仲間はずれの魔剣士(ニードルワーカー)
長久保いずみ
序幕
薄暗い部屋の中、炉の中から舞う火の粉が見える。
槌を振り、鋼を鍛える音が響く。
そして、耳の奥に張り付くような幾人もの呪詛に似た詠唱。
体の感覚がなくなって久しい。空腹も眠気もない。だが自分が死んでいないという確信が、永遠にも似た時間の中ではっきりと己の中にあった。
槌を振るっていた刀鍛冶が立ち上がる。何十回と経験してきたのに、やはり恐怖は抜けないらしい。もう動かないはずの体が震える。無意識に逃げようともがく。
作りかけの刀がゆっくりと差しこまれた。
「――――――――」
声はもう出ない。そのはずなのに、引き絞るような悲鳴が喉から零れた。
刀がゆっくりと引き抜かれる。それと一緒に、自分自身が千切れて離れるような奇妙な違和感が纏わりついた。
最初はただの恐怖でしかなかった。だが幾度となく繰り返されると、次第に別の恐怖に支配される。
自分が中途半端に分離させられているような違和感。それを解消する術は本能的に気付いていた。
まどろっこしいことはしないでくれ。その刀に魂を移すというのなら、はやく、一思いにやってくれ。
そんな懇願は誰にも聞き入れられず、ゆっくりと、ゆっくりと、肉体から刀へ魂を移されていった。
「――そろそろかな」
意味のある音が部屋に響いた。
まだ動く目玉を動かせば、母屋に繋がるふすまを開けて誰かが立っていた。
異国の服の上に羽織を着ている。伊達男のように着崩したその恰好は様になっていたが、感心するつもりはなかった。
伊達男は履物に足を突っ込むと、無遠慮に儂の前に来た。
「もうすぐ貴方は、僕の十一番目の剣になる。今度こそ“声”が聞こえるといいんだけどね」
その言葉の意味はわからなかった。理解することを咄嗟に拒んだ。
「ねえ、“国殺し”さん」
まるで愛する人へささやくように伊達男は言った。
「貴方の最期の声を聞かせてくれる?」
――なに?
視線だけで促せば、伊達男は嬉しそうに続けた。
「次に刺されたら、貴方は物言わぬ剣になってしまう。そうなる前に、目印として貴方の声を聞いておきたいんだ。そうすれば、すぐに僕が適合者かわかるからね」
……嗚呼、そうか。
なぜもっと早く気付かなかったのか。
こいつも儂と同じ、いや儂以上に、道理を捨てた者だったのか。
目的のためならば非道の限りを尽くす。歯向かう者への立ち回り方も心得ている。
罪悪感と虚無感に襲われていた儂の方が、まだ可愛げがあったか。
「――何かおかしなことでも言ったかい?」
伊達男が首をかしげる。知らぬうちに頬が緩んでいたらしい。それだけの力がまだ残っていれば、声の一つも出せるか。
意識して息を大きく吸えば、肺が空気で満たされる。
嗚呼、まだ人間なのだ。数多の人間を、罪なき人々を斬り殺してきた儂でも、この瞬間はまだ人間なのだ。
だが、もうすぐ人間でなくなる。
ならば、せめて呪いの一つでもかけてやろう。
「楽に死ねると思うな! 儂らがくたばるその時まで永劫に生きろ!」
伊達男が驚いたように目を見開く。意味を理解するまでのわずかな沈黙の後、くすくすと笑いだした。
「永遠にかあ……。うん、楽しみだね」
本当に楽しそうに伊達男は笑う。その後ろで槌を振るう音が止んだ。
「あの……」
刀鍛冶が控えめに声をかける。
「ああ、すみません。すぐどきますね」
伊達男が笑いながら下がる。
嗚呼、いよいよか。
声を張り上げたせいで、もう体のどこにも力が入らない。
目を閉じてその時を待つ。
刀が、差し込まれる。痛みに声も上げられない。
それが引き抜かれると同時に、自分もつられて倒れそうな錯覚を覚えた。
視界が明瞭になる。視線は自由に動かせるのに体は動かない。
柱に縛り付けられた男の体と、その周りを取り囲む黒ずくめの集団が目に入る。
磔にされているのは、儂の体か。もっと衝撃を受けるかと思ったが、思いのほか淡泊な感想に自分でも驚く。
浮遊感の後、地面に叩き付けられる。ガランガランと耳障りな音がした。
「やった、できた」
伊達男の歓声が聞こえる。
「さあ、声を聞かせておくれ。あなたは僕の、マイルズ・アンカーソンの最高の相棒になれるんだよ」
子どものように目を輝かせる伊達男に文字通り閉口する。
口がどこにあるかはさておき、しゃべれるとしても応えてやる義理はない。
ろくな説明もされないまま刀に魂を移されたのだ。仮に声が聞こえたとしても、相棒になるなぞこちらから願い下げだ。
「ひょっとして拗ねているのかい? 大丈夫だよ、悪いようにはしないさ。これから世界中をいっぱい旅するんだ。僕らなら怖いものなんてないよ!」
ぺらぺらとまくし立てる伊達男から視線を外し、周りを見る。
疲れた様子の黒ずくめたちが見えた。儂を拘束し、魂を移す儀式をずっとしていたから、同情とねぎらいの念はなくもない。
同じように働き詰めだった刀鍛冶はと探したが、見つからない。
どこへ行った?
あたりを見回すと、伊達男の背後にゆらりと影が立つ。
「っ――!?」
伊達男の顔が驚愕にゆがんだ。体がぐらりと傾ぐ。
「刀に触らせるな!!」
刀鍛冶の叫びに、座り込んでいた黒ずくめたちがびくりと体をすくめた。
伊達男の手がこちらに伸びる。
触れさせてはいけない。
なぜそう思ったかはわからない。だがまだ残る本能的な恐怖が“それ”を生み出した。
轟、と炎が噴き出る。
伊達男も刀鍛冶も、黒ずくめたちも炎にひるんだ。無論、それを生み出したはずの儂自身でさえ、目の前の現象に呆然とした。
「遊んで巻き上げ弾き飛ばせ、
我に返った黒ずくめの一人が叫ぶ。突き飛ばされたような衝撃を体に受けた。
「ぐおっ」
思わず声が漏れる。体はくるくると地面を滑り、伊達男からはるか離れた土壁にぶつかって止まった。
わからないことが多すぎる。
答えを求めたところで誰も持っていない。
だからとにかく、頭に浮かんだ事柄を念じるほかなかった。
炎が膨れ上がる。全身を包まれ、それがヒトの形へ成される。そうしてやっと、自分自身が刀へ移され、人ならざる何かに変えられたと実感できた。
真っ赤な羽織が視界に入る。火の粉がちらちらと舞うが、不思議と熱さはない。
立ち上がると、生前(と言っていいか不明だが)と変わらない目線の高さに安堵した。
倒れた伊達男の上に刀鍛冶が乗って取り押さえている。奴の腰には刃物が刺さっていた。
そこに向けて手をかざす。指先から細い火が紡がれ、一直線に伊達男へ向かって走る。刀鍛冶が弾かれたように飛びのく。入れ違いに火が伊達男に巻き付く。動けない体を拘束するのは簡単だった。
そこまでやって、ようやく息を吐く。
「……刀匠よ」
声は意外とはっきりと出てくれた。自分でも驚くくらい若い男の声。
「このまま殺すか?」
儂の問いかけに、刀鍛冶は呆然ののち、笑みを浮かべた。
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