第25話 「あの子は、自分の気持ちにとても素直なんだ」

「私……帰ります!」


 着物をこぼしたワインで染め上げてしまった華さんが会場から逃げるように去って行って、残された来賓客は「何が起こったのか」とがやがやとしだした。


「え、ええと、お料理を予定通りお出ししますので、皆様はご自由にご歓談を……」


 修介さんのお父様が場を鎮めようと、声を張り上げる。


「……どうしたんでしょう?」


「さあ」


 私の呟きに彰吾くんは肩をすくめた。


「綾子さんが気にすることじゃないですよ」


「そう、ですね」


 そうなのかもしれないけれど。


「それより、この料理美味しいですよ! 綾子さんも食べてみてください」


 彰吾くんは事態を取り繕うように給仕が卓上に出した料理をすすめた。


「ええ。――ああ、本当ですね。美味しい……」


 とりあえず一口食べて、そう言いながらも、華が去って行った方を見つめる。


(華さん……どうかしたのかしら)


 あんなに修介との婚約披露宴を誇らしげに語っていたのに、その場から去るなんて、何があったのだろう。私としては、自信を持って披露宴に参加したかっただけで、別に披露宴自体がどうこうなることを望んでいたわけではない。


 それに駆け出して行った華の後ろ髪に挿さっていた、桃の花のかんざし。

 あれは。


(早矢さん……)


 華さんの姉、間宮 早矢――早矢さんのことが思い出された。


 早矢さんは私より3歳年上で、隊員歴も3年上の先輩隊員だった。

 早矢さんと私の経歴は似ていた。

 

 父親が早くに亡くなったことで、家を継ぎ戸主となったこと。

 女学校を卒業してすぐに入隊したこと。


 私は入隊当初に、早矢さんの所属する隊へ配属になった。

 彼女は面倒見の良い性格で、境遇の似た私のことをいつも気にかけ、家紋の鍛錬にも根気強く付き合ってくれた。


 私は15で両親を九十九つくもに殺されるまでは、家紋の力をしっかりと訓練したことがなかった。また、妖に一度頭を侵された恐怖心が思考回路を邪魔して、入隊当初、任務でいざ本物の妖に対峙した時に、まともに家紋の力を使いこなすことができなかった。妖を前に立ちすくんでしまった私を何度も助けてくれたのも、早矢さんだった。


(周りに迷惑をかけてばかり)


 当時、任務でまともに戦えず、落ち込んで詰め所のすみで膝をかかえてると、


 『綾子の【ほむら】の力は使いこなせれば、とても強力だよ。羨ましいくらい』


 早矢さんは探しに来て、甘い飴玉を差し出して、笑って言ってくれた。


『うまく使えるようになるまで、あたしが付き合うよ』


 その言葉どおり、何日も何日も早矢さんは私の訓練に付き合ってくれた。

 今の私があるのは早矢さんのおかげと言っても過言ではない。

早矢さんは私にとって恩人だった。


 早矢さんと私の共通点は他にもあった。――年の離れた妹がいること。


 地方への遠征から戻ってきた隊員がお菓子を配る時、私は佳世のために、いつも多めに巾着に入れて持って帰っていた。いつものように配られた土産の饅頭を巾着の中に入れていると、同じようにそそくさと巾着に饅頭を詰め込む早矢さんと目が合った。


『――早矢さんも、甘いものお好きなんですね?』


 そう聞くと、早矢さんは顔をくしゃっとさせて笑った。


『あたしも食べるけどね、妹が好きなんだ』


 照れた様子を微笑ましく感じて目を細めた。


『私も妹の分です。――年が離れていて、まだ小学校なんですけど』


『それは随分年が離れているんだね。うちも離れている方だとは思っていたけど。私の妹は――もう来年高等学校か……早いな』


 早矢さんは独り言のように呟いた。


『入学祝いを、買ってやらないと』

 

 何か思いついたように手をぽんとたたくと、私を見て、


『綾子は、装飾品とか、そういうの詳しい?』


『装飾品……? 髪飾りとか、そういうのですか?』


『そうそう、あたしの妹はそういうのが好きなんだけど、あたしは疎いでしょ。妹の入学祝に何か買ってやりたいんだけど、お店とか全然わかんなくって』


 早矢さんは恥ずかしそうに男性隊員のように短く後ろを刈り上げた髪を撫でた。


『なんか良いお店あったら教えてくれない?』


 女性隊員でも、そこまで髪を短くする者は少なかった。

 早矢さん曰く『私の戦い方だと、邪魔だからね』ということだった。

 早矢さんは身体の力を高める間宮家の家紋【若草】の使い手で、妖との戦いはその力で体を強化して格闘戦を行う、というものだった。

 背が高い方の私から見ると女子中学生のような背丈に感じられる小柄な早矢さんが、格闘術でばったばったと妖をなぎ倒す姿は、最初見た時はとても驚いたものだった。


『私も詳しくはないですが――妹の髪飾りなんかはよく買いますよ』


『そうなんだ! どこで買ってるの?』


『中央駅の近くの百貨店に入っているお店によく行きますね。品揃えが良いと思います』


『百貨店――行ったことないや』


 早矢さんは私の手を取ると、ぶんぶん振った。


『綾子、買い物付き合って。綾子にも何か買ってあげるよ』


 私が佳世に言うような言い方に、思わず噴き出したのを覚えている。


『もちろん良いですよ。別に何も買ってくれなくても行きますよ』


『ありがと。助かるよ』


『でも』と何げなく言った。


『妹さんと一緒に買いに行ったら、一番良いのではないでしょうか? 私はよく妹と一緒に行きますよ』


 早矢さんは少し悲し気に顔を曇らせた。


『あたしはどうも妹に嫌われていてね。買い物なんか一緒に行ってくれないだろうなぁ』


『早矢さんが?』


首をひねった。

 明るく愛想が良い早矢さんは、後輩の面倒見も良く、隊の中でも慕われている存在だ。

 誰かに嫌われているというのが想像できない。


『あたしが身なりに気を遣わないのが嫌なんだってさ。『みっともない』とか『恥ずかしい』とか『防衛隊員やるなんて頭おかしい』とかさんざんな言いぐさだよ』


 早矢さんは困ったように笑った。


『それは……すごいことを言う……妹さんですね』


 日々妖と戦って東都を守っている姉に対してそんなことを言う妹がいるのかと驚いて返答に詰まってしまった。


『――あの子は、自分の気持ちにとても素直なんだ。あたしとはぜんぜん性格が全然違うんだよね。昔は仲が良かったんだけど』


 早矢さんはうーんと唸ってから、私の手を握った。


『――というわけで、綾子、こんどの休務日、同じ日にしよ』


 それで、早矢さんと一緒に百貨店に行ったのだった。その時、早矢さんは妹さんの写真を持ってきていた。


『これ妹』


『……』


 じっと写真を見つめた。


 早矢さんと同じふわふわとした髪を長く伸ばして左右で結んだ可愛らしい少女が写真に写っていた。顔立ちは早矢さんと似ているのだが、雰囲気が「女の子」そのもので、昔佳世に贈った外国の人形のようだと綾子は思った。


『早矢さんと似てますね。早矢さんも髪の毛伸ばしたらこんな感じなんでしょうね』


 早矢さんは『そう?』と嬉しそうに笑った。


『本人はあたしなんかと似てない! って言うんだけど』


 早矢さんは店員にその写真を見せて聞いた。


『この子に合うかんざしを見繕ってほしいです』

 

 ――そして選んだのが、慌てたように会場を去って行った華さんの後ろ髪に挿さっていた桃の花のかんざしだった。

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