Ⅶ
大学院でアメリカの大学に留学した俺が研究もそっちのけになったのは、ぶっちゃけサンフランシスコのゲイ繁華街が気になっていたから。HIVの特効薬ができ、もう誰もカポジ肉腫やエボラ出血熱、クリプトスポリジウム症、サイトメガロウイルス肺炎、ニューモシスティス・カリニ肺炎で死なないとわかってからのことだ。俺はインタビューと称して、現地のゲイたちとともに性的な激しい遊び――フィスト・ファック、スカル・ファック、ナチスを想定した全皮革仕様のハードSMなど――を嗜んだ。
カストロ通りから数件離れた「バッドランド」酒場のスウィングドアを押して、オスカー・ウィリアムズが、オフィスを共用しているゲイの心理カウンセラー、ロック・ワイルドを導きいれた。「寝る相手の探しかたを教えてやろう。誰でもできることだ」オスカーはいかにも彼らしく歯切れのよい説明をしてくれた。
ロックは、七年続いた関係が破れて、この秋からずっとふさぎこんでおり、いつも陽気なオスカーは友人の鬱状態にいい加減うんざりしていた。
「あそこの素晴らしい奴を見てみろよ」オスカーは一人の金髪の男を指した。その男はぴったりとしたジーンズを履いていたが、下着をつけていないことは歴然としていた。
「まず、誰かほかの奴があの男に近づいて話しかける。でも、あの男はそいつとはあまり話さないだろう。忘れるなよ絶対に、いちばん最初に近づいてはいけない」
オスカーは意味ありげな眼差しをロックに投げかけ、相手が理解したかどうかを確かめた。三六歳になる心理カウンセラーは続けた。
「誰でも、自分に最初に話しかけてきた者を家に連れ込んだりしないものだ――いかにもがつがつしているみたいだからな。成功するのは二番目の奴なんだ」
ロックは後ろの壁に寄りかかりながら、オスカーの言った通りの光景が展開されるのを見つめていた。オスカーはロックを壁から引き離した。
「だめ、だめ、だめ」オスカーは修道女が過ちを犯した侍者を叱るように、こづいた。「壁にひっついてちゃだめだ。少し前に出て立って自分を目立たせ、みんなに注目させるんだ」
心理カウンセラーとして七年間もゲイの都市サンフランシスコに住んでいたにもかかわらず、オスカーはまだゲイのパートナー探しの複雑さに驚いていた。ロックはいつも長期の関係を好んだが、彼が出会ったなかでオスカーはもっとも浮気っぽい男だった。ロックとオスカーはいろいろな点でひじょうに違っていた。おそらく、だからこそ五年前に出会って以来、つねに変わりなく二人が親友でいられたのだろう。
オスカー・ウィリアムズはジョージア生まれのロック・ワイルドを、人生の高尚な面を理解する南部紳士だと思っていた。ロックのほうでは、オスカーの率直な中西部人らしい気さくさが好きだった。子どものころにそれを培ったのはアイオワの労働者階級のカトリック家庭であり、それはロックの出身である南部のメソジストとは非常に異なっていた。オスカーは深い関係を長続きさせるロックの能力を羨んでいた。だが、彼は素晴らしい愛人と関係を結んだ直後でも活発に性の追求を続け、ロックにはそれが理解できなかった。仕事の上でも、ロックとオスカーは良い相棒だった。二人はサンフランシスコで開業したゲイのための心理カウンセラーとしては先駆者のなかに数えられている。ゲイのカップル治療をはじめて行ったのは彼らだと言ってもよかった。
オスカーはいたずらっぽい笑いを懸命に噛み殺しながら、ロックのパートナー探しがうまくいくように自らお手本を示してやった。そのとき、ロックは皮肉なことを考えていた。自分とオスカーが関係を維持しにくくなったカップルを助けて窮地を切り抜けさせていながら、いっぽうで自分たちは愛情の面で問題をかかえているという矛盾である。ロックはいま一人だったが、それは本人の望むところではなかった。いっぽうオスカーは、一夫一婦(夫)制と個人主義という典型的な問題で、恋人のテネシー・トルーマンと揉めていた。テネシーはオスカーと結婚したがったが、オスカーのほうは大勢の者と性交渉を持ちたがり、そのためにテネシーもいろんな相手と関係してオスカーに見せつけたのである。心理学者の目で見れば、典型的なオスの競争意識だとロックは思った。しかし、そんなことを言ったら、ゲイたちの性行動の大部分――まさにこのパートナー探しの儀式にいたるまで――がゲイの特徴というよりも、男の特徴であるように思えることにロックは気づいていた。
カストロ街に移ってきたころのロックの印象的な思い出は、セックスの後で入ったロマンティックな泡風呂だった。およそ十年前にサンフランシスコ湾岸地域に来たのは、ゲイであることを隠さなくなってからまもなくのことで、精神科医に「異性愛者にしてくれ」と泣きついたときから数えても、あまり月日が経っていなかった。にわかにゲイの解放区になりはじめていたカストロ街で最初の日々を陽気にすごすうち、彼は罪悪感を捨て去り、セックスは兄弟のような優しさに満ちていた。だが少しずつ、性的な相互関係から精神的な面が脱落していった。親密さが失われ、まもなくゲイたちはパートナー探しの効果をあげるために、性をめぐる行動の外面ばかりを取り繕うようになった。
彼らゲイの性行動はしだいに没個性化していった。最初は一人の相手と寝て、一晩中抱き合ったりおしゃべりしたりして、朝になれば一緒にオムレツを食べた。オムレツなんかいくら作ったって退屈だというので、朝食を抜いた。それから夜を一緒に過ごさなくなった。
バスハウスの空気の匂いはどこでも同じで、蓄電池の酸性液と植物性のショートニングを混ぜたような、強く鼻を刺す臭いがした。「アンブッシュ」は、ゲイ男性たちから聞いていた通りいかにも胡散臭い、足を踏み入れかねるようなところだった。そして、サンフランシスコのゲイ男性たちがきわめて推奨するポッパーの販売元でもあった。顧客たちから、上階のSMショップで慎重に売られているアンブッシュ製のポッパーは頭が痛くならないと聞かされていたので、俺は市の免疫調査官ロバート・ジェネシスと一緒にハリソン通りにあるいかがわしいSMバーにやってきた。
「こういうところはどうも入る気になれないな」とロバートは言った。
「俺が入ろう」何でもないことのようにその役を買って出て、俺は聞いた。「何と言えばいい?」
「本物、と言ってる。本物をくれと頼むんだ」ロバートが答えた。
ラベルの貼っていない茶色の瓶をもって戻ってくると、ロバートはそれをしまいこみ、化学分析をするためアトランタに持ち帰った。定期的に、ゲイの疫病が流行するのを確認するために。
遠い過去において、カポジ肉腫やカリニ肺炎の代表的な患者の行動は、アンブッシュ・ポッパーを楽しみながら数百人のパートナーを持ち、彼らが出会う場所はゲイ相手のバスハウスやセックス・クラブだった。これらの風俗産業は、セックスの機会を無限に提供して利益をあげていたのである。アンブッシュ・ポッパーは流行の環境的な手掛かりにはなるにしても、初期の患者たちの性的に活発な生活ぶりを見ると、ロバートは、HIVの原因になったのもしかたがない、とやるせない気持ちになった。たしかに、ヘロインで快感を得る者のなかにはクラブの吸引剤のようにちゃちな薬をもてあそばない者もいる。ロバートがアンブッシュ・ポッパーの検査をさせた結果、それが広く用いられている理由がわかった。ゲイのためによく処方されるイソブチル亜硝酸塩ではなく、純粋のアミル硝酸塩で、サンフランシスコの適当なSMバーを知らないかぎり、処方箋がないと買えない薬だったのだ。アミルで死んだ者は、およそ百年のあいだ一人もいないことを三三歳のゲイ男性は知っていた。
バスハウスへ行けば話をする必要もなかった。次いで「デカメロン・クラブ」や「ファンシー・フェアリー」がもてはやされた。そこでは相手を見なくても仕切り越しにセックスできた。バスハウスが手軽に浮かれて騒げるコンビニエンス・ストア、つまり男色のセブン・イレブンになったのである。俺は左翼的傾向があったから、それを金と実業家の堕落のせいにした。こういう場所がつくられたのは、彼らに金があるからだ。俺自身はそのような性的施設を利用し、九番通りとハワード通りの交差点にある巨大なバスハウスをときどき覗いた。しかし政治的には、セックスの非人間化は面倒な問題だった。
毎週三千人のゲイが、巨大なバスハウス、九番通りとハワード通りの交差点にある「クラブ・バス」に流れ込んだ。その店は常時八〇〇人の客をもてなすことができたのである。心理カウンセラーのロックの見たところでは、無差別で没個性的なセックスに人びとが惹きつけられることの根底には、親密さに対する恐れをめぐる問題があった。彼が見抜いていたように、それはゲイの問題ではなく、きわめて男性的な価値観――異性愛の男たちには想像もつかないほど絶対視された――をやわらげるものがなかった。それはすべての面にあらわれ、バスハウスの従業員の冷たく鋭い視線を感じてまでも、遠慮というものがなかった。乱交が盛んになった原因は、男性ばかりの文化では誰も「否」といわなかったからだ。つまり異性愛の社会で女性が果たすような、ものごとをやわらげる役割が存在しなかったのである。何人かの異性愛男性がそっと打ち明けたところによれば、唯々諾々と男を受け入れる女ばかりがバスハウスにたむろしているんだったら、俺たちだってそこに行って、すぐに相手かまわず安易なセックスしたい気分になる、ということだった。言うまでもなく、ゲイの男たちはじつに頻繁にセックスに応じた。
頻繫すぎる、とロックはときどき思った。人間性を剝ぎ取られたら、セックスは際限もなく強い刺激を求めて、しだいに秘密めいたものとなる。ロックはそれよりも泡風呂のほうがいいと思った。もう一度恋をしたいと願った。
オスカー・ウィリアムズは、ゲイ男性の性についてもっと単純な考えかたをしていた。性の解放に献身してきたオスカーの考えでは、乱交はゲイの罪悪感と自己疎外を払拭する手段で、それを彼らに植えつけたのは一夫一婦(夫)制という古臭い価値観にしがみついている異性愛者の社会なのだった。オスカーに言わせれば、大勢の者とセックスするのを嫌う人間は退屈きわまりなかった。人生とは学習であり、セックスは他の何ごとにも劣らず生き延びるための学習の手段なのだ、と彼はロックに説いて聞かせた。
昼食をとりながら、二人は週末の計画を立て、車でサンフランシスコから北に一時間ほどのところにあるラシアン川岸のゲイの行楽地へ行くことにした。ロックはべつに驚かなかったが、オスカーは後になってその約束を取り消した。体調が優れないと彼は言った。数週間、彼は入院し、原因不明の感染症で死んだ。
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