『水上跳ぶイルカは野良猫の夢を観る』


(注意、今回、此方の本文に恋愛要素は全くと言って良いほど、ありませんが、軽い女性同士の恋を多少なりとも彷彿とさせるものがあるかもしれません。

然しそれは恋の類ではなく、絆や思慕に似たものかと受け取ってもらえたら嬉しいです)


以下、本文となります。⇩



巨体を持つイルカ呼称される大きな動物は一度大きく飛躍すると、派手な飛沫をあげて係員の指示通りにまた水面へ戻って行ってしまった。


深い水槽の中をすいすいと泳ぐイルカを見て、観客席の隣に腰をおいていた八歳の長谷咲良は三つほど瞬きをすると、感嘆の溜息を洩らすように呟いた


「イルカも結構跳ぶのね」


そんな咲良に対して、その隣に座る七歳の少女


咲良の妹のちゆりは瞬きを忘れ、水槽の中を滑らかに泳ぐイルカを、透明なガラスに水槽が隔てられていることも忘れて見入っていた。


ちゆりは咲良へ、ふと疑問に思ったことを口にした。『わからない事があったらなんでも訊きなさい』と咲良がちゆりに幼い頃からちゆりの耳に胼胝ができるほど口酸っぱく言っていたからでもあった。


「ねぇ、お姉ちゃん、イルカはどうして指示をされないといけないの。自由に跳んではいけないの」


「それは、係員の指示に従わなければ餌がもらえないからでしょう」


「そうじゃぁなくって」

「じゃぁ、何が言いたいのよ」


「どうしてイルカはこんな窮屈な水槽なんかに、水族館にいなきゃいけないの?このイルカだって、もっと自由に海を泳いで跳んでいたいに決まってるのに!」


ちゆりがおかしいよ!と怒るように言えば咲良は「まぁた始まった」とばかりに溜息をついて、頰に手をついたので、ちゆりは頰を膨らませた。そんなちゆりのことなどお構いなしに咲良は呆れたように言う


「水族館にイルカが居なかったら私たちはイルカを見れて居なかったでしょう。たしかに、イルカはもっと海の中で自由に暮らして居たかったかもしれない。けれど、イルカはイルカで此処の水族館にいる事がきっと幸せなのかもしれない。それとも、なぁに、ちゆりはイルカの気持ちがわかるの。イルカと話でもできるの」


「ちゆりは人間だから、動物とお話しなんてできないよ」

「じゃぁ諦めなさい」


「だから、ちゆりはイルカになる」


ちゆりはふらりと立ち上がって、まだ段差のある階段を覚束ない足取りでよじよじと危なっかしく降ると、イルカのいる水槽を優しく撫でて、姉の咲良に言った。


「ちゆちーが、水の中を泳げるようになれば、イルカとお話しできるようになるかもしれない!イルカと同じくらい泳げるようになれば、ちゆちーも、お話しできるようになる!」


ちゆりが、そう言えば咲良は目をポカンと開いて、珍しくたくさん笑ったあと「あんた、へんなことを言うのね」と笑ったので、絶対に実現させてやるんだから!とちゆりは闘志を燃やしたのであった。

まぁ、イルカの跳んだ大量の水飛沫の衝撃で少し消されてしまったかもしれないが。ちゆりにとって、イルカとはそんな、大切な存在なのである。


◽︎


「ちゆりー!いい泳ぎっぷりだったよ!」

廊下で知らない声に呼び止められ、十二歳、小学六年生である丁度来年度から通い始める中学校へ学校見学へと来ていた長谷ちゆりは後ろを振り返った。

ちゆりを呼び止めた人物を頭の中で記憶を探ってみるが、知らない人物であった。名前がわからないので「どうしようかなぁ」と思いながら、取り敢えず呼び止めてきた二人組の先輩の近くに寄る事にした。

「町内の水泳コンクールで金賞取ったんだって?おめでとう!」

「ありがとうございます」

「で、どう?うちの水泳部入るでしょ?」

二人の先輩は自信満々にちゆりに訊いてくる。ちゆりはこの時間が少しばかり苦痛に感じられたので、逃げることにした。

「ああ、今は少し悩んでいて、入ったらその時はその時で、よろしくお願いします!」

「用事を思い出したので失礼します!」そう言って、にかりと笑って手を振れば、二人の先輩も納得したようで「待ってるからなー」と言って手を振り返してきた。その隙に逃げる。

ちゆりは耳がいい。だから早歩きで逃げている時でさえ聴こえてしまう。先輩方がしている小さな声のヒソヒソとした『聴きたくない話』も


水の中は地上の空気中よりも静寂だ。水の中に浮かんでいるとずぅっと何らかの話し声や音が聞こえる。それは地上に足をついている際の空気中にも同じことが言える。


「ねぇ、何で長谷ちゆりに固執なんてするの?」

「馬鹿、あんた知らないの!長谷ちゆりっていったら、『跳ぶイルカ』の異名をも持つ!町内水泳コンクールでいいトコの賞ばっかりもぎ取る実力を持ってる子なんだから!」

「へぇー、そんな凄い子なんだ」

「あの速度は本物のイルカと言っても過言じゃぁないね!兎に角!ウチの部に引き入れちゃえば、ウチの部も強豪校に並ぶ強さになるってワケ!長谷ちゆりって名前があれば怖いもの無し!!」


