Ⅸ
“女らしさの呪縛”に気づいたフェミニストは、聡明だが愚かだった。男に惚れて、男から性暴力を受けて心身共に傷つき、このうえなく男が憎いと公言する。でも“この人だけは違う”と、懲りずにまた男に惚れこむ。まさに永遠のヘテ女ループ。いっぽう、“男らしさの呪縛”に、男たちはまだ気づかない。誰にも悩みを打ち明けない。悩みは弱味になるとすでに知っている。黙って苦しみを抱えてろ、生きてるいまも一人、死ぬまで一人だ。愚かなヘテ男たちめ。
三〇過ぎたころから、もはや俺はゲイ・バーで乱交する生きた貨幣ではなく、死んだ金を払って男を抱くようになった。クルージングする体力も性慾も残っていないし、黙っていても男が寄ってくる若さでもないし、そのぶん男を毎日買えるくらい収入が高くなった。独身貴族は、家族にかける金が極端に低いから、金がどんどん貯まる。マイホームなんて糞食らえだ。
「佐々木さん(俺の仮名)て、大学教授なんでしょ? こんなシティホテルで毎週セックスするなんて絶対お金持ちに違いないと思って。他の客じゃあ薄汚い安宿か公園のトイレで済ますのが定番で、自分がみじめになりますよ」
売り専ボーイは金の匂いに敏感だ。費用対効果にシビアな俺は、ボーイの身体に飽きがくると新しいボーイを指名した。二度目、三度目にサービスの質や性的刺激が強くならないと、払う対価が惜しくなる。
特定のパートナーは作らない。その代わり毎週、日曜の夕方シティホテルで売春夫とするセックスを思い切り堪能した。一度の性交で満足しなかったら、延長料金を払って満足するまで男と交わった。その習慣は、養子をとっても変わらなかった。特に、性の習慣は。
俺は夜遅く帰宅した。部屋に灯りがなく、スイッチを入れるとリビングに息子がいた。
「おかえり。今日は遅かったんだね」
「こんなところで何やってたんだ? 飯食ったか?」
「日曜日はいつも夕食の準備が早いと思ってたんだ。どこ行ってたの?」
「いや、ちょっと」
ソファから出た息子は、俺のほうへ近づいた。
「これ、うちのボディ・ソープと違う匂いがする…」
俺はひやっとした。よりによって息子に勘づかれるとは思ってもみなかった。
「ああ、ジムへ行って汗流したんだ」
「へえ、神田さんが! そうだと思った。身体の線が崩れてないもん。神田さんでも体型を気にする年ごろなのかな、うふふ」
息子に釣られて笑ったが、内心は笑えなかった。咄嗟のときは嘘でごまかすなんて、中学のときと少しも変わらない。ジムはもう言い訳には使えなかった。俺はセックス以外に運動するのは苦手だ。次はどうしようか。あえて「俺はゲイだ」と言おうか。ダメだ、息子の精神衛生上、危険すぎる。この家では、性の話はしないでおこう。
今夜もまた、ノックの音がした。大人の俺が息子を避けているのに、息子のほうは積極的に俺に誘いをかける。どんな話をしたのか、朝になればすっかり忘れている。そのくらい、息子は魅力的に見えた。誰でもその美貌に惹きつけられるだろう。でも今日の俺は違う。夕食後、話があるから俺の部屋に来てほしい、遅くなってもいいから、と言った。
「どうぞ」俺は返事をした。
本や資料を広げ、参照するPCサイトを開いていた。ドアが開く音がすると同時に振り返った。息子が立っていた。息子の様子は一年前と変わらない。甘えて頼る年齢ではないが、いまだ信用もされてない気がした。俺は息子の信用を得ようとしたのだ。息子を眺めて忘我の境地にいるのは、まるで俺が阿呆のように見える。それがいつものことなら、俺が困るのだ。
「今日、担任の冴木先生から、まだ息子さんが来ていませんと連絡があった。どうかしたのか? ん?」俺は息子の顔を見て、なるべく優しく言った。
息子は黙ってベッドに横たわった。
「それは、いじめではないと思うけど…今日はなぜか学校が嫌だって感じたの」
「なぜ学校が嫌だと思ったんだ?」
「みんなにかまってもらえるなら嬉しくて気持ちいいけど…行き過ぎたときは辛い、嫌だって思う」
「みんなって誰? 同級生か?」
「同級生も少し参加してる。残りは上級生だよ」
「いま、行き過ぎたって言ったよね? もう少し具体的に話してくれないかな?」
「なぜか中学校に入ったときから、性的ないじめに遭っているんだ」
「性的ないじめ?」
「うん」
