第11話 出会い(2)(side彰吾)
『大丈夫です、大丈夫。あなたは悪くありません。妖の影だけ焼き払いました』
彼女は身体を離し、子どもに言い聞かせるように語り掛ける。
『妖……』
自我がはっきりしてきて、俺は自分の情けなさに拳を握った。
(俺は……いったい何をしていたんだ? さっきのは……妖に取り憑かれそうになっていた?)
人の負の感情を喰らう異形の化け物。人に取り憑くと、その人間を鬼に変える。家紋の力を持つものとして、その存在は知っていたが、実際に目にするのは初めてだった。
『熱い! 熱い! 熱い!!!』
そんな声と共に……、巨大な狐が姿を現した。
大きさは俺の背丈と同じほど。口が耳まで裂け、鋭い牙がのぞいている。
そして、尾は九つに分かれていた。
尻尾をぶんぶん振り回しながら、狐は転げまわり、噴水にぶつかった。石造りの噴水にひびが入り、水が地面に流れ出す。
『おのれぇぇぇ』
この世の物とは思えない声で、九尾の白狐は俺たちを睨んだ。
俺は殺意を向ける妖の姿に、身がすくんで動けなかった。
そんな俺の前に、黒袴の女性がすっと歩み出た。
『そちらの親子をできるだけ遠くに連れて行ってもらえますか?』
俺の方を振り返り、落ち着いた声で微笑みながらそう言う彼女に、一瞬見惚れて息を呑んだ。
『あなたは……』
『私は対妖防衛隊の隊員です。さぁ、早く。伝書烏を飛ばしたので、応援がすぐ来るはずです』
とん、と彼女に肩を押されて、はっとした。
(――俺はここにいても役に立たない。自分にできることを、しろ)
腰を抜かして青い顔をしている男の子を背負い、身重の母親の手を引いて小走りで広場から離れる。
『異形の者よ、灰に帰れ!』
周囲に響いた凛とした声に一瞬立ち止まり振り返ると、その女性が掲げた腕に、紅蓮の炎が巻き付いていた。
(炎の……家紋……)
その光景を目に焼き付けながら、子どもを担ぎなおし、母親の手を引いて駆け出した。
公園の出口までたどりつくと、俺は親子に地面に頭がつくほど深く頭を下げた。
『本当に、申し訳ありませんでした!!!!』
『いいんです、いいんです、この子も、私も無事ですから……』
母親は頭を上げてくれと促したが、俺はひたすらに頭を下に下げ続けた。
(あの
そうしていると、黒塗りの自動車が乗り付けた。――政府の自動車だ。中から先ほどの女性と同じ黒い袴に身を包んだ者たちが駆けだす。彰吾たちに気づいた男が慌てたように駆け付けた。
『君! 妖を見たか!?』
『中央広場の噴水近くで……今、女性が1人で戦ってくれています』
『藤宮くんか! 君たちは無事だな! 救援部隊がくるまでしばらく待っていてくれ!』
そう言うと、見守りの隊員を1人残して、彼らは公園に向かって駆け出して行った
(対妖防衛隊……『藤宮』さん……というのかあの
無意識のうちに拳を握った。
家紋を持っていながら何もできなかった自分が悔しかった。
それ以上に妖に心に入り込まれた自分の精神の弱さが悔しかった。
(情けない、情けない)
頭の中で「情けない」という言葉を繰り返し続けた。
母親にも父親にも見捨てられたことなど、仕方ないものだと諦め、とっくに乗り越えていたつもりだったのに。
(全然、乗り越えられてなんかいないじゃないか、全然! この年になって!)
――情けないよなァ
その時、また先ほどの囁き声が耳元で聞こえた。
(お前親に棄てられてるんだなァ。頭に来るだろォ。お前の親一緒に殺してやるよォ)
先ほどの、妖。頭でそれがわかっても、身体は固まってしまった
(――私の本体はァ死にそうなんだよ。助けておくれ。受け入れてくれれば情けないお前に力を上げられるよ)
猫なで声で妖狐は囁く。ぞわわわわと背筋に悪寒が走った。
また、妖が自分の中に入ってくる。身体が動かなかった。
(また動けない、情けない、情けない、情けない)
『情けない』という言葉が頭の中で加速して回転する。
その度に身体が妖に浸食されていく。
『君――妖に……っ」
見守りについていた隊員が、母子を背中に隠して彰吾の前に立ちはだかった。
手を自分に向けて、家紋を発動しようとしている。
――こいつは私ごとお前を消そうとしてるよォ、正当防衛だ。喰っちまえ――
頭の中で妖が叫んだ。――しかし、
『大丈夫です、大丈夫。あなたは悪くありません』
子どもを襲いそうになった自分を止めてくれた、あの女性の柔らかい声が蘇って、俺は「情けない」という心の声の連呼を止めた。
(呑み込まれるな! 妖なんか追い出せ!)
自分の胸に手を当てると、念じた。
その気持ちに応えるように、腕に刻まれた家紋が光り、風が巻き起こる。
家紋術で生み出された風は、体の中に残った妖の妖気を吹き飛ばした。
『――君も家紋を持っているのか――自分で追い出すなんて――』
俺に向かって手を向けていた隊員は驚いたように呟いて、その手を下してくれた。
『俺にも、できる』
自分の手を見つめて呟いた。
その時、どん! どん! と何かが争うような音が、噴水広場の方から聞こえてきて、振り返った。
彼女はあそこで、炎の家紋の力を使い、妖狐と戦っているのだろうか。
自分のように、家紋を憎むだけの存在とは違い、彼女は家紋の力で人を守っている。
凛とした姿を思い出し、俺は拳を再度握った。
それは、先ほどまでのように「情けない」という自責のために握ったのではなかった。
新たな決意のために握ったのだった。
(――家紋を憎むのではなく、家紋の力で人を救える人間になりたい。彼女のように)
――そして俺は卒業後の進路として対妖防衛隊への入隊を希望した。
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