第21話 (こんなに素敵な人を手放したことを後悔すれば良い)(side 彰吾)

 俺は、養父とうさんとの会話を思い出していた。


(養父さんには貸しをつくってしまったけれど)


 この車は――養父さん――祖父のものだ。

 頭を下げて借りた。


『――何に使うのだ?』


 自動車を貸して欲しいと申し出た俺に、養父さんは重々しく聞いた。

 俺は父を見つめてはっきりと伝えた。

 

「神宮寺家と間宮家の婚約披露に女性を送りたいのです」


「――招待状は来ていたが、お前が参加すると? しかも女性と?」


 対外的には『拾い子』の養子である俺は今まで表立った華族の宴に参加したことはなかった。そんな俺が女性と公に参加するというのは、鈴原家にとって重要な問題だ。

 

「はい」


 頷いて祖父を見据えた。

 表立った場に鈴原家の人間として出席することを祖父は認めてくれるだろうか。

 妖防衛隊に入隊した頃から、祖父には鈴原家の人間として扱われているような気はしていたが不安はあった。


(まぁ、ダメだと言われても行くけど)


 綾子さんをきちんと送るためには、車があった方が良い。

 できるだけ正式な筋道を通せるならその方が良かった。


「――相手は」


「藤宮 綾子さんです。僕は彼女との婚約を考えています」


 今までは綾子さんからははっきりと婚約の提案を「受け入れた」と言われていなかったので、祖父母には彼女とのことは黙っていた。

 だが、先日、綾子さんから「お祖母様と話しをしました」と言われ、「彰吾くんと婚約を考えていることを伝えました」と言ってもらえたので、彰吾の方も祖父母に伝えることにしたのだった。


「藤宮 綾子」


 ふむ、と雅和は誰かを思い浮かべるように頷いた。


「参番隊の隊長を任されている女性だな。――あの藤宮 武ふじのみや たけしくんの御息女か」


 感慨深そうに呟いた祖父の言葉に、俺は少し驚いて聞き返した。


「綾子さんの御父上をご存じなのですか?」


 祖父は元防衛隊の隊員だ。引退した今でも隊の幹部との交流は多く、綾子さんのことを知っているのは当然だと思ったが、今の言い方は「ただ知っている」だけではない、何か特別な感情がこめられている気がした。


「よく知っている――。華族出身でないのに家紋を発現し入隊してきた男だ。強力な【ほむら】の家紋で、討伐数は随一だった」


 養父さんはもう一度呟いた。


「そうか、たけしくんの娘か……」

 

 それから彰俺を見て、


「彼女はお前が巻き込まれた中央公園の九尾の妖討伐の功績を認められて、隊長に指名されたんだったな」


「――そうです」


「お前が防衛隊を志したのは――彼女に何か要因があるのか?」


「俺は――彼女に憧れて防衛隊員を目指しました。――彼女のおかげで俺は鬼にならずに済んだ」


 妖に鬼にさせられそうになり、生還した者は少ない。

 一度鬼化されそうになった者は体内に妖の妖気が入ってしまっていることから、他の妖に目をつけられたり、残った妖気の影響で時間が経ってから鬼になってしまうこともある。


 そのため鬼化から生還した者は対妖防衛隊から経過観察の対象となる。


「――そうか」


 祖父は重々しく呟くと苦笑した。


「本来、婚約は親が取り決めるものだが――勝手に婚約を考えているとは、お前は本当に放蕩ほうとう息子だな」


『放蕩息子』


 実の子どもに投げかけるようなその言い方に驚いて、俺はぽかんと口を開けた

 小さいころから、どこか『よそ者』として取り扱われてきたので、そんな言い方をされたことに面食らってしまった。


「――なんだ?」


「いえ……」


「妖防衛隊に入隊してからのお前の隊員としての働きについて、引退者としてよく聞いているよ。――鈴原家の家長として、誇りに思っている」


「それは、ありがとうございます……」


 祖父は「こほん」と咳払いをすると続けた。


「藤宮さんを、近く家に招きなさい。歓迎しよう」


***


(今日の披露宴が終わったら、正式に家に招待させてもらっても良いかな。綾子さんのご家族に俺もご挨拶できたわけだし) 


 一足先に車から降りて、綾子さんのために助手席の扉を開けながら、そんなことを考えていた俺だったが、扉から外に出た綾子さんに「ありがとう」と微笑まれてた瞬間、思考が飛んだ。


(……今日の綾子さんはいつもに増してきれいだ……)


 洗練された瀟洒しょうしゃなデザインの濃藍のドレスは、綾子さんの凛としたイメージに良く似合っていた。


「彰吾くん?」


 「は!」と意識を戻してみれば、顔を覗き込むように見上げる綾子さんと視線が合った。


「すいません、つい綾子さんに見惚れてしまって」


 正直にそう言うと、綾子さんは照れたようにうつむいて「ありがとうございます」とやや小さい声でつぶやいた。


(本当にこの人は……格好良くて綺麗なのにかわいらしいな)