「それはどんないじめなの?」
「最初は、下校のときに二、三人で僕のズボンを降ろし、『ここでオナニーしろ』って」
「従ったのか?」
「従った」
「それから?」
「それから…手で僕のペニスを自分でしごいて射精して、それを飲まされた。動画も撮って何度も見せられたし、ネットで拡散された」
「誰にも言わなかったのか? 脅されたとか?」
「いや、脅されなかったよ。みんなの前で、恥ずかしい格好で恥ずかしい行為をして。本当を言うと僕、すっごく嬉しかったんだ。ネット上でもリアルでも、勃起したペニスをじろじろ見られて、嘲られるのが。学校だけじゃなくて、動画を見た連中が似たようないやらしいことを僕にやらせた。かまってもらえることが、すっごく嬉しかったんだ」
「嬉しかったのはわかるが、行き過ぎたのはどういうことだ?」
「たくさんの上級生たちが僕を集団レイプしたこと。あとは、先生も参加したこと」
「先生が?」
「担任の先生と、ちょっと年のいった先生」
「その先生たちは未婚? 既婚?」
「担任の先生は既婚だけど、年のいった女の先生は未婚だよ。たぶん四〇過ぎてる」
「ちょっと待て、男の先生が君に肛門性交したことはわかるけど、女の先生は?」
「普通にセックスしたよ。ただそれが、先生が僕に射精を我慢させようとして、ゴムなしで…妊娠したら困ると言って、僕が我慢できなくなったら先生はいきなり膣を抜いて、僕の首とペニスを紐で思いきり強く絞めた。そういうお仕置きのルールがあるんだ」
「それは…確かに行き過ぎだな」
「それとね、校長先生も」
「校長も?」
息子は下着を脱いで、剃毛されたペニスと睾丸を俺に見せた。先端は、乳首と同じ薄桃色だ。俺はいきなり下半身が熱くなるのを感じたが、表面的には何気ない素振りをした。
「ここ、毛が生えてないでしょ? 毎日、校長先生が僕を自分の部屋に入れ、ここの毛を一本ずつ抜いて、きれいな性器になって、ご褒美にフェラチオさせられたんだ。すね毛も脇毛も奇麗に抜いて、その度にご褒美のフェラチオ。校長先生の舌がすごくいいんだ。すぐ出ちゃう。僕、毎日でもいいな。欲しくてたまらない」
「毎日ってことは…今日もさせられたのか?」
「うん。校長先生は僕の精液を口に含み、口移しで飲まされた…校長先生のペニスは大きくて顎が外れそうになったし、僕のアヌスには入らなかった。次はローションで僕のアヌスに入れようって宣言したの。僕、身体が裂けちゃうんじゃないかってビクビクしてる」
俺は生唾を飲み込みながら、息子のペニスから飛び出た薄桃色の奇麗な亀頭を銜えたいと思ったが、息子は下着とズボンをゆっくりと履いた。
「ひどいな…」
俺は左手首の包帯を指した。
「これは?」
「…何度も死のうと思って。でも、できなかった。それに、僕一人で死ぬのは理不尽だから…」
包帯を外すと、ケロイド状の傷が数本あった。傷の上に血の滲んだ傷があり、生傷が絶えない。リストカットを何度かしたんだろう。両手の甲にも打ち付けられたような生傷があった。まるで磔の聖痕だ。息子は死に追いつめられるくらい苦しんだ。できることなら一緒に励ましたい。もう少しでいいから生きてみろ。だが俺は一瞬うすら寒さを感じて、励ましも助言もできなかった。人間、いつか死ぬんだ。家族や友だちがいてもいなくても、苦しくても楽しくても、死ぬのはみな同じ。キエティスム。
「もっとひどいのはお父さんだよ」
「なんだって?」
「僕、喋ったら急に眠くなっちゃった。おやすみなさい」
立ち上がった息子はドアを閉めた。息子の告白を俺は信じるのか? それとも全部嘘なのか? たとえ嘘だとしても、睾丸やペニスの周りにある陰毛はまったくなかった。でも、それだけじゃ息子が集団レイプされた証拠は不十分だ。…いや、集団ではない。教員は個人でレイプした。しかし息子にとっては集団連続レイプだ。いや待て、もっとひどいのは…父さんだって? あんなに息子を溺愛した木村が?
その晩、俺は眠れなかった。息子に何を聞けばいいのかわからなかった。息子は朝、いつものように朝食を食べ、平然と学校へ行った。昨夜、息子が言ったことは全部でまかせだったらいいのに、と願った。
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