[…]ホモセクシュアルたちはつねに揺らぐヘテロセクシュアリティの構造をそのままに保つために必要な作り物になるだろう。ホモセクシュアルたちはストレートたちの社会が彼らホモセクシュアルたちを形成するカテゴリー内で、自分の存在とアイデンティティとを見出したのである。それだけではない。彼らはヘテロセクシュアルから区別する空想、すなわちヘテロセクシュアルのアイデンティティを強固にする、内的に排除された差異でもあったのだ。

                     ――レオ・ベルサーニ『HOMOS』


 かつてエイズが蔓延したゲイ・タウンで「わたしたちが見ているのは氷山の一角にすぎません」というロル・V・シュタイン博士の有名な言葉が、エイズの流行全体を示す比喩になった。

 ゲイの医師ハワード・カミングスはこう語る。「幼い彼らは家族から見放された棄民だ。未成年で家出した彼らは、大人の男に身体を売りながらゲイ・タウンに転がり込んだ。ここでは彼らを否定したり批判したり排除したりする者は誰もいない。性的嗜好が肯定された、まさしく理想的なパラダイスだ。彼らゲイたちは解放されたんだ。自分がゲイであることを積極的に認め、大都会の真っただなかで暮らしてきた。この俺もそうだ。生き延びたんだ」

 そのいっぽう、三六歳になる聡明で常識的な彼はこう言う。「訪れるゲイのなかでも、『ここは汚すぎる』とか『見ず知らずの相手の直腸に手を突っ込んで排泄物まみれになるのは嫌だ』と敬遠する人もいる。それは価値観の問題だ」

 彼はオラネコだった。英語でいうならpower bottomというところか。バーで飲んでいたときは積極的に強さ逞しさのアピールをしたが、ベッドでは挿入されることを望んだ。かつての日本の某芸能プロデューサーの性癖とそっくり同じな感じがした。

「皮膚と粘膜は違う。皮膚は鍛えれば鍛えるほど丈夫になるが、粘膜はそうはいかない。ただ傷つくだけだ。自分でもわかっているのに、激しいファックがほしくなる。欲望だけが強くなって、自分の快楽がコントロールできなくなる」

 俺はベアバッキングし、射精し、クリスコ――フィスト・ファッキングの常習者のあいだでよく使われる潤滑剤――をたっぷり塗って殴るように愛撫し、疣のような前立腺が拳のどこかに擦れると彼は身を捩りながら叫んだ。朝が来て、彼はインタビュー前のような形式ばった親しみを表現し、別れた。それ以来、彼とは連絡していない。


 数年前、雑誌で対談取材をしてから懇意にしていたベテラン弁護士の速水航、最高裁検事の高橋和泉と、久しぶりにゲイ・バーで話し、それから近くのホテルに行った。暑気払いと称して、野郎三人でホテルにしけこむのは傍目に怪しいだろうから、ホテトルに電話して適当な女の子を指名した。

十分もしないうちにドアがノックされ、コスプレ女子高生の三十路女が、

「ど~も~、初めましてぇ~、アカネですぅ~」マニュアル通りの莫迦っぽい科白を言い放った。

 アカネは丁寧に化粧を施しているが並み以下の女だ。決して可愛くはない。幼女っぽく見えるが二、三人子どもを生んでいそうだ。乳はデカそうに見えるが形が崩れ垂れているかもしれない。腹も尻もだらしなく垂れてるかもしれない。なんて汚らわしい脂肪だ。化粧の匂いや脂肪や乳臭さが混じって生臭い悪臭がする。いっぽう、若い男の子は肌がつるつるして、髪の毛がつやつやして、きらきらした澄んだ瞳がきれいで、余計な脂肪がなく引き締まった筋肉が浮いて、均整のとれた身体をしている。小さなお尻がきゅっとあがって、たまらない。つい触りたくなる。完璧なフォルムだ。

 たとえば、映画『ベニスに死す(1971)』に出てくる永遠の美少年ビョルン・アンドレセン。当時十六歳の彼は監督ルキノ・ヴィスコンティによって見出された。死の病・ペストが猛威を振るう時代、年老いた孤独なオペラ作曲家アッシェンバッハの心境が痛いほどよくわかる。俳優を始めたばかりのアンドレセンはすでに完璧な黄金の天使であった。避暑に訪れた貴婦人と一緒に行動するタジオは、アッシェンバッハと言葉を交わすことなく、科白もなく、通るだけ。自分に見とれているアッシェンバッハの存在も知らない。美しい野生の子鹿のように、偶然、だたそこにいるだけだ。

 セクシュアリティ問わず、観客たちはみな彼の美貌に目が離せなくなった。ヴィスコンティ監督も原作のトーマス・マンも、ゲイだ。

 たとえば、映画『テオレマ(1968)』の主人公役のテレンス・スタンプは、神々しい雰囲気の気高い美青年である。もちろん、ピエロ・パウロ・パゾリーニ監督もゲイだ。彼らゲイ監督の審美眼は、男たちの容貌をいかにも色っぽく艶っぽく撮る。何より、フィルムに映る青年たちの眼が魅力的で美しい。彼らの視線と目が合い、つい釘付けにされてしまう。

