第17話 妹とお出かけ

 彰吾くんと「お試し」の交際を初めて二カ月が経った休日、私は自室で手帳を見つめていた。

 週に1度は休務日があるが、この二月は彰吾くんと予定を合わせて休み、出かけることが多かった。さすがに異変に感づいた他の隊員を代表して、副隊長の波佐間はざまさんに『隊長、――その、鈴原と最近――いえ、なんでも――』と気まずそうに聞かれたため、さすがに今回は休みをずらしたのだった。


(――1人でも、やることはたくさんあるのだけれど)

 

 もりっと膨らんだ手帳を眺めてため息を吐く。


 もともとこの手帳には日記をつけていた。

 彰吾くんと交際を始める前は事務的な内容しか書いていなかったのだが――最近は。

 彰吾くんと出かけた際に見た映画の半券などを貼り付けていたら、薄かった手帳が大きく膨らんでしまった。


(何だか、やる気がしないわ。彰吾くんは今働いているのよね)


「様子を、聞きに行こうかしら。私は、隊長なのだし。休みでも行ってもいいわよね」


 ぼんやりとそう独り言ちたところで。


「――お姉さま、何をしているんですか?」


 後ろを見ると、佳世が襖から顔をのぞかせていた。


「あら、佳世。どうしたの?」


 私はさっと手帳を隠した。

 妹は指をくるくる回しながら言った。


「お姉さま、最近お休みの日はどちらに行っているのですか? 佳世もお姉さまと一緒に出かけたいです」


「佳世――」


 私は自分が恥ずかしくなった。


(私ったら、浮かれて、家族のことを忘れてたなんて)


 以前は休みの日は佳世を街に連れて行くことが多かったのに、最近はぜんぜん相手をしてあげられていなかった。

 佳世自身の口からこんなことを言わせてしまって、胸が痛い。


 私は急いで妹の手を取ると、言った。


「出かけましょう! あなたの行きたいところ、どこへでも! どこに行きたい?」


「えぇと……、お姉さまと一緒ならどこでも……」


「――」


 私は少し瞳を潤ませた。


「新しいお洋服を買いましょうか。それから美味しいものでも食べましょう」


 妹の手を引いて玄関を出ると、「ワン」と声がした。

 見れば、武蔵が散歩用の紐を口に咥えて尻尾を振って門の前に立っている。


「――あなたのことも、最近構ってあげられていなかったものね」


 私は愛犬の頭を撫でて微笑んだ


「武蔵も一緒なら『さくら』に行きましょう」


 武蔵を連れて百貨店などに出かけるのははばかられる。『さくら』なら連れて行っても歓迎してくれるだろう。


***


 愛犬と妹と連れ立って友人の店を訪れた。


「開店前なのにごめんね」


 暖簾のれんをくぐると、桜は夜の料理の仕込み中だったのか割烹着姿で奥から出てきた。横から3歳になる息子がひょこりと顔をのぞかせる。


「綾子ならいつでも歓迎よ。あら、佳世ちゃん、武蔵久しぶりね」

 

「お久しぶりです」


 佳代は礼儀正しくちょこんと頭を下げた。桜は息子にも「挨拶しなさい」と促す。

桜の幼い息子は「こんにちわ」と佳世の動きを真似するように頭を下げた。


武蔵を店の中庭につなぎ、縁側に腰掛ける。


「『菊屋』のお饅頭よ。佳世ちゃん、好きだったでしょう」


 桜が百貨店に入っている菓子屋の饅頭を持ってきてくれた。

 佳世は「わぁい」と両手を上げると飛びつこうとしてから、自分を見つめる桜の息子の視線に気がついて立ち止まった。それから、こほんと咳払いをして、彼に微笑んだ。


「お姉さんと一緒に食べましょう」


 そんな光景を見ながら、私は目を細める。


「佳世ったらお姉さんぶっちゃって……」


「佳世ちゃん、うちの子の面倒見てくれて助かるわぁ。ありがとうね」


 仕込みがひと段落したのか、桜は割烹着を脱いで「よいしょ」と私の隣に腰掛けた。


「お疲れ様。お茶を飲む?」


 店の中は勝手知っている。私は立ち上がると、厨房に入ってやかんを持って、佳世に声をかけた。


「佳世、お水出してくれる?」


「はい」


 佳世は手をくるりと回して、【清流】の家紋を発動した。

 やかんの中にとぽとぽと水が湧き出る。

 私も【焔】の家紋を発動すると、やかんの周りを炎で包んだ。

 あっという間にお湯が沸く。


「おかーさん、すごい」


 桜の息子は口をぽかんと開けてその様子を見ていた。


「本当、便利よねえ。家紋術って」


 桜は呆れたような感心したような微妙な表情で呟いた。


「私も家紋が使えたら料理が捗るのだけど。【清流】なら洗い物が楽そうよねえ。【焔】なら火をつけるのが楽だし……学校でも、放課後にお餅焼いてくれてたものねえ、綾子」


 私は友人の口を押えた。


「ちょっと、そんな話しないでよ。恥ずかしい」


 佳世はずいっと桜の方に身を乗り出した。


「桜さんって、お姉さまと同級生なんですよね?」


「そうよ。いつもあなたのお姉さまには勉強を教えてもらっていたわ」


 目を細める桜に、佳世はもじもじしながら聞いた。


「――桜さんの旦那様って、婚約者だったのですか?」


 桜は少し目を丸くした。


「こら、佳世。いきなりそんなことを聞くものではないわよ」


「いいわよ、いいわよ。気になるのよね、佳世ちゃんも」


 桜は「ふふふ」と微笑んだ。


「私の夫は婚約者ではないわ。奉公先でお勤めしていた人よ」


「奉公……」


 桜の家も家紋を継ぐ華族だが、桜は家紋を持っておらず、妾の子だったため女学校卒業後は奉公に出されていた。奉公先はしっかりとした料亭ではあったが。


「そういう話に関心が出てくる年頃よねえ」


 佳世は恥ずかしそうに指をくるくると回す。


「お友達には婚約者がいる人もいるんですけど……、私はそういう人はいないですし……」


私はお茶を運びながら補足した。


「そんな小さいころから婚約だのなんだのは早いんじゃないかって、お祖母様も言っているわ」


 私のお母様――娘に婚約を強制して家出されたことへの反省なのだろう。

 お祖母様は私についても、佳世についても婚約者を急いで決めることはしなかった。

 全く結婚の素振りを見せない私については見るに見かねて修介との縁談を持ってきたのだが。


「そうよねえ。そうでなくたって最近は本人たちの意思で自由に交際っていうのも流行りだし……。ねえ、綾子」


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