昼間、うたた寝をした俺は夢を見た。全裸の息子が俺を性的に誘惑してくる夢だ。息子は俺のペニスを美味そうにしゃぶり、気持ち良くなった俺は射精した。俺のイキそうな淫らな顔を息子は一部始終目撃していた。目が覚めると、ひどい自己嫌悪に陥った。夢とはいえ、あまりに官能的すぎたからだ。この夢は俺の願望なのか? これは淫夢なのか悪夢なのか? 俺は木村の息子を抱きたいと思っているのか? 四〇過ぎてもまだ、美しすぎる少年の手管に陥りたいのか?

 起きて温度計を見る。二七度。エアコンのスイッチを入れる。悪夢は部屋の熱さが見せたのだろう。

 俺はゾクッとした。これ以上、息子の告白を聞いてはならない。相手は未成年だ。他人とはいうものの、事実上の保護者と被保護者なのだ。これは性的虐待だ。いくら息子が性的に誘惑したと白状しても、言い訳にならない。これ以上自分の性慾をコントロールできない。


 大学生のとき、サークル仲間に確か本間哲哉という知人がいた、と突然思い出した。年賀状を探してみると本間は精神科医で、数年前、個人事務所としてカウンセリングルームを開設していた。「本間哲哉」で検索してみる。だが単純に精神科医といっても、彼の専門となる精神疾患が具体的にはわからない。しかし、息子は病気じゃない。学校にも毎日通っているし、定期試験の結果は上々である。でも、本間は当然プロフェッショナルなトレーニングを受けていて、息子の話が矛盾しているとか、おかしいとかすぐ気づくのではないのか。

 俺は年賀状に記載された本間の事務所に電話し、直接話した。俺には力不足だからとにかく息子の話を聞いてほしい、どんな診断の結果も受け入れると伝え、カウンセリングの日時を予約した。


 またしても、木村の悪夢を見た。桜はとうに散っていたが、木村の無残な姿は、腐るこkとも朽ちることもなく、ただそこにいた。俺が木村を見ると、木村は力なく笑い、おいでおいでと誘うような手つきをした。

「あともう少しで…あともう少しだ…へへ」

 寝覚めが悪く、起きたらすでに疲労している感じだ。熱いシャワーですっきり目が覚めるといいが、着替えて通勤するあいだ、木村の言いたいことは何か、もしかして、木村の死んだ場所には、彼の事故現場には桜が咲いているのではないかと、俺はまた馬鹿馬鹿しい考えに捕りつかれていた。


 今日の授業は最悪だった。まだ六月というのに真夏のせいで男子も女子も露出度が高い服を着ている。男子学生たちのつややかな肌、引き締まった頬や顎のライン、体格や腕や肩や胸や尻のフォルム、股間が気になって授業に集中できない。下手したら俺の教授室に男子学生たちを誘い、ペニスの二、三本は勃起させ射精させるだろう。いや、それは完全に犯罪行為だ。次の授業は休講にしようかと悩んだが、自分の教授室に鍵をかけ、俺は気を逸らそうとした。授業は十分の遅刻で済んだ。俺は冷静さを取り戻した。

「ただいま! おい聡、いないのか?」

 帰宅した俺は、息子に呼びかけるようにして大声で言った。返事はなかった。リビングもキッチンも暗かった。俺は息子の部屋に入った。やはり息子はいなかった。

(おかしい。奴はとっくに帰っているはずなのに)

 夕食の準備をした。鶏手羽とごぼうと里芋のスープ、アラビアータのショートパスタだ。デザートは、冷やしたアール・グレイのシフォンケーキ。ちょうど料理が完成したころに息子は帰ってきた。

「ただいま…」

「おかえり。遅かったじゃないか」

「うん、ちょっとね…」

 息子は身体をぎこちなく動かし、ゆっくりと椅子に座った。

「どうした?」

「なんでもない。昨日、予告した通りのことだよ」

「大丈夫か? 病院に行ったらどうだ? 怪我はしてないのか?」

「病院に行って、怪我の原因をどう説明するの? 校長にレイプされました、って? …でも、いまなら間に合うかもしれない。校長の精液が僕の身体にまだ残ってるから」

「それ、本当か?」

「全部嘘だと言ったらどうする? 神田さんの息子は虚言癖があるって診断されたら?」

 俺は静かにため息をついて言った。

「嘘なもんか。お前は嘘をついていない。全部本当のことを言ってる。せめてこれを塗ったらどうだ?」

 俺は注入タイプの軟膏を探して、息子に渡した。

「神田さん、僕が言ってること、みんな嘘だと思ってるでしょ?」

「そんなことない。俺はお前を信じる。お前は悪くない」

「たとえアヌスに傷があっても、自分で何かを突っ込んだんだろうって。嘘つきの肛門を広げてみてよ。なかにあいつの精液がたっぷり入っているから。もちろん、告訴する気はないよ。男同士の強姦は日本じゃ罪にならないからね」

「でも校長先生は教育者だろ? 未成年淫行罪があるじゃないか」

 息子は両手で顔を覆い、ソファにもたれて泣いた。

「校長が捕まったら僕はとても哀しい。もう僕とセックスしてくれる男の人はいないから」

「君は、かまってくれることと肛門性交してくれることを混同してるだろう?」

 息子は俺の顔を見て、むきになってこう返した。

「どっちも同じだよ。僕に関心を持ってくれる、僕を見てくれている…両方とも愛を感じるんだ」

 やはり、息子の心と身体は壊れているらしい。俺は昔からゲイの自覚はあったし、 “同類”の匂いを感じたが、息子のセクシュアリティはわからない。“匂い”がしない。男も女も、性的に息子を誘惑することだけが自分への関心、自分への愛とはき違えているんじゃなかろうか。コミュニケーションとは、会話だけでなく、身体の交わりもそうなのだろうか。手っ取り早くセックスすれば、相手と愛し合っている証拠となるんだろうか。それとも、幻想にすぎないんだろうか。

 キリストの受難。それは情熱。パッション。息子の受難も、それに近い。だが俺には、まったくわからなかった。

 俺はカウンセリングの日時を伝え、地図を書いた紙を渡した。息子の緩やかな表情からは何も読み取れなかった。

「神田さん、やっぱり逃げるんだね…」

「逃げる、だって? 俺には専門的診断や治療はできないから、プロにお願いしたんだよ!」

「大声出さないで。向きになってるように見えるからさ」

 息子は鼻で笑ったような気がした。俺がゲイであること、親友の息子を預かったこと、その親友を俺は昔から片思いしていたことを、息子はとっくに見抜いていたはずだ。勘のいい息子は、いつも俺の一歩先を読んだ。これには参ってしまった。話をすればするほど、俺が息子の心理状態に巻き込まれる、息子の手のひらで俺が転がされている、俺が息子に転移してしまいそうで、とても危険だ。

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