第一幕 肆

「動かないでね。……そう、いい子だ」

 恐怖にすくむ少女に、旅人が言い聞かせる。

 目と耳を繋ぎ、儂は炎を繰り出した。

「そいつを放せ!!」

 至近距離で上がった火柱に二人が身をすくませる。

「うわっ!?」

 アリシアの悲鳴が耳の奥で響いた。

「なに、どう、……え?」

「どうしたの、アリシアちゃん!?」

「何があったの!?」

 ラルフとクレアも飛び起きる。戸惑っているアリシアに説明している暇はない。視覚も聴覚も繋いでいるから、寝起きでも覚醒させるには十分なはずだ。

「……あ?」

 旅人が状況を把握する前にもう一度火を操る。蛇のように細長い炎が奴の手を叩く。ひるんだところで少女の腹に巻き付け、こちらへと引き寄せた。

「いきなりで済まなかったな、嬢ちゃん」

 胸に抱き留めた少女に向け、儂は努めて優しい声を出す。

「迎えが来るまで、ちっとばかし辛抱してくれな」

 うまく笑えているかは自信がない。一応、ヒトの姿をとっている間は美丈夫に分類される顔立ちらしいが、血のような赤い髪と目、そしてヒノモト特有の着物姿とくれば恐怖しかないだろう。

 少女の方はまだ理解が追い付いていないのか、呆然と儂を見上げてこくんと頷く。

 ひとまず、人質の奪還は成功した。だが問題はここからだ。

「あ……ああ……」

 旅人の呻き声にそちらを見やる。

「返して……その子を返してくれ……」

 まるで儂が人質を取っているような台詞だが、実際の立場は逆だ。しかも周りにはまだ人がいない。儂を悪人にするには状況が悪すぎた。

「あ、あ、ビンゴ、ビンゴだ! あの人! 犯人!」

 ようやく覚醒したアリシアが叫ぶ。その頃には二人とも軍服に着替えていた。

「ムラマサ! そのまま時間を稼いで!」

 アリシアの寝巻を剥ぎ取りながらクレアが指示する。言われずともそのつもりだ。

「こいつはお前さんにとって何なんだ?」

 儂は見込みがないと知りつつ問う。わずかでも手掛かりを得られるのなら、それに越したことはない。

「娘……娘に会わせてくれ……」

 旅人はぶつぶつと呟く。やはり会話が成立しない。だが合わせることはできる。

「娘はどこにいる?」

「ここだ!!」

 悲鳴のような声が旅人からほとばしる。同時に指さされたのはため池だ。

「娘は……ベティはここに囚われている! 助けなくちゃいけないんだ!」

 どうやら当たりのようだ。特異殺人の動機はほとんどが死者の蘇生や権力者への復讐。「話してはいけない」などの制約を与えられていなければ、理由をあっさりと暴露してくれる。

「そうか」

 相槌だけ打つ。おそらくは池で溺れ、そのまま死んでしまった娘を生き返らせてやると持ち掛けられたのだろう。

 旅人が一歩前に出る。

「その子が必要なんだ。ベティを助けるには、その子に代わってもらわなきゃいけないんだ」

「それを儂が承知するとでも?」

 合わせるように一歩下がる。恐怖が今になってやって来たのだろう。少女が儂にしがみついてきた。

 さて、どうやってこいつの注意を引く? 奴の狙いは儂が捕まえている少女。森の中を逃げ回るのは苦ではないが、アリシアたちとの鉢合わせを避けるために定期的に花火を打ち上げなきゃならないのが面倒くさい。それに追われ続けるというのも意外と精神を削るんだ。かといってこのまま睨み合いを続けてくれる保証もない。むしろ痺れを切らして飛び掛かってくるだろう。

 奴の気を引くには――

「なあ、その娘さん、どんな子なんだ?」

 儂が問いかけると、旅人は一瞬驚いたようにこちらを見て、嬉しそうに眉を下げた。

「ベティは可愛い子だ。黒い髪を腰まで伸ばしていてな。パパ、パパと呼んでくれて、たまにきれいな花を見つけると、髪に挿して見せてくれるんだ」

「そうか。可愛らしい娘さんだな」

「ああ、そうなんだ!」

 適当に相槌を打てば、旅人は響くように返す。

 話している内容は、ただの娘自慢。だが奴にとっては生きる目的そのものだ。そのために他の子どもを生贄にするのは筋違いだが、それを言ったところで奴には通じない。今はひたすらに時間を稼ぐしかないのだ。

 ふと、儂はあることに気付いた。

「そういや、お前さん、腹減ってないか?」

「え?」

「いやなに、朝っぱらからこんだけ大騒ぎしても腹の虫が聞こえないからよ」

 昨日の野宿の時から見張っていたが、こいつが何かを口にしているのを見たことがなかった。寝起き一番であれだけ素早く動けたり、饒舌にしゃべれるというのも妙な話だ。

 明るいうちにどこかで食べた可能性もあるし、はっきり言って深く考えずに出た質問だった。

 だから、奴の目がぐるんと上を向いたときは悲鳴が出そうになった。

「ひっ」

 いや、すぐそばで少女が実際に上げた。そして耳の奥でもアリシアが悲鳴を上げていた。しまった、感覚を繋いだままだった。

「あ……お、げが……」

 あ、拙い。少女を抱え直す。

「ぶ……ぎ……」

「済まん、アリシア」

 こちらへ向かってきているアリシアにまず詫びる。

「禁句を言ってしまった!」

「バカァ!!」

 アリシアの怒声を聞く前に、儂は踵を返していた。

 言われるまでもなく自分でも莫迦だと思った! なんで“生きている”前提で考えていたんだ!?

 特異事件にはもう一つ特徴がある。それは事件の実行犯がほとんど手駒で、黒幕が必ず存在すること。目的のためなら手段を選ばず、そして実際に禁忌の魔法に手を出した輩なのが相場だ。

 おそらく奴は利用するために殺された。死んですぐに術をかけられたのだとしたら、死んだ自覚がなかっただろう。そして外から“綻び”を指摘されると、術は変容する。「お前はもう死んでいるんだぞ」と言われてすぐに受け入れられればまだ良い。あわよくばそのまま土に還ってくれる。

 だが、ほとんどは否だ。死んでいない。まだ目的を達成していない。現実から目を背け、それを肯定するために異物を――現実を指摘した奴を排除する。

 つまり。

「儂の全速力についてこれるってどういうことだあ!?」

 手足をでたらめに動かしながら真っ直ぐこちらに向かってくる、旅人だった死体の猛追を必死に躱すしかないということだ!

「自業自得だよ!」

「異論はないが早く来てくれ! 精神的に辛いんだよ!!」

「わたしだってイヤだよ!!」

 繋いだ聴覚越しにぎゃんぎゃん言い争いながら儂は逃げる。視覚も繋いだ状態だったから、死体が迫り来る様子にアリシアも泣きそうになっているのがわかる分辛い。儂が抱えている少女もずっと目をきつく閉じて嵐が過ぎ去るのを待っている。

 定期的に火を打ち上げて爆発させ、その音で現在地を知らせる。死体やアリシアたちに、こちらの位置を把握させるためだ。おかげで奴はこちらにずっと注意が向いているし、アリシアたちとかち合うことなく逃げ続けられている。

 できるだけ同じ場所をぐるぐると回り続ける。時々振り返って、奴が追いかけてきているのも確認する。体力はあってないようなものだからこれくらい苦にならない。それより鬼ごっこを続ける方が辛かった。うまく捕まらないように逃げるのはなかなか大変なんだ。

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