泳いでいる時は何も聴こえない。だからそんな時間が好きだった。


泳ぐ速度が早ければ早いほど水流の音で外の聞きたくない音がかき消される。

ちゆりは歩く速度を上げて、まるでプールの壁を蹴り上げるかのように勢いをつけて廊下を蹴って走った。

先生に叱られた声が聞こえた気がしたが無視だ。

勢いよく水を潜る魚のように、ちゆりは聞こえぬふりをした。


◽︎


走ったちゆりが辿り着いた先は学校の体育館へと続く外廊下であった。校舎内の三階からこんな場所にまで脚を運んでしまっただなんて、随分遠くへ来てしまった。そう思いながら、ちゆりは上がった息を整える為に近に水が飲める蛇口は無いかと、膝に手をつきながら、その大きな瞳でくるりと辺りを見回した時だった。


ふわり、と猫が宙を跳んだ。


それは猫ではなくて、人間だったのだが、ちゆりには其奴が猫に見えるほど、其奴はスカートなど御構い無しに、体育館へと続く廊下の煉瓦の壁の上を蹴って、宙を舞い、地面へ着地したのだ。水溜りがあったら滑って転んでいただろうに。其奴は戸惑うことなく跳んだのだ。


ちゆりは其れが酷く綺麗に視えて、いつの日か見たイルカの綺麗な尾鰭を思い出した。


「脚が綺麗ですね」


思わず声に出ていた


其奴はちゆりの声に気がつくと、誰にも見られていなかったのかと思っていたようで、着地して、くるりと振り向いて、ちゆりの存在をその眼で確認すると「ああ、人が居たんだ」と淡々と言った。


ちゆりにとって、それは少し新鮮な事であった。ちゆりは挙動不審になりながらも咄嗟に謝る。


「すみません!見てました!脚が滅茶苦茶綺麗ですね!それからバビューンて跳んでるのに自由に綺麗に跳ぶ猫みたいな姿に!つい見惚れてしまいました!」


「なぁに、随分と情熱的だね。脚が綺麗だなんて、変態なの。それとも、もしかして口説いているの」


「変態じゃあないです!それに口説いているなんて、とんでもない!違います!ただ、迷いがない跳び方が綺麗で、私にはないものだなって」


「へぇ、それで声をかけたんだ」


クスリ、と其奴は猫のように目を細めて口角を上げると笑った。


ちゆりはそれが、今までに見たことのない人間の種類だと不思議に思った。


其奴は瓦礫の煉瓦に軽くもたれかかると「君が、水泳とかでウワサの何だっけ、イルカ?とか呼ばれてる長谷ちゆり?」と口にした。


「そうですよ」


脚は綺麗だけれど何だか嫌な感じの人だ


と思いながら、ちゆりが口を尖らせて答えれば「案外平凡な見た目なんだね、ウワサになるくらいだから、もっと美少女かと思った」なんて其奴は宣うものだから、ちゆりは何だか胸がムカついてきて「案外平凡ですみませんでしたね。猫先輩」と皮肉を織り交ぜて、やっつけに言えば「私は猫先輩じゃなくて猫耳巴(ねこのみ ともえ)っていうんだよねぇー。残念でした」と食えない顔で笑いやがった。


ちゆりは変な人に声をかけてしまった。と内心で数秒前の自分に後悔した。

そんなちゆりを面白そうに見ながら、巴はニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて、ちゆりに残酷な問いをかける。


「水泳部、入るの?」

「猫せんぱ、じゃなくて猫耳センパイには関係ない話ですよね」

「うん、そうだね、私は水泳部に入っているわけでもないし。関係もない。でも周りの女子が五月蝿いんだよね『実力派、跳ぶイルカ長谷ちゆりは水泳部に入るのか』って。そんなに凄い子なら本当に入るのかなって、思っただけ。だからこれは私の単純な興味。だから答えても答えなくても、どっちでもいい質問」


どっちなの?と巴は二択を示す。


ちゆりは悩んだ末にちいさな声で「中間で、どちらでもないです」と答えた。すると巴は意外そうに瞳を大きく開いて「へぇ」と口にした。



「水泳馬鹿のことなら一択で入るって答えるかと思ったけど、もしかしてアンタも悩んでいるの」


図星だった。思わずちゆりはグェ、と蛙が潰れたような音を声に出してしまう。ちゆりは何故か汗ばみ始めた右手の拳を少し強めに握った。


「今からちゆち…じゃなくって、私が言うのはただの独り言だと思ってください」

「はいはい、どーぞ」



「...私が取ってきた賞や肩書きばっかり、気にする先輩がいるから。呼称もそうですけど、今まで私はただの長谷ちゆりとして泳いでいただけなのに、いつの間にか凄い人みたいに見られちゃっていて、期待を背負うのが辛いと言いますか…。」