『ソドムの市(1975)』を撮り終わり劇場公開された彼はすぐ、ネオファシストに殴り殺された。映画史上最高の変態監督パゾリーニは、五三歳で亡くなった。『ソドムの市』は「地獄の門」「変態地獄」「糞尿地獄」「血の池地獄」の四つに分かれ、ナチスと思われる独裁者たち(首相・最高裁検事・司祭官)が、ユダヤ人と思われる性奴隷たちを痛めつけ、犯し続け、多くの人の前で糞をひり、その糞を食べ、しまいには無残に殺すという、ホロコースト再現の意欲的な作品だ。それがネオファシストにはとても我慢ならなかった。ある種の優れた寓話も彼らには理解できなかったらしい。

 天才とは、あまりにも過激な表現で真実を貫き、図星を刺された人々は激高して殺害する人たちのことだ。あちこちで奇跡を起こしたナザレのイエスがローマ教皇たちによって排除され、追放され、十字架にかけられ、殉死したように。まさにキリストの受難である。

 映画の若い彼らを観て、俺はぞくぞくした。速水も高橋もそうだ。俺たち三人は、想像上の彼らが上目遣いでペニスをくわえ、喉の奥までゆっくりしゃぶったことに欲情した。このうえなく透明で真実を貫く瞳が俺たちの心にぎゅん、と射抜いてしまったのだ。

 アカネを一瞥した速水は、手慣れた様子で数万円を彼女に渡し、

「はい、ご苦労さん」と冷ややかに言ってすぐ追い返した。高橋は、ひゅ~っと口笛を鳴らした。

「なあ、俺たち全員独身だよな? お互いにバイセクシュアル同士でする結婚はもちろん構わないが、結婚相手にゲイであることを隠して偽装結婚する奴らは、決して許さない。相手とよく話し合い、ゲイであることに相手が納得してから結婚しないと。

 再びノックの音がした。速水がドアを開けると、配達員が荷物を持ってきた。「ご苦労さん」速水はカードで支払い、マッカラン一八年のボトルとトニックウォーター、チーズやサラミ、ミックスナッツを受け取った。

「いい男だった?」俺が速水に聞いた。速水はクール・ビューティらしく恬淡と答えた。

「全っ然。超ブサメンだった。胸がときめく出会いって、そうそうないもんだなあ」

「胸がときめくぅ? 乙女じゃないんだからさあ!」高橋が爆笑した。

「そうだよ? 俺、心は乙女だもん。イケメン王子、ずっと待ってるよ!」速水はしれっと答え、グラスと氷を手早く用意する。まるで手慣れたバーテンダーのようだ。

「神田は? 水割りでよかった?」

「あ、悪りぃな」俺はグラスを受け取って一口飲んだ。

「全然、気にしないで。高橋は?」

「俺、強炭酸。薄めにして。ライムかレモンある?」酒の注文にうるさい高橋はいかにもゲイだ。何でも飲む蟒蛇だが、その日の気分によって慎重に酒を選ぶ。男もそうだ。誰専だが、その日の気分によって慎重に男を選ぶ。

「あるよ。はい」速水はホテルが用意したものから選び、出来上がったハイボールを高橋に渡す。

「ありがとう」高橋がさりげなく言った言葉を速水がすかさず受け取り、眩暈を感じたように驚いた反応をした。

「ちょっと、いまの聞いた? 『ありがとう』って! なんて新鮮な言葉なの?! 久しぶりに聞いた!」

「あ~っ、わかるわかる、法曹界ってすげえマッチョだから『ごめんなさい』と『ありがとう』なんて滅多に聞かないよなあ? 奴ら人間以下だ」

「そうなんだよ! そのくせ被告人には『反省しなさい』ってすげえ強制的なんだよね。自分らで言えっての」

 笑いながら同意した高橋はチーズをつまみ、ハイボールを飲んだ。

「 “正直者は莫迦を見る”なんて、昔の諺はすでに通用しない。昔もいまも“嘘つきが莫迦を見る”。嘘つきの、嘘がバレて莫迦を見るんだ」

速水はロックで、氷をじっくり溶かしながら、ちびちび飲んだ。

「俺ら正直だよな? たまらなく男が好きで、女は大っ嫌いだ。女には接点を持たないようにしてる。アホが感染(うつ)るから」

 俺たちは爆笑した。まったくその通りだった。

「悪いけど、二杯目から自分たちで勝手に作ってね」

「了解」

 冷ややかで突き離したような会話だが、目には見えない細やかな配慮がある。職場では一切感じられない、俺たちゲイ同士の気安さと温かさがある。ときには知的な辛辣さも、皮肉交じりの嘲笑もある。