 俺は思わず拳を握った。一呼吸置いて気持ちを落ち着かせると、綾子さんの手を引いた。


「行きましょうか」


 会場に向かう途中。来客たちがちらちらと綾子さんと俺に視線を送ってくるのを感じた。

 当たり前だ、と俺は誇らしい気持ちになった。


(綾子さんはこんなに綺麗なんだから、みんな見るに決まっている――見て欲しいような、見て欲しくないような……)


 複雑な気持ちだった。

 きれいに着飾っている普段と違う綾子さんの姿を他の人に見せたい気持ちもあったし、自分だけが見ていたい気持ちもあった。


 ただ、


(――神宮司さんには見て欲しい)


 綾子さんと交際する席を開けてくれた神宮司さんに対しては、俺は感謝の念も感じていたが、それ以上に綾子さんの気持ちを傷つけたことに怒りを感じていた。

 

 対妖防衛隊に入隊して、希望通り綾子さんの近くで働けることになった時。参番隊の隊長を務め、自隊の隊員からの信頼も厚く妖の討伐数も随一、文字だけでも賞賛慣れしていそうな綾子さんが、どうしてこんなに腰が低く自身が無さそうなのか疑問に思った。


(この前、綾子さんが自分のことを話してくれて嬉しかったけれど)


 綾子さんの母親が妖により鬼化し、それを父親が相打ちの形で討伐し、二人とも亡くなったということは俺も知っていた。――が、綾子さんが鬼化しそうになったということまでは知らなかった。


 「鬼化」は弱い心に付け込まれた「不名誉なこと」という認識が、特に家紋を持つ華族の間にはある。それ故華族は皆親族の誰かが「鬼化」した場合、その事実はできる限り隠そうとする。俺も鬼になりかけた事実は、外には漏れていないはずだった。


 だから綾子さんがその隠された事実を自分に伝えてくれたことは嬉しかった。


 けれど。


(綾子さんは、自分を責める人だ)


 ――私は、本当に『私なんか』なんですよ……。


 下を向いてそう言った綾子さんの自虐的な表情を思い出して、俺は胸を痛めた。


 彼女のことだ。神宮司さんに婚約破棄を告げられた原因は自分にあると、自身を責めたに違いない。


(神宮司さんがありえないのだから、綾子さんは怒ればいいのに)


 綾子さんと婚約しているにも関わらず、別の女性と交際した挙句、婚約破棄後すぐにその浮気相手と婚約。誰が聞いても綾子さんが怒って良い状況だ。

  ――それなのに、俺はいままで一度も綾子さんの口から神宮司さんを非難する言葉を聞いていない。


(そもそも綾子さんの婚約者にはふさわしくなかったんだ)


 俺は「神宮司 修介」について、彼が綾子さんの婚約者だと知った時によく調べた。


 隊員を多数輩出する「神宮寺家」の四男。強力な攻撃系の家紋【雷霆らいてい】の力を持つ、肉体派の隊員で、妖の討伐数は多く、隊員としては優秀。東都周辺部を守る五番隊の柱となる隊員だが、中央警備の壱番隊への配属を希望しており、上昇志向が強い。背が高く、屈強ながら整った顔立ちで、女性関係は派手。家を継げないからか、婿入り先の戸主になりたがっていた。それが理由で、藤宮家から綾子さんとの婚約の話を持ち掛けられ、見合いをし、婚約した。


(綾子さんと婚約できたなんて、本当に羨ましい限りなのに……)


 綾子さんと神宮司さんが街中で会っているのを見に行ったこともある。

 普段と違った晴れ着姿の綾子さんに、修介は特段反応する素振りもなかった。

 ただ自分の話をずっと話続け、綾子さんはそれを笑顔で聞いていた。


(綾子さんが楽しいならそれで良いと思っていたけれど)


 綾子さんが勤務中何となく元気がない様子だと心配していたところに、神宮司さんが綾子さんとの婚約を破棄したという話を耳にした。それも、医療部隊に所属している別の女性と浮気をし、あろうことかその女性と今度は婚約したという。


(こんなに素敵な人を手放したことを後悔すれば良い)


「お名前をお伺いしても……」


「藤宮 綾子と、鈴原 彰吾です」


 受付の女性に聞かれて、誰にでも好かれると自覚している笑顔でそう答えた。

 彼女がぽっとした顔で自分を見つめたのがわかった。

 このような視線を向けられることには慣れている。


「綾子さん、上着をいただきます」


 綾子さんの羽織を預かると受付に預け、「行きましょう」と彼女の手を引いた。

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