第一幕 壱
木枠に縁取られた布の上を緑色の糸が滑る。銀の針が何度も布を突き刺しては、表面に糸を縫い付けていく。緑の糸を裏面で結び、鋏で切る。次に取り出したのは青い糸だ。撚り合わせていたものを解き、極細になったそれを二本束ねて針の穴に通す。裏面で玉止めをし、また布に縫い付けていく。一見すると出鱈目に動かしているように見える針さばきは、しかしあらかじめ定められていたかのように模様を浮かび上がらせる。
やがて白かったはずの布には、鮮やかな風景画が現れた。色とりどりの花を咲かせる草原と森林、そして雲を漂わせる青空だ。審美眼のない儂でも見事な手際だとわかる。
「相変わらず凄い腕だな」
賞賛してやると、出来栄えを確認していたアリシアが嬉しそうにこちらを見た。
「えへへー、でしょー?」
褒められて口元がだらしなく緩む。
寝台と机と椅子、そして本棚だけの質素な部屋は、ほとんどが裁縫道具や彼女の作品で埋もれていた。机の上は裁縫道具で溢れ、本棚には予備の素材をしまった箱と図案集が詰まっている。床は足の踏み場こそあれど、過去に作った刺繍が山と積まれている。最近は寝台の方にまで作品が侵食してきているから、また大掃除をしなければならないな。
いそいそと新しい布を木枠に挟み、鼻歌を歌いながら次の図柄を思案し始める。そんなアリシアの横で、儂は二人分の靴音を聞いた。
「アリシア」
「んー?」
「お休みはここまでらしい」
「え?」
呆けた声で儂を見ると同時に、やや乱暴に扉が叩かれた。
「アリシア特務一等兵、いるんでしょう?」
扉の向こうから女の声がする。それを聞いたアリシアが一気に嫌そうな顔をした。
「アリシアちゃーん?」
続いて聞こえるのは男の声。
アリシアを見れば、椅子に座ったままそっぽを向いている。居留守を決め込んだらしい。
仕方ない。
鯉口から火が溢れ、それが儂を包む。火は瞬く間に膨れ上がり、ヒトの形へと成していく。
横でアリシアが文句を言いたげに睨んでいたが無視する。
「いるぞ、二人とも。入ってきていい」
「ちょっ!」
儂の言葉に、小声だがアリシアが叫んだのと、扉が開いたのは同時だった。
「あら、やっぱり起きてたのね」
無遠慮に入ってきたのは軍服に身を包んだ女。髪は男と見間違えそうになるほどばっさりと切っているが、生来の声や顔立ちまでは誤魔化せない。
「おはよー、アリシアちゃん」
遅れて入ってきたのは男の軍人。開いているのかわからない目でふにゃりと呼びかけてくる。
「おはよー、ラルフ」
つられたアリシアが返すと、
「おはようございますシュタイナー伍長、でしょう」
女軍人に人差し指で額を小突かれた。
「うにゃっ」
「挨拶は基本中の基本! あとあからさまに私に返さなかったでしょ?」
「だって挨拶していないしー」
「屁理屈をこねない!」
言っている傍から、もともと吊り上がっていた目がさらに吊り上がる。
「なんでもかんでも特別扱いされると思ったら大間違いなのよ?」
何度目かもわからない同じ文句に、アリシアも唇を尖らせる。
そろそろ止めておくか。
「クレア曹長」
「何?」
ぎろりと儂を睨んでくる。
「招集がかかったんだろう? 急いで着替えさせるから、一旦出てもらってもいいか?」
クレアはしばらく儂を睨んでいたが、小さくため息をついて
「急がせるように」
それだけ言い置いて踵を返した。
やれやれ。
「じゃあ、ドアの前で待ってるから」
ラルフが困ったような笑顔でそう言い、二人が扉を閉める。
「そしてお前は逃げるな」
こっそり窓を開けようとしていたアリシアの首根っこをむんずと掴んだ。踊るように入れ替わって窓を塞いでやる。
「やぁーだぁー!! お休みー! 今日は休みなのー!」
「緊急招集がかかった時点でどう足掻いても無駄だろう、ほら着替えろ」
まるで不機嫌な猫のように手足が飛んでくるが、当たったところで痛くも痒くもない。畳んであった軍服を投げつけると、今度はそれごと毛布の中にくるまって籠城を決め込んだ。が、飛び出ていた毛布の端を掴んで大きく振り上げればころりと出てくる。一緒に作品が散らばったが無視した。
「ほらいい加減にしろ! どうせほとんど儂がやるんだからいいじゃないか」
「だからムラマサだけ連れて行けばいいんだよ!」
「無茶を言うな、大人の世界は体裁ってもんがあるんだよ」
「テーサイなんか滅びればいいんだー!!」
無茶苦茶なことを叫ぶアリシアだが、扉をラルフとクレアが、窓を儂が塞いでいては分が悪い。やがて儂に目を閉じていろと言い、しぶしぶ着替え始めた。
ヒトの姿をとっている間は、儂も目を閉じられる。一度同性のクレアに着替えるまでの見張りを頼んだのだが、いつも以上のすったもんだを起こして遅刻し、上官に雷を落とされた。それ以来、アリシアが着替えるまでの見張りは儂が担当し、彼女も抵抗はするもののあまり着替えに時間はかけなくなった。
「おまたせ」
アリシアの声に目を開ける。“わんぴゐす”とか言う、上下一体型の服装から、しっかり着込んだ緑の軍服姿になっていた。頭のてっぺんで結わえている髪も手櫛で微調整する。
「ああ」
儂も頷き、
◆ ◆ ◆
この世に“魔剣”が生み出されたのは今から百年ほど前。
全部で十二本生み出され、儂はその十一番目としてこの姿にされた。
見た目はただの刀だ。だがその刀身には魔力の流れに沿って脈打つ文様が浮かび上がり、一目で奇異なものだとわかる。大陸東端の島国「ヒノモト」で創られてから、流れに流れて大陸の西にあるゲルマニア帝国に辿り着いた。
人の魂を核に創り出された魔剣は、生半可な人間が触れればたちまち暴走する。何しろ魔法の中でも禁忌と呼ばれる術を使って、魂を無理やり封じ込めているのだ。肉体があれば否応なしにそちらに惹かれてしまう。よほど魔剣と相性が良い“適合者”でなければ、元の宿主と魔剣の魂が体を奪い合い、結果としてどっちつかずの体が暴れまわるのだ。こうなってしまうと、もう殺す以外に解放の手立てはない。
曰くつきの、それも触れた者が死ぬまで殺戮を繰り返すような剣なんて処分できれば苦労しない。だが生憎と当事者である儂らでも
応急処置ではあるが、魔剣を分厚い布で何重にもくるんでいれば触れても暴走する心配はない。
そして幸か不幸か、適合者は相性の良い魔剣に触れても暴走しない。むしろ魔剣の魔力を自由自在に操れるから、適合者――魔剣士は暴走した魔剣に対抗できる唯一の手段とも言えるだろう。ただし、適合しているかどうかは本人たちにしかわからない。闇雲に被害を広げないため、そして有事の際の保険として、各国が水面下で魔剣の争奪戦を繰り広げている。
――というのを、儂は帝国の管理下にある他の魔剣たちから聞いた。
魔剣創造の発案者であるマイルズの故郷として、これ以上の失態はなんとしても防ぎたいらしい。魔剣を回収するために魔剣を動員するとは、なんとも皮肉な話だ。
儂も輸送中に強奪されてから各地を転々とし、何の因果か帝国に住んでいたアリシアと契約してしまうし……。人生(剣生?)、何があるかわからんものだ。
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