「女って、なんで男に媚び売るような態度を働くんだ? なんで莫迦で幼稚な演技を、わざとする? 虫唾が走るし、ぞっとする。女ってマジ莫迦なんじゃないかと」

「ヘテ男(お)に当てたつもりなんだろうけど、女本人も無意識に階級を上がりたいって思うんだろうな。いつまでも“白馬の王子”は来ないっつうの。お前なんか選ばれないっつうの。計算づくなのに夢見がちだから、女は損で、哀れで、自己矛盾にあふれてる。非合理的だ」

「それでヘテ男は莫迦な女が好きなんだ。自分も莫迦だから」

「でもヘテ男は、女がいないと自分がダメになると不安になって、彼女を憎む。なぜなら、<自分のほうが女より階級が上だから>。“女のくせに”と侮蔑する。そのくせ、“男同士では花がないから女のいるところで飲もう”って誘う。常套句っていうか、言い訳っていうか、ワンパターンの発言は芸がなくて凡庸だからやめてほしい」

 速水はネクタイを外して、紺のYシャツのボタンを外した。興奮したのか酒に酔ったのか、たぶん両方だと思う。色白の速水は背が高い、高級スーツがよく似合う美青年だ。小顔で脚が長く、モデルかと驚いて誰もが振り向く。振り向いた様子はみなみっともなくてだらしない。ホテルに入る前、速水の美しい容貌に女性たちがうっとりしていた。

 彼は耳にタコができるくらい、見知らぬ老若男女に「なんで結婚しないの? もったいない」と言われてきた。

「結婚なんかするわけないだろう、俺はゲイだ、男が好きなんだ、って、言えればいいんだけどねえ」

 独身の速水は男漁りもしない、パートナーも作らない。どちらかというと、アロマンティックでアセクシュアルな感じだ。それも速水が選んだ人生だ。速水が幸せならそれでいい。

 高橋はとっくに上半身裸だ。いつも鍛えている大胸筋と上腕二頭筋を見せつけているらしい。五〇歳の高橋は日焼けした精悍な顔で、筋肉は素晴らしいが、日焼けしすぎた背中や肩の皮膚が染みのようになり、腹直筋も鍛えているがときどき腹に皺が寄って、だらしない爺さんみたいに醜い。寄る年波には誰もかなわない。速水も俺も、きっとこうなるだろう。俺は空調の温度を下げた。

「いまの峯田首相はどうなんだ? パー券問題で誰かがチクっただろ?」

「そんなに金が欲しいのかねえ。何に使うんだろ。やっぱ女かな」

「ゲイ・マネーは男に払うけど、女には一切払わない」

「のび太は隠れゲイ?」

「まさか! あんな不細工!」

「でも“二丁目に捨てるところなし”っていうじゃんか」

「なるほどね。フケ専、ハゲ専、デブ専、ガチ専、ガリ専。ブサイク専は、あるにはある。でも相当ニッチだと思う」

「アメリカ大統領がジャイアンなら、日本の首相はのび太ってところか。大人になったのび太も、妻子に暴力を振るうのかな?」

「そもそものび太が結婚する資格あるのか?」

「ヘテ男なら結婚するだろうね。相手が誰であろうと」

「強い男にはへつらい、弱い女子どもは支配する。まったく典型的なヘテ男だな。『俺が守る』って何を? 軍事費ばかりかさんで社会福祉費は渋ってて? やつらは立派な高級車や一軒家をほしがるけど、奥さんと子どもにはできるだけ経費を少なくする。見てくれが大事。下着は十年履いててもね。国家もそれと同じだ」

「銀座に女でも囲っているんだろうな。真面目そうな顔してさ、夜の銀座じゃ鼻の下伸ばしてだらしなく笑ってる。あれじゃ醜いピエロだ、醜悪そのものだ」

「ヘテ男はみんなピエロで、自己中心的だよ。自分のペニスと肛門が気持ちよければ、男も女も関係ない。自分らが醜いことは重々自覚しているのに、容姿にはまったく手も金もかけない。それが“男らしさ”だと思っている」

「いつまでも“男らしさの呪縛”“女らしさの呪縛”が解けない連中に、ご苦労さん」

「俺たちは莫迦な女どもを冷ややかに見つめるゲイだね」

「そうそう、俺たちゲイは、子どもが欲しけりゃ迷わず里子を探す。子どもに“自分の分けた血”を望む愚かな親たち。DNAは三代続くと赤の他人になるからね。孫は赤の他人。これは実証済み」

「家事は自分で完璧にできるし、一人でできないときは若い男の子にヘルパーを頼むから大丈夫。眼福、眼福」

「俺たち独身貴族ゲイに乾杯!」

「乾杯!」

 ゲイ業界で一番モテるのは“ノン気(ケ)”と呼ばれる男だ。その気(ケ)がないからノンケ、つまり、男を性的対象にはせず、ただ女の尻だけ追っている、あるいは乳と顔だけ見つめている。ゲイはノンケを何とか自分に振り向かせることが最大の希望で、野望ともいえる、絶望ともいえる。ヘテ男は憧れの対象でもあり、それゆえ憎いのだ。女を愛したノンケ男が殺したいほど女を憎むように。ゲイの二律背反は誰もが持っている。逆に言えば、持っていない奴はゲイじゃない。

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