第13話 過去の記憶と、過去の決別――

「お兄ちゃん! ただいま!」

「おっ、一夏か。お帰りっていうか、俺も丁度家に帰って来たところなんだけど」


 津城芹那つしろ/せりなと一緒に過ごした日の夕方。

 蓮見達紀はすみ/たつきは街中の喫茶店を後に、元気を取り戻した芹那と別れ、帰路に付いていたのだ。

 夜六時過ぎの今、自宅に到着し、達紀は玄関先で妹の一夏いちかとバッタリと出会う。


「そういえばさ、部活見学はどうだった?」

「よかったよ。楽しかったし。それでね、唯花と一緒にね、料理部でお菓子を作ったんだよ」

「そうなのか?」

「うん、食べる?」


 二人は自宅玄関で靴を脱いで、家の中に上がる。


「じゃあ、食べようかな」

「ちょっと待っててね」


 一夏はリビングの方へ向かい、そこのダイニングテーブル上に、通学用のバッグから取り出した袋を置いていた。


「お菓子って、どんなお菓子?」

「これだよ。クッキーなんだけどね」


 袋の中身を見せてもらうと、動物の形をしたクッキーが沢山あったのだ。

 バッグの中に入れ、走って帰宅していた事もあってか、砕けたクッキーもチラホラあった。


「一夏は、部活は決められた感じ?」

「んー、一応ね」


 リビングのダイニングテーブルにて、向き合うような形で椅子に座っている二人。

 一夏は動物の形をしたクッキーを食べながら、少々悩んでいるようだった。


「それで、何にしたんだ?」

「んー、そうだね。唯花と一緒に話して、料理部にしようかなぁって。唯花は料理を上達させたいみたいだし」


 一夏は考え込みながら話していた。


「そっか、じゃあ、料理部に決定かな?」

「でも、ちょっと誘われているところがあるの」

「どこに?」

「サッカー部に」

「サッカー部?」

「うん。選手としてではなく、マネージャーとしてなんだけどね」


 一夏は難しい顔を浮かべていた。


「そういう事か。でも、どうして?」

「私、唯花と一緒にパソコン部にも立ち寄って来たんだけど。そこのパソコン部の部長からこれを貰って」


 そう言って一夏は、一冊の本をバッグから取り出したのだ。


「これなんだよね」


 一夏が見せてきたのは、一冊の小説。

 その表紙には、“サッカー部のマネージャーが、ビジネス書を読んだら”的なタイトルが書かれており、セーラー服を身につけた女子高生のイラストが描かれている。


 一昔前に、世間的に大流行した感じの小説であった。


「この本を持って校舎の廊下を歩いていたらね。サッカー部のマネージャーから話しかけられて、意気投合したの。それで一日でもいいからマネージャーとして活動してみないかって」

「そういうことか。でも、今時、その小説を知ってるマネージャーがいるのも珍しいな」


 その本はサッカーのサカとビジネスのビジを取り、略してサカビジだ。


「そうだね。でも、マネージャーもいいかなって」

「でもさ、唯花とは一緒の部活に入る予定じゃなかったか?」

「そうなんだけど。そこについて悩んでるの。唯花は料理部がいいって言ってるし。悩ましいところなんだよね」


 一夏は小説の表紙を見ながら唸っていた。


「でも、今は見学期間中なんだし、なんでも挑戦した方がいいと思うよ。俺も入学当初、適当に決めてしまって上手くいかずにやめたわけだからさ」


 過去のトラウマが蘇る。

 何かを決めるなら、真剣に向き合った方がいい。

 誰かが言ったからとか、周りに流されると後々大変な事になる。

 達紀は昔、そういう経験をしたからこそ、そういった考えを持っているのだ。


「確か、そんなことを去年言ってたよね、お兄ちゃんって。んー、だったら、試しにサッカー部のマネージャーとして活動してみるね。無理だったら唯花と一緒の料理部にするし。自分に向いてたら、正式にマネージャーとして入る事にするよ」


 一夏の中でハッキリとした方向性が定まったらしい。

 妹はホッとした笑みを零しながら、楽しそうにクッキーを食べ始めるのだった。


「その本、俺も見たいんだけど」

「お兄ちゃん、読む?」

「一応ね。昔読んでたんだけど、ずっと前の事で内容を覚えてないんだよね」


 達紀は妹から、その小説を貸してもらい、ページをめくってみた。

 その当時からしたら、かなり珍しい作品で世間的にはすぐにヒットしたと思う。

 テレビでも取り上げられ、気が付いた頃にはアニメ化、映画実写化もされた気がする。


 小説を読み直してみると、その当時の記憶を思い出せるのだ。

 懐かしい気分になる。


 物語としては、とある高校に通う女子高生が、色々なビジネス書を読んで、組織的に効率的に行動するためにはどうすべきかを考えていくのだ。

 そして、最終的には最弱なサッカー部を勝利へと導くといった内容であった。


「そういえば、お兄ちゃんって、そういった本を読んで小説を書いていた時期があったと思うけど。その後どうなったの?」

「あ、そ、それはだな……アレは黒歴史だから忘れてくれ」


 中学一年生の頃。そのサカビジに感化され、衝動的に小説を書いて、それを投稿サイトに掲載していたことがあった。

 でも、結果は悲惨なものだったのだ。

 あまり思い出したくない思い出である。

 達紀はクッキーを食べながら頭を抱えていた。


「そ、そうなんだ。わかったよ。そこには触れない事にするね」

「ありがと。そうしてくれた方が助かるよ」


 達紀は小説を閉じ、テーブルの上に置いた。


「これ、返すね」


 達紀は対面上の席に座っている妹に渡す。


「一夏は、その本を読んだことあったっけ?」

「無いよ。でも、これも何かの縁だし、読んだ方がいいよね」

「そうだな。マネージャーになるなら、そういう小説を読んだ方がいいんじゃないか?」

「じゃあ、今日からでも読もうかな」


 一夏は一旦、クッキーを食べるのをやめ、小説を読み始めていた。


「だったらさ、俺。今日の夕食を作るよ」

「え、お兄ちゃんが?」

「作るっていうか。今からスーパーに行って総菜を買ってくるだけなんだけどさ。一夏はその本を読んでるなら、今日は俺に任せてくれ」


 達紀は自信ありげに言う。


「じゃあ、お願いね、お兄ちゃん。やっぱり、頼りになるね」

「そんなことはないさ」

「でも、お兄ちゃんって。明るくなったよね」

「そうかな?」

「そうだよ。ずっと過去を引きずって、悩んでいるような表情ばかりだったし」

「まあ、それも、津城姉妹のお陰かもな」


 桜井茜さくらい/あかねにフラれた件もあり、数日前までかなり悩んでいたのだ。

 そのため、達紀は表情が暗かったのである。


 今年の新学期初日。

 唯花ゆいかと学校で出会っていなかったら。

 バイトをしていなかったら、芹那とも関わる事もなかっただろう。


 一夏には今まで心配をかけてばかりだったが、今日からは妹のために、自分が出来る事をしていきたいと思う。

 津城姉妹のためにも――


 達紀は椅子から立ち上がり、総菜を購入するために自宅を後にする。

 スーパーまで駆け足で、風を味方にするように向かって行くのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る