「ふーん、じゃぁ答えは出てるじゃん。入らなければいいんじゃない」


「なんで猫耳センパイはそう思うんですか?」


「だって、期待を背負わせる先輩の下でなんか、アンタ自由に泳げるの?私だったら絶対に無理。自由に好き勝手にやらせてくれない環境のもとでなんかゴメンだね。走ってもやらない。それに、私にはアンタも『私と同じ性格』に見えるし、到底そういう『良い子ちゃん』みたいな性格に見えないけど」



目から鱗だった。ちゆりを余所に巴はもう既に興味をなくしたのか面倒臭そうに続ける。



「それで、アンタは結局何がしたいの」



「私は...理解されなくてもいい。今まで、たくさん泳いで、イルカくらい速くなって自由に跳ぶイルカになりたかったんです。イルカになれば、水族館のショーで跳んでいたイルカの気持ちがわかるかなって思って、私は人間だから、動物と話すことはできないし」


「どうしてイルカの気持ちを知りたいと思ったの」



今度は巴が目を見開く番だった。

なんだか扱いづらい性格の猫と話している気分だなぁとちゆりは柄にもなく思った。


今まで、ちゆりの周りの人間が、友好的な人物ばかりだったからかもしれない。ちゆりは巴に、たじたじながら話す。



「い、イルカの気持ちを、知りたかった理由は、その、昔見た、水族館にいたイルカは幸せなのかなって。観客を喜ばせて係員から餌を貰う為に跳ぶイルカは、幸せなのかなって」


「へぇ、アンタ今まで名前も知らないイルカの為に水泳やってたの?馬鹿じゃないの」


「馬鹿って!そんな言い方ないじゃないですか!!」


ちゆりが思わず感情的に吠えれば、巴は真剣味を帯びた瞳を細め、ちゆりを横目で見た。


「じゃあ訊くけどさ、アンタはそれでイルカと話せた?」

「…話せませんでした」

「泳ぐのは楽しかった?」

「泳ぐことは楽しかったです。自由で、居られるし」

「じゃあそれでいいじゃん」



よし、と巴は満足そうに喉を鳴らすように笑った。


それと同時に授業開始のチャイムが何処かで鳴った。

感情的になり終いには話に長々と付き合わせてしまった!と我に帰ったちゆりが謝ろうと佇まいをただせば巴は「いーの、いーの」の一言残し、座っていた瓦礫からピョンと地面へ着地してスタスタと歩いて行ってしまった。

...と思えば、「ああ、そうだ。」と思い出したかのように立ち止まり、ちゆりに言った。



「『長谷ちゆり』って人間は、脚フェチで見かけによらず繊細ハートで期待されても困るだけの人間、自由でいたいんでしょ?これでいいじゃん。アンタは難しく考えすぎなのよ」


巴は思い出したかのように「授業遅刻するから私はそろそろ行くわ」とちゆりに手を振った。

脚フェチでは無いと訂正しておきたかったが、そんなことを言っても、とうに授業開始のチャイムは鳴っている。


どう考えても遅刻である。


そんな事もわからないほど巴は頭が悪くないだろう。

咄嗟に、ちゆりは訊き忘れた事を思い出し、凄い剣幕で巴へ詰め寄った。


「あの!先輩って何部ですか!」

「んー?陸上部」

「ありがとうございます!入る部活決めました!!」


「...だったけど、今は帰宅部…って、もういないじゃん。何あの暴走娘。イルカっていうより、アレは…脚力強いし、ウサギ?じゃないの?」


ま、いっか、さーて、授業は遅刻したし、まぁた眠りするかぁ、早速、秀一クンが教えてくれた絶好の居眠りスポットでサボりますかね〜と巴は伸びをしたのであった。


空はびっくりするくらい真っ青で、眩しいくらいの太陽が、地表に咲き乱れた小さな青い色をしたネモフィラを、何処までも優しく照らしていた。





〜後日談〜


「猫先輩じゃなくて!猫耳センパイ!どういう事ですか!」

「んー?巴でいいよ」

「じゃあ巴先輩!どういうことですか!」

「何が?」

「陸上部の名簿に!!巴先輩の名前がないんですよ!!」

「あー、アタシ、左足の踵に怪我できて走れなくなったんだよね」

「あえ、じゃあ部活はもう辞めたんですか」

「辞めてるよ。だからさ、アタシの分もちゆりが走ってよ。そーゆー期待は嫌い?」



「全然!!むしろ俄然やる気が出てきました!!走ります!」

「うわー、まじか、変なとこに火ぃつけちゃったな、こりゃ」

長谷ちゆりに、跳ぶイルカではなく暴走ウサギという渾名が定着するまであと少し…。


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