第二幕 肆
「失礼します」
と門番が扉を開ける。
執務室と応接室が一体となっている、よくある構造の広い部屋だ。さっきまで執務作業をしていたのか、奥の机からこちらへ向かってくる人物がいた。
「初めまして。市長のダグラスです」
柔和な笑みを浮かべてそう告げたのは、どう見ても五十を過ぎた男だった。屋内だというのに幅広の剣を携帯し、その柄に手を置いたまま離さない。抜剣の動作ではないから、ただの癖という可能性もあるが。声といい佇まいといい、どうにもちぐはぐな印象を受けた。
「初めまして。帝都ヒューリッツより参りました、魔剣士のアリシア・フェルベールです」
アリシアが応える。するとダグラスと名乗った男が目を輝かせた。
「おお、君があの魔剣士か!」
急に近付いて来たかと思ったら、空いている手でいきなりアリシアの手を取って激しく上下に振りだした。
「噂はかねがね聞いているよ。来てくれてありがとう!」
「あ、いえ……はあ」
アリシアが微妙な顔をしている。当然だ。こんな熱烈な歓迎は初めてなのだ。クレアとラルフも面食らった顔をしている。儂も顕現していたらそんな顔になっていただろう。
「遠路はるばる、よく来てくれたね。さあさあ、こちらへ」
ダグラスが椅子を勧め、三人が幅広の――“そふぁ”と言ったか? に座る。ダグラスも向かい側に座ったが、剣から手は離さなかった。
「いやあ、魔剣士がいると聞いて、どうしても会いたくて無理を言ってしまったよ」
「……え」
クレアが弾かれたようにダグラスを見る。
「では、軍の定期連絡が途絶えたというのは……」
「真っ赤な嘘だ。こうでもしないと派遣できないと言われてしまってね」
ダグラスが申し訳なさそうに頭を掻く。でっち上げられたと聞いて、儂らの体から力が抜けた。
「なあんだ~。大佐も意地悪だよね~」
「緊張して損した……」
アリシアがそふぁにもたれかかる。その横で眉間を揉むクレアに内心で同意した。あの大佐はもうちょっと融通をきかせてもいいんじゃないか?
……だが、そうだとするとあの門番たちの様子が気にかかる。魔剣士であるアリシアを恐れるのはまだわかるが、あの怯え方はそれとは違う。
“知らないもの”への恐怖ではなく、“知っているもの”への恐怖。
前者は儂やアリシアがよく経験するから慣れたものだ。未知のものはそれだけで恐れの対象になる。理由がわかれば――あるいは、その存在に慣れれば、自然と恐怖は薄まっていく。クレアやラルフがその良い例だ。
問題は後者だ。
魔法など、事象を理解して正しく恐れながら使うのは良い。だがそれとは別に知った上での恐怖というのは厄介だ。
平等に刃物を突き付けられているような、少しでも自分の寿命を長くしたい者に見られる焦燥が見えたのだ。
何かしら理由をつけて調べる必要がありそうだな。
「アリシア、親父さんに会うついでに部隊を見て回れるか聞けるか?」
儂の問いにアリシアがのっそりと動く。
だが口を開いたのはダグラスだった。
「……国殺しさん?」
「え?」
アリシアがきょとんと聞き返す。
――は?
おかしい。儂の声は聞こえないはず。
いや、待て。
なぜその名を知っている。
この姿になってから誰にも教えていない。
まさか、いや、
ダグラスと、
目が、合った。
「きゃああ!?」
爆音と炎が扉と窓を吹き飛ばす。
アリシアたちの悲鳴もお構いなしに、儂は三人を引っ掴んで飛び出していた。
「ムラマサ!? なに、どうしたの!?」
負ぶわれているアリシアが咎める。当然だろう。だが弁明の余地すら今の儂には惜しかった。
最悪だ。
よりによってあいつがここにいるなんて。しかもあんな常識外れな行動、誰が予測できた!?
「どけ!!」
音を聞きつけてきたらしい兵士に火柱で牽制し、そのまま正面の飾り硝子に突っ込む。
場違いなほど澄んだ音が鳴り響いた。
「う、おっ!?」
すぐに来るはずの衝撃が来ず、思わず下を見る。
しまった、二階だったか!
「シルフ、ノーム、遊びの時間だ!」
左腕に抱えていたラルフが叫ぶ。
体が何かに捕まったような衝撃を受け、ゆっくりと着地する。上を見れば硝子片が空中で静止していた。
「助かった!」
短く礼を言って走り出す。後ろで硝子片が降り注ぐ音がした。
「どこへ行くの!?」
右腕に抱えられているクレアが問う。
「外だ!」
短すぎる言葉に、しかし意味を正しく理解してくれたようだ。
「左の路地! すぐの十字路を右!」
端的な指示にすぐに従う。
大通りは目立ちすぎる。裏路地を通って脱出を図るということか。背中のアリシアがクレアを覗き込んだ。
「道を全部覚えてるの?」
「地形の把握は軍の必修科目よ! 下ろして、先導する!」
クレアとラルフを解放し、儂とアリシアを挟む形で駆け抜ける。
「アリシア、追手は!?」
「まだ!」
アリシアが首をひねって知らせる。
裏路地はやはりと言うべきか、表通りに比べて治安は行き届いていなかった。地べたに座り込んでいた人々が騒がしさに顔を上げるが、軍服を着た三人と赤い羽織の男という組み合わせにぎょっとして縮こまる。それを横目に捉えながら、儂らは狭くて暗い裏路地を走った。
ガランガラン、とやかましく鐘が鳴る。
時刻を告げるものではない。異常事態を知らせるものだ。
ちっ、思ったよりも行動が早い。
再び鐘が鳴る。だが今度の音は先ほどよりも高い。見回りの兵士たちが異常を知らせるために携帯しているものだ。
ハッと見上げれば、弓をつがえる何人かと目が合った。
「見付かった!」
儂より先にラルフが叫んだ。
クレアが舌打ちして右へ進路を取る。一拍遅れて矢が降り注いだ。
「ひっ!」
「おいおい、冗談だろう!?」
アリシアがさらに強い力で儂にしがみつく。火で矢を落としながら、儂も目を見開いた。
「威嚇じゃないのかよ! 当たったら懲戒ものだぞ!?」
帝都が知ったら怒るなんてものじゃない。謀反に問われて最悪処刑されるぞ!?
「――拙いわ」
先頭を走るクレアが苦々しく呟いた。
「城壁の見張りだけじゃない。地上からも囲い込まれてる」
縦横無尽に走っているから、咄嗟に理解ができなかった。だが城壁の兵士たちを合図に、儂らはどんどん街の内部へ進んでいる。
「それに、いくらなんでも早すぎです」
若干息を切らしながらラルフが言った。
「俺たちが屋敷を飛び出してから、まだそんなに時間が経っていませんよね?」
「――ああ」
その通りだ。
異常を知らせる鐘の音は響いた。そこから間髪入れずに所在を知らせる鐘の音。統率された動き。
「そういうことか……!」
自然と口角が上がる。まったく、最悪なことこの上ない!
誘われるように表通りに飛び出せば、群衆が待ち構えていた。滑るように立ち止まる。
「……えっ?」
アリシアの間抜けな声だけが空中に溶けて消える。
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