息子のことを考えると、同時に俺が息子くらいのときの鬱屈とした記憶を思い出す。俺はどんな中学生だったのかを、振り返りたくなくても振り返ってしまう嫌な記憶だ。とりあえず木村という親友がいたが、木村は俺の美しい愛すべき神であるのと同時に、悩ましい誘惑の悪魔でもあった。木村への愛情と憧れと、ともにいる幸福を感じながら、俺にとっては深刻な悩みとナイフで突き刺すような耐え難い苦痛でもあったのだ。この思いを、ナイフで抉った傷痕を、あふれ出る流血を、いっそ木村に洗いざらい告白したら、どんなに解放されるだろうか。その代わり、木村が俺に幻滅し、彼との友情が終わってしまう。それはとても恐ろしい。彼を失うのが怖い。だったらこのまま友だち同士のほうがいい。でも、とても辛い。辛くて辛くて、言ってしまおうかと思うが、言えずに黙っている。言葉が咽喉に詰まって、胸が苦しくて、息ができない。死んだも同然だった。

 それで俺はどうしたか? 両親にも言えず、もちろん木村にも言えず、ふさぎ込んだ俺は深夜の街を徘徊したのだ。通りには酔っぱらいたちがふらふらとやってきて怖かったが、「なんだい兄ちゃん、こっち座れよ」「焼きそばパン食うか? 美味いぞ」と優しい声をかけられて、そのとき俺は、男たちの甘い声に吸い寄せられた。

 苦いビール、飲むと喉に火を感じるウォッカ、テキーラを初めて飲み、煙草を吸い、むせた俺を大人の男たちは笑った。べろべろに酔っぱらった俺を介抱しながら、ある男は俺の下着に手を突っ込み、股間をまさぐった。朦朧とした俺は、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。気づいたときは男たちにフェラチオされ、俺も男たちをフェラチオし、誰のものかわからない精液を飲み、肛門性交していた。前立腺の存在を知って、挿れてくれかき混ぜてくれとせがんだ。代わる代わる男たちがやってきて、まるで蜜を吸う蜜蜂のように俺の裸に群がり、静かに、そしてがむしゃらに乱交した。エクスタシーやゴメオ、スピードなどのセックスドラッグも試してみたが、俺の体質には合わなかった。

 それから俺は、突発的にアルコールを飲んで酩酊し、夜になると街へ来て必ず男たちに抱かれていた。俺の裸はすでに汚れた男たちの手垢がついていた。一人の男が俺を銜え、しゃぶり尽くすたびに、俺と木村はかけ離れた人生の行く末をどんどん歩いていった。木村の人生が幸福な曙光なら、俺の薄汚くて愚かしい人生は泥水を啜り、這いつくばり、いつまでも明けない深夜の、淀んだ沼だった。

 会話なんてまだるっこしいものはお断りだ。黙ってペニスをしごいていればいいし、スペルマを出したら全部飲み干すがいい。相手がゲイであってもなくてもかまわない。ペニスがあればオーケーだ。俺はゲイで、ペニスと肛門と前立腺と未発達の乳首が好きだ。俺は生きた貨幣なのだ。

 傍目には地獄絵図だが、乱交している俺はまるで天上の楽園にいるようで、俺にとってはまごうかたなき救済だった。このときの乱交がなかったら、ゲイの俺はどうなっていたかわからない。たとえば、片思いの男子学生がラインで「自分はゲイです。ずっとあなたが好きでした。いまも好きです」と告白したとする。残酷で人の心がまったくない悪魔のヘテ男学生が、その告白をライングループにアウティング(秘密を暴露)したせいで、ゲイの学生は自殺した。その遺族は学校を訴えた。大学は深刻な問題を抱えてしまい、ネットニュースも大々的に報道され、その記事はバズった。イスラム文化以外、現代の日本でも、こうやってゲイを公開処刑にできるのだ。

 大学で同じ匂いのする奴を見つけ、後をこっそりつける。駅ビルの男性用トイレの個室に、その学生はいた。学生は俺の目を見てゆっくりとジッパーを下ろす。すでに固いものが飛び出る。俺は彼のものをしごく、俺のもしごかれる、旨そうにしゃぶる、しゃぶられる、学生とベアバッキングする。すべて無言で行われる。相手は心を開いて立て続けに質問する。俺は面倒臭そうに、相手の質問に答える。こんな学生を何人見ただろうか。新学期は特に、学生との出会いがある。卒業生はもういないし、新入生のなかには必ず、俺たちと“同じ匂い”がする奴がいる。その学生は誰にも話さず、いつも一人でいる “孤独な匂い”がする。こいつは積極的に孤独でいたいのか、それとも、孤独は嫌だ、誰かと話したい、仲良くなりたいと思っているのか。こういう奴らは、一人は嫌だけど誰にも話せないから、ワンナイト・スタンドの後、心が打ち解けたようにべらべら話すのだ。うっとうしいと思うときと親しみやすいと思うときがある。どのみち、トイレを出ると赤の他人になる。

「中学のとき? 普通に女とセックスしてたよ。僕がゲイに目覚めたときはね、女より男のほうが優しくて魅力的だと気づいたときかな。もちろん女とも肛門性交はしたけど、クリトリスよりペニスのほうが扱いやすいし、終了したことがわかりやすい。セックスした後の虚しさもお互いわかるから、後腐れなくていいと思った。女ってほら、アフターケアが重要だろ? めんどくさいよね」

「女とセックスするってことは妊娠・出産・結婚・家庭を築くという意味で、生涯の伴侶を見つけるため一発ぶち込むのは一番覚悟がいるし、一番ハードルが高い。その点、男同士のセックスは割り切りが当然で、名前も職業もお互い告げず、プライベートも話さない。黙って互いのモノをしゃぶり、腰を振ればオーケー。後腐れなくて都合がいいからさ」

 二〇年後、大学の最寄の駅ビルでベアバッキングした学生と似たような奴をテレビで見た。前途洋々な彼は若手国会議員で、愛すべき妻子もいる。彼は次期防衛大臣か環境大臣に就任する予定であると、そのニュースは報道した。理想的な家族だ。もちろんアウティングはしない。証拠がないから。もし彼がいまもハッテン場で男漁りをしたらどうだろう。しかしハッテン場は日本だけじゃなく、バスハウスとして世界中に広がっている。女を抱くように男を抱く/男に抱かれるのが世界標準なのだ。

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