも儂の主はお前さんであって軍でも国でもない。さあどうするアリシア? 道は二つに一つだ」
逃げるか、戦うか。
アリシアが息を吸う。
その答えは、ばんっ! と音を立てて開かれた扉に遮られた。
「ムラマサ! 貴方なんてこと吹き込んでんのよ!」
突入してきたのはクレアだった。不意打ちで硬直している儂の胸倉を掴む。
「百歩譲って少佐の件は同意よ。平原の獅子と謳われたゲルマニア帝国軍人として恥ずべき行為よ。でも貴方、今アリシアに逃亡を唆したわよね? この国の一大事に逃げるですって? 正気じゃないわ!」
「ちょ、ちょ、ブラント曹長、落ち着いて……」
「落ち着いていられないわよ!」
追いかけてきたラルフが止めようとしたが、振り払われた。肘が良い場所に入ってしまったらしく、その場に力なくうずくまる。
アリシアが彼に駆け寄ったのを横目に見ながら、儂は肩をすくめた。
「儂は選択肢を示したまでだ。決めるのはアリシアで、儂はそれに従うまでだ」
「それこそ逃げじゃないの! マイルズの言う“国殺し”がどの程度かは知らないけど、貴方だって相応の力を持っているんじゃないの!? それを今ここで使わなくてどうするの!」
「っはっはっはっは!」
笑いが勝手に口をついて出た。
「勘違いするなクレア。儂の力をどこで使うかは儂自身が決めることだ。お前さんに指図される謂れはない」
「なっ……」
絶句したクレアだが、今度はすぐに復活した。
「ふざけないで頂戴! 帝国の管理下にある貴方たち魔剣に決定権なんてないのよ? 何のために先人たちが危険を冒して回収してきたと思っているの。国の危機に立ち向かわせるためよ!」
「それはお前さんたちが勝手に決めたことだ。儂らには関係ない」
「……っ!」
クレアの指先が白くなるほど握りしめられる。まだ言い足りないとわかるほど顔は真っ赤だが、言葉が感情に追いついていないのだろう。
「それと、いいことを教えてやる」
儂は前へ進み出る。クレアが慌てて後ろへ下がろうとしたが、それよりも先に儂が彼女をすり抜けていってしまった。呆然とその様子を見ていたアリシアの脇に立って、儂は振り返る。
「儂の体は魔力の塊だ。濃淡を調節すればどこにだって行けるし、なんでも触れる」
禁忌の魔法で生み出されただけあって、魔剣自体に膨大な魔力が備わっている。魔力が少なくなると息切れに似た症状が出るが、それだって契約したての頃とニルウェルを脱出するときの二回しか経験していない。
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