第一幕 伍
「おい、あとどれくらいだ!?」
「もうちょっと!」
「池に着いたら動くなよ! この嬢ちゃん投げる!」
「え!?」
アリシアの怒声に近い声は無視する。奴が追いかけてきているのは、儂が抱えているこの娘を生贄にするためだ。儂自身はいくら傷つけられても再生するが、生身の人間はそうもいかない。
「対岸に放り投げるって意味だ! 出来ないなら池に飛び込むぞ!」
「それはダメ!」
叫び返したアリシアが二人に伝える。両方とも素っ頓狂な声を出していたが、すぐに頷いてくれた。
「あった、着いた!」
「よし!」
大きめの火を一発空へ打ち上げる。振り返って奴の姿を確認して、
「!?」
踏ん張って立ち止まった。
いない。どこへ消えた!?
がさりと頭上から葉擦れの音。
直感に従って前へ飛び出せば、さっきまで儂らがいたところに奴が降ってきたところだった。転がった衝撃に娘が小さく悲鳴を漏らす。
「ムラマサっ!?」
アリシアが吐息のような悲鳴を上げる。もう体力がなくなったのか。返事をしてやりたいがそれどころではない。
「こっ……の!」
立ち上がりざまに火を放つ。拳大のそれは肩に命中したが、奴はくぐもった呻き声を上げるだけで首をかしげている。痛覚を失っているのか。
もう一度走り出しながら火を打ち上げる。
打ち上がった火はアリシアの左側に映る。位置を把握した儂はしがみついている少女に声をかけた。
「お嬢ちゃん。池に着いたら、お前さんを池の向こう側にいる軍人に向けて放り投げる。あとはそいつらが家族のところに連れて行ってくれるからな」
娘がこくこくと何度も頷く。
ちらりと振り返れば、奴はちゃんと儂の背を追いかけてきている。よし、この調子だ。
乱立する木々を抜けて池に辿り着けば、三人が対岸に立っていた。アリシアが膝に手をついて息を切らしているが無視する。他の二人がどうにかしてくれるはずだ。
「嬢ちゃん、手を離せ!」
力を緩めた娘の細い両腕を掴み、振り回すように一回転。
「っせい!」
掛け声とともに娘の両手を離せば、驚いたようにこちらを見ながら対岸へ飛んでいく。ちゃんと受け止めてくれるか見ていたいが、そういうわけにもいかない。
飛び出してきたばかりの森へ視線を向け、掌に浮かべた火を刀の形にととのえる。
待っていたかのように飛び出してきた連続誘拐犯が、宙に舞う娘を視界に捉える。
「ひっ」
アリシアの引き絞るような悲鳴が聞こえた。奴がそちらへ視線を向ける。
次の瞬間、土を蹴飛ばしながら奴が池を飛び越えた。
「は!?」
咄嗟のことに判断が遅れる。池は縦にも横にも相当な広さを持っている。棒高跳びならまだしも、あんな一気に跳べるなんてありえない。体の
「きゃああ!!」
アリシアの悲鳴が響く。恐怖に竦んだ体はまだ回復していないこともあり、足をもつれさせて尻餅をついた。
連続誘拐犯は対岸に着地しようとしたが、飛距離が足りなかったらしい。足が池にはまり、岸に上がろうともがく。
「シュタイナー伍長は逃げて! アリシア特務一等兵、立って!」
我に返ったクレアが指示を飛ばす。ラルフは少女を抱えたまま弾かれたように飛び出す。アリシアは腕を引っ張られるがびくともしない。おそらく腰が抜けたのだろう。
儂は刀を逆手に持ち、槍投げのように構える。この距離では回り込むよりも投げた方が早い。
体をひねりながら投げつける。
飛び出した刀は相手の胸に刺さった。伸ばした手が途中で止まり、全身の力が抜けてずるずると池に引きずり込まれていく。池の水に触れた刀がじゅうと音を立てて消えた。
「二人とも池から離れろ!!」
大声で呼び掛けると、二人が思い出したように儂を見た。
「確認してくる!」
何を、とは言わなかった。だが池を指さしただけで察してくれたようだ。
昨日と同じように池に飛び込む。さほど深くもない、しかし日の光が届きにくい深さの水底に奴は沈んでいた。胸には、細いがはっきりと刺し傷がある。完全に事切れてくれたようだった。
静かに息を吐き出す。死体の回収は、やはりいい気がしない。自分がとどめを刺した奴なら尚更だ。
見開いたままの目を閉ざす。そうすると、少しは穏やかそうな顔になってくれた。
それから、昨日見つけた子どもの遺体にもう一度近付く。水の中にいるせいでゆっくりとしか動けないし、足元がふわふわする。覚束ないながらもなんとかたどり着き、石と繋げられていた紐を切る。浮かびそうになる体を抱きしめるように掴んだ。
「アリシア、村の連中は来たか?」
聴覚だけ繋いで訊ねると、アリシアのかすれた声が返ってきた。
「……ううん」
「そうか。先に子どもだけでも引き上げるつもりだが?」
「クレア……ブラント曹長、先に子どもだけ引き上げてもらう?」
「……そうね」
クレアの肯定の言葉が聞こえてくる。
「だって」
「ああ」
アリシアと短く言葉を交わし、水底を蹴って浮上する。
ざばりと水を押し上げて水面に顔を出し、抱えた子どもを差し出す。それをクレアが受け取り、地面に横たえた。
「……ひどい」
アリシアが呟く。顔を見れば、何かにこらえるように眉を寄せていた。
「娘さんを生き返らせるためにこんなことしたの?」
吐き捨てるような、あるいは吐き気をこらえるような声。もし犯人が生者だったら、一発くらいは殴っていたかもしれない。
変化を解いて鞘に収まる。領地に存在する池や沼を調べれば、まだまだ子どもの死体は見つかるだろう。把握しているだけで二十人だ。実際は何人になるのか……。
「こんなことしたって無意味なのに……」
何で、とアリシアが消え入るように呟いた。
しばらくして、ラルフが村人たちを伴って戻ってきた。犠牲になった子どもの親だという一組の男女が取り乱したりしていたが、村長をはじめとした男衆が池の状態などを真剣に聞いてくれた。
もともとこの池は営農用水として使われていたらしい。飲み水は村の中に掘った井戸を利用しているそうだが、やはりいい気分はしないだろう。村人たちがどんどん顔を強張らせていくのが見えた。補助金などが国から出る旨を説明すると、何人かは安堵の表情を浮かべていた。
持ってきてもらった毛布の一枚は子どもを運ぶために使ってもらい、残りは犯人の遺体を運ぶために使わせてもらった。村人が去ったのを確認してからもう一度池に潜り、遺体を回収する。たまに首を刎ねても元気に動く奴がいるが、今回は大人しかった。
遺体を毛布で厳重にくるみ、縄で縛りつける。帝都への運搬はラルフに任せ、アリシアとクレア、そして儂は各地の子どもの遺体を回収しに向かった。
正直言って遺体の回収は儂一人でできるのだが、事前の説明は軍人である二人からやってもらった方が色々とはかどる。
そうして子どもの遺体をすべて引き上げ、帝都に戻ったのは事件発生の報告を受けてから一ヵ月経った頃だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます