第二幕 壱
アリシアと出会ったのは十年前だ。
儂に触れて暴走した様を見た者たちが、命からがらそいつを討ち取り、儂を何枚もの布でくるんで封印した。そこから何度も人の手を渡り、いつしか帝都の武器商人にたどり着いた。曰くつきの儂を国に献上すればそれなりに褒美がもらえたのに、商人は儂に触れること自体を怖がった。鉄の箱に儂を押し込み、倉庫の奥深くにずっと閉じ込められていた。
幼いアリシアが父親に連れられてそこにやってきたのは、ただの偶然だった。後で聞いた話だが、アリシアの誕生と引き換えに妻を失った彼は、休日になるとよく彼女を連れて歩いていたそうだ。
アリシアは軍人としての才能はなかった。だから武器の類はてんで興味がなかったようだが、彼女は別の部分で惹かれていた。
あらゆる形状の武器や、さまざまな絵を凹凸で表現し、工夫を凝らした盾や鎧。壁に飾られた国旗や軍旗など。そうした“模様”や“意匠”に彼女はそそられていた。
そして、別の観点から武具防具を見つめるアリシアを商人も気に入った。一人でやって来たアリシアに、普段なら怖くて近付くこともなかった儂をわざわざ引っ張り出して見せてきたのだ。
「これはとても危険なものだ。アリシアちゃんだから特別に見せてあげるけど、絶対に触ってはならないぞ」
「うん!」
久しぶりに見る人間の姿に、儂は嘆息混じりに呟いていた。
「何だ、餓鬼か」
直後、アリシアが目を丸くする。
「おじさん、この剣、しゃべれるの?」
「「……は?」」
儂と武器商人の声が見事にそろった。
先に我に返ったのは儂だった。
「お嬢ちゃん、助けてくれ!」
できるだけ悲痛そうな叫びを口にする。
適合者が触れてくれれば契約となり、儂は自由に動き回れる。その適合者は、魔剣の核である魂の声が聞こえるとマイルズは言っていた。
千載一遇の機会を逃すわけにはいかなかった。
「え?」
「儂はこの剣の中に閉じ込められているんだ! 頼む、助けてくれ!」
「助ける? どうするの?」
「この鞘から刀……剣を抜いてくれればいい! あとは儂が自力で脱出できる!」
アリシアは商人を見た。危ないものだから触れてはいけないと言った大人が目の前にいるのだ。本当に触っていいのか迷いが出る。
あるいは、ここで商人がアリシアを連れて店の外へ飛び出していたら、儂はまた暗い箱の中へ逆戻りしていただろう。
だが商人は顔を真っ青にしてアリシアを見ていた。急に一人でしゃべり始めた子どもへの恐怖で、体はじりじりと離れていく。
「お嬢ちゃん、頼む! これ以上の暗闇は耐えられない!」
駄目押しの叫び。これは本心でもあった。誰もいない暗闇の中で過ごす時間は長すぎて、しかし狂うこともできない自分に何度叫んだことか。
その声が今、目の前の少女に届いている。この好機を逃すものか。またあの狭い暗闇に戻ってなるものか!
アリシアはもう一度儂と商人を交互に見て、きゅっと唇を結んだ。
「……うん」
そして、箱の中の柄に手をかけた。
「アリシアちゃん、駄目だ!!」
気付いた商人が叫んでももう遅い。
深く沈んでいた体が急浮上するような解放感。全身を血が巡るような感覚。この世に許されたような安堵感が奥底から湧いてきて、儂はたまらず声をあげて笑った。
◆ ◆ ◆
南西地方の事件からしばらく経った頃、儂らは会議室に呼び出された。
「ここから北西に行った場所に、ニルウェルという街がある」
壁に貼られた地図の左上を杖で叩きながら、恰幅のいい軍人がそう説明する。こいつは一応、アリシアたちの上司にあたる。名前は忘れた。階級は……たしか大佐だった。
「そこからの定期報告が途切れて一ヵ月になる。原因を調査しろ」
「質問があります」
クレアが手を挙げる。
「何だ」
「我々の前に調査隊は向かいましたか?」
大佐があからさまに嫌な顔をした。
「そんなことを聞いてどうする」
「いいえ。情報があればそれを知りたかっただけです」
ちっと舌打ちが響く。大佐が顎をしゃくって傍にいた軍人に指示を出し、彼が一冊の紙束を儂らの前に置いた。
「目を通しておけ。明日には出発しろ。以上だ」
それだけ言うと手を振って「出ていけ」と指示する。ラルフが紙束を受け取り、三人は部屋を辞した。
「アリシアちゃん、顔に出てるよ」
小声でラルフがたしなめる。
「だってさー」
むくれたアリシアが声を抑えずに返す。
「相変わらずすっごい嫌な態度なんだもん」
「そういうのは部屋に着いてから、ね」
普段はうるさく注意するクレアも苦手らしい。いつもより語気が弱かった。
「ムラマサもそう思うよね?」
「儂に振るな」
同意はするが、それを刀の姿である今言ったところで仕方がない。
アリシアは――正確には彼女と契約している儂は、この国の切り札であり癌(がん)だ。できるだけ接触したくないのはわからなくもないが、あの態度はどうにかできないのか。
ラルフたちの部屋で資料を広げてみると、そこに記されたものに目を疑った。
「えっ、お父さんがいるの!?」
アリシアの父、ハロルド・フェルベールがニルウェルに在籍しているというのだ。娘と違ってその才は目を見張るものだったらしく、ゆくゆくは将軍になれると噂されていたそうだ。だがアリシアと儂が契約してから、彼は遠方への異動を願い出た。魔剣士の父親というのはやはり外聞が悪かったのだろう。帝都を離れてから音沙汰がなかったが、まさかここにいたとは。
「フェルベール少佐が……」
クレアが呻く。将来を有望視された軍人がいる街から連絡が途絶えた。ただ事ではないのは明らかだった。
一方のアリシアは、ハロルド在籍を記した紙を手にそわそわと落ち着かない。十年ぶりの再会となるのか。緊張するのも無理はない。
「そっか、お父さんがいるんだ……。ねえムラマサ。お父さんに会ったらなんて言えばいいかな?」
「儂に聞くな」
前言撤回。こいつ久々の再会に舞い上がっている。
「お前さん、状況をわかっているのか?」
「ニルウェルって街と、お父さんがピンチってことくらい」
「…………」
閉口する。クレアとラルフも微妙な顔をアリシアに向け、すぐに書類へ目を落とす。
たしかにアリシアの言う通りだが、実際はそれ以上の緊迫した状況のはず。本来なら諜報部の仕事だろう。こいつの危機管理能力がたまに怪しくなるが、今に始まったことではないから言うだけ無駄だ。
「アリシアちゃん」
ラルフが声をかけてきた。
「ひとまず準備しよう。明日の朝イチで発つから、手分けした方が早い」
至極まともな提案にアリシアも頷く。ラルフが馬を借りるために厩舎へ向かい、アリシアとクレアが荷造りを進める。儂はできることがないから、アリシアの部屋で待つことになった。
しかし釈然としない。
大佐の態度も依頼内容もそうだが、儂らの与(あずか)り知らぬところで物事が動いているような気がする。
末端の軍人にまで上層部の考えが浸透しているなんて有り得ないのはわかっている。だが、まるで見えない糸に操られているような気持ち悪さ